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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊-中山道17 桶川宿→鴻巣宿

2010-06-11 21:53:05 | 旧中山道
桶川宿から次の鴻巣宿までの間には、安土桃山から江戸前期までのごく短い期間、「北本宿」が存在していました。

やがて鴻巣宿が開かれて機能がそちらへ移った後も、「間(あい)の宿」-二つの宿の間にある宿と云う意味で、宿泊不可の茶店のみの休憩所-として賑わったそうです。


もうしばらく進むと、右手に「本宿天神社」が。

満更ご縁がないわけでもないので参拝しました。

そこで配布されている栞の「神社の沿革」に、

『天神社の祭神は藤原道真公で…』

とあり、“藤原”のところを二本線で消して“菅原”と訂正してありましたが、「いくら何でもこのミスはマズイでしょ…」と苦笑い。


天神様を過ぎてすぐのところで、資料の地図をよく見なくてはそれと気付かないような細道を左に折れ、JR高崎線の北本駅前を通って更に進むうち、浦和以来西側を走っていた高崎線の線路と初めてクロス-東間踏切-、今度は街道が西側となって、↓のように線路にぴったり沿うようにして伸びています。



実はこれが江戸初期、街道整備される以前の、慶長年間の頃の“旧旧”中山道で、そのことを示すのが、道の西側、鴻巣市小松4丁目の農地に残る一里塚です↓。



「原馬室(はらまむろ)一里塚」と名付けられているこの塚は、“約束事”通り本来は街道の東西にありましたが、東側は明治16年に高崎線が敷設される際に予定地と重なっていたために取り壊され、現在では写真の西側のみが残っています。

観光用に整備されていないおかげで、リアルな旧跡感があります。


鴻巣市に入ると、ここは江戸時代から人形づくりで有名なだけに、ショーウインドーにお雛さまが飾られた人形店が道の両側に続いています。その名もズバリ、人形町。

いかにも由緒ありげですが、実際には昭和40年の区画整理で誕生した町名だそうです。

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