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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

陰陽―カゲヒナタ―3

2012-05-03 22:35:47 | 戯作
「ヤマウチさんの報告では、近江さんの作業は特に問題はないとのことでしたので…」

という現場チーフの御達示によって、半日早くこの日の午後から、いきなり“一人立ち”して作業することになった。

これで時給が、午後の分から+50円となる。

やったな近江章彦!

一日半付いてくれたヤマウチハルヤ“先輩”に一応お礼を言おうと、ピッキングをしながら姿を探したけれど、何故か最後まで見つからなかった。


事務所でタイムカードを押そうと、ラックに差し込んである自分のカードに手を伸ばした時、「山内晴哉」と印字されたカードが目に入った。

ああ…。

“ヤマウチ ハルヤ”って、漢字ではああ書くのか。

そう言えば、“たかしま はるや”さんって、漢字ではどう書くのだろう…。



帰り道。

物流倉庫の最寄駅に着いたところで、メールが一件着信。

親友―宮嶋翔からだった。

『今日もお疲れです!
つーことで、これからラーメンどう?』


はいはい…。

いつもの呼び出しメールか。


『どこで?』

翔から、一分もしないで返信。


『萬世橋駅に、19:30でどう?』

『会ってやるよ』

『ようし、待ってるワ』

何が“ワ”だよ。

最後にハートマークだし。


そんな親友に苦笑い。



いつもならそのまま通り過ぎる萬世橋駅で、今宵は途中下車。


改札口の前で、翔は待っていた。

自動改札を出るなり、

「よっ、超久しぶり」

軽く手を挙げる翔に、僕は一瞬だけ山内晴哉の姿がダブて見えた。

やっぱり、どこか顔の雰囲気が似てる…。


「おいおい、先週会ったばかりだって」

「だっけ?」

「ボケんのにはまだ早いぞ。ま、とりあえずおつかれ。ミュージカルの稽古は?」

「今日は早く終了。悪いね、章彦(あきひこ)。急に呼び出して」

「全然大丈夫。こっちもちょうどバイト終わって、電車に乗るとこだったから。それに明日はバイト休みだからさ、今日は遅くまで付き合えるよ」

そんな会話をしながら駅前広場へ向かって歩く僕たち横を、何人かがチラ見してすれ違って行く。

僕を見ているワケじゃない。

宮嶋翔を見ている。

そりゃそうさ。

この人はなんといっても、売れっ子の“イケメン若手俳優”、だから。

で、下らないサイトにカキコミされたりするわけですよ、

“宮嶋翔が萬世橋駅前をムサイ男と歩いてた”

とかなんとか。


翔は駅から歩いて数分の、表通りより一本裏へ入ったところにあるラーメン店へ、僕を誘(いざな)った。

「昨日ね、今度のミュージカルの演出家さんに連れてきてもらったんだ」

いかにも“ラーメン激戦区”らしい、凝った店構え。

「ラーメン好きの章彦クンにも、気に入ってもらえるかな、と」

でも、こういったテの店って、間違いなくマズイんだぜ。

ウチはよそとは違うんだ!って気合いばかりで、肝心のお味は見事に空振りでさ。

もっとも、この親友はそんなことなど百も承知だ。


宮嶋翔が僕を呼び出す…、いや、翔はそんな“上から目線”なヤツじゃない…、僕に会いたいと言ってくるのには、ちゃんと理由がある。


“俳優”という営業用のものではない、“一人の人間”としての宮嶋翔。

それは翔の真実の姿を意味する。

その真実の姿を知っている人にしか解らない、理由…。


案の定、「これは“新しい味”ですねぇ」なラーメンを、スープを殆ど残してギブしたところで、翔はカラオケに行こう、と言い出した。

「喉、いいの?」

翔はミュージカルに出演している時は、その前の稽古中から現場以外では不必要に喉を使わないよう注意していることを、僕は知っていた。

酒もタバコも絶対に手を出さないのは、ひとえに俳優の命である声=喉のため。

翔のそんな高いプロ意識が、僕は大好きなんだ。

その翔が、いまこの時期にカラオケ?

「うん。一曲だけ付き合ってくれたらいいんだ」


なんかおかしい。

僕は直感でそう思った。

いつもの宮嶋翔と、なんか違う。

そばでタバコを吸っている人がいるだけで、スッとその場を離れるほど喉には徹底して注意する翔なのに。


でも、それを本人の前で言うのは、今は止めておこうと思った。


ラーメン屋を出ると、そのままナナメ向かいのビルにあるカラオケボックスへ。


翔の一曲目の歌声を聴いて、僕は改めて「ん?」と思った。

宮嶋翔は早くも子役時代に、やはりミュージカルの舞台で認められて出世しただけあって、歌はかなり上手い。

伸びと張りと声量に富んだ、その澄みきった歌声は、業界内でも既に定評があるらしい。

しかし、いま僕の前でマイク片手に熱唱している翔かは、そのいづれもが、僅かに欠けている…。

なんだか、ピントがずれてしまっているような…。

どうした?

どうしたんだ?


一曲終えてマイクをおいた翔は、僕を見て言った。

「俺の声、なんか狂ってるだろ?」


今晩、翔が僕に会いたがった理由が、わかった。


僕はソファーから立ち上がると翔の肩を抱いて、

「今日は早く帰って、よく休んだほうがいいよ。な」



無言のまま僕を見つめる翔の瞳(め)は、いつもの光りを失っていた。






〈続〉
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