ラジオ放送で、觀世流の「屋島」を聴く。

讃岐國屋島を舞台に、武運絶頂期にあった頃の源義経を燦爛勇躍に描ひた戰勝曲なれど、修羅の瞋恚もちゃんと語られてゐる點に皮肉な面白さがある。
私も過去に仕舞でつとめたことがあるが、ひねくれたところの無いぶん直球かつ豪快に……、舞へるやうになったら一人前だらう。
原典の「平家物語」を讀むと、義経軍にはこの合戰中にも後の火種を思はせる暗闘が顔を覗かせてゐて、いくさとはただ勝ち負けの話しであって善惡判定ではないことをよく語ってゐる。

かつて私はこの「屋島」も参考にして、現代手猿樂の「扇之的」を創った。
前半のシテ(主役)は那須與一、後半のシテは平家の上﨟。
舞ふこともさることながら、
創ることはもっと樂しいものだ。
浮世ではいま、“オミクロン株”なる新種が第六波の主役となりさうな様相を呈してゐる。
まだ報道はなされてゐないが、すでに日本でも感染者がゐるはずだ。
異國での感染壙大は、ワクチンの効果が薄れてきたためとの見方あり云々。
来春には少しづつ活動を再開できるかもしれない──は、いや待てしばし。
いくさに勇み足は禁物なり。