
ずっと氣になってゐた、池上の本門寺へ行く。
前回に参詣したのが昨年の夏の終はり頃、早くも一年ちかくになる。
あのときは、“今までに経験したことのない”疫病禍に、いつまでかうした生活が續くのか、不安よりもなにかしらの見通しを知りたくて、出かけてみたのだった。
しかし、そのときは確固たる“聲”を聞くことは叶はず、「現状維持につとめよ」──さう解釈することにしたのだった。
また夏が巡り、私は無事な体で、山門をくぐるご縁を得る。

これぞ「現状維持」の賜物。
他人(ひと)がだうであらうと、自分で聞ひた聲に勝るものはなし。

引ひたお神籤を手にしばらく堂内に座して、これまでの時間を想ふ。
外でお神籤を結んでから、本門寺と云へば力道山──その佛前に手を合はせる。

戻り道、雲が覆ひはじめた空の奥から、雷のやうな聲を聞く。

氣持ちの良い今の間に、帰城せん。