『仙台市バスの車内で、泣く子を連れた母親が高齢男性に「うるさい」と怒鳴られ、途中下車した−。目撃した女性は何もできず……』──

そもそも、なんで幼児(ジャリ)ってのは、乗り物に乗った途端にギャーギャーはじまるのか、私には謎なのです。
「ぢゃァ、お手前のジャリ時分はどうだったンだ」……?
憶えちゃゐないよ。
私はいま自分のことを云ってるンぢゃない、他人(ひと)のジャリの噺をしてんだい。
私はハッキリと、文中にある年配男性側ですね。
この時、乗客はみんな絶對に「マジかよ、るっせェな……💢」って思ってゐたハズですもの。
むしろ、周りにうるさく思はれてゐることをハッキリ表明したこの年配男性に拍手です、私がその場にゐたら。
たしかに、ジャリがギャーギャーはじまると、シーッシーッとやって見せてゐる親はゐますよ。
でも効果が無かったりするのは、口で言って理解するやう、普段から躾てゐないからです。
となると、かういふテのは、モノなんかで釣るよりも、上の如く大喝するか、ひっぱたくかでもしなければ効果なんてありません、自身の經験からいっても。
──いちばんの快適性とはまず、“騒音”がないことなんですよ。