
十四世喜多六平太記念能楽堂で、喜多流の「実朝」を観る。
鎌倉幕府の三代将軍がシテで、いかにも古典物らしい雰囲気があるが、実は昭和二十五年に喜多流十五世宗家によって初演された、“新作能”の部類に入る曲。
鶴岡八幡宮に参拝した旅僧が、由比の浦(由比ヶ浜)で景色を楽しみながら休息していると、日没の頃になって船を漕ぎだそうとする老人に出会う。

老人こそ、かつてこの浦から宋(中国)へ渡ることを夢見て果たせなかった、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の亡霊であった。
源実朝というと、武人(征夷大将軍)よりも歌人といった印象のほうが強い。
さらにそこへ、雪の晩に鶴岡八幡宮で甥に暗殺された悲劇の将軍という印象が加わる。

謡曲はそれら史実を取り込みつつ、最後は実朝の霊が海原で壮麗な舞を見せ、再び何処かへ消えていく、という展開をみせる。
源実朝を、「跡弔いてたびたまへ」と消えていくジメジメした人物に仕立てなかったところに、初演当時の時代背景―戦後復興―を見る気がした。
鎌倉幕府の三代将軍がシテで、いかにも古典物らしい雰囲気があるが、実は昭和二十五年に喜多流十五世宗家によって初演された、“新作能”の部類に入る曲。
鶴岡八幡宮に参拝した旅僧が、由比の浦(由比ヶ浜)で景色を楽しみながら休息していると、日没の頃になって船を漕ぎだそうとする老人に出会う。

老人こそ、かつてこの浦から宋(中国)へ渡ることを夢見て果たせなかった、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の亡霊であった。
源実朝というと、武人(征夷大将軍)よりも歌人といった印象のほうが強い。
さらにそこへ、雪の晩に鶴岡八幡宮で甥に暗殺された悲劇の将軍という印象が加わる。

謡曲はそれら史実を取り込みつつ、最後は実朝の霊が海原で壮麗な舞を見せ、再び何処かへ消えていく、という展開をみせる。
源実朝を、「跡弔いてたびたまへ」と消えていくジメジメした人物に仕立てなかったところに、初演当時の時代背景―戦後復興―を見る気がした。