
坂を下って十二兼を過ぎると、かつてはそのまま木曽川に沿って道は続いていましたが、現在は目の前を国道と中央本線が横切っており、直進することができません。
そこで上段写真に見るような、道路下を行く水路トンネルに仮設された通路を経て、向こう側へと抜けます。
いかにもアドベンチャーといった感じで、なかなか楽しいものがあります。
中央本線「十二兼駅」の横を過ぎ、1㌔ほど直進すると、やがて右手には“南寝覚”と呼ばれる木曽川の美しい眺めが。

↑は、そこに架かる柿其橋から撮影したもので、またの名を“河原峡”とも云うそうです。
美しい景観の、本来あるべき楽しみ方をようやく果たし、満足至極。
旧道はその先で、木曽川に沿って行く国道19号線に合流します。
かつて、ここから与川が木曽川へ注いでいる区間までは、「羅天(らてん)の桟道」と云って、蔦かづらで絡げた丸太を、崖っぷちに渡して幅を補った道が続いていました。
それは、江戸時代の道中記にも、“お気をつけめされい”と注意書きがされていたほどの、木曾路最大の難所だったようです。

つまりかつては、アドベンチャー映画顔負けの光景が、リアルに展開されていたわけですね。
そう考えると、崖を切り崩して道を拓く現代の土木技術のすごさを、感じずにはいられません。
そこで上段写真に見るような、道路下を行く水路トンネルに仮設された通路を経て、向こう側へと抜けます。
いかにもアドベンチャーといった感じで、なかなか楽しいものがあります。
中央本線「十二兼駅」の横を過ぎ、1㌔ほど直進すると、やがて右手には“南寝覚”と呼ばれる木曽川の美しい眺めが。

↑は、そこに架かる柿其橋から撮影したもので、またの名を“河原峡”とも云うそうです。
美しい景観の、本来あるべき楽しみ方をようやく果たし、満足至極。
旧道はその先で、木曽川に沿って行く国道19号線に合流します。
かつて、ここから与川が木曽川へ注いでいる区間までは、「羅天(らてん)の桟道」と云って、蔦かづらで絡げた丸太を、崖っぷちに渡して幅を補った道が続いていました。
それは、江戸時代の道中記にも、“お気をつけめされい”と注意書きがされていたほどの、木曾路最大の難所だったようです。

つまりかつては、アドベンチャー映画顔負けの光景が、リアルに展開されていたわけですね。
そう考えると、崖を切り崩して道を拓く現代の土木技術のすごさを、感じずにはいられません。