
淺草の傅法院通り沿ひにある土産物屋群が、臺東區から見世の撤去と土地の明け渡しを求められ、今や裁判沙汰云々。
區は四年前の平成三十年三月に、當事者たちに違法營業であることを通告し、撤去を求めてたびたび説明會を開いてきたが、見世側は「四十年前に當時の區長から使用許可をもらってゐる」との“口約束”を恃みに、今日まで反發云々。
今まで黙認してきたところへ急に撤去を言ひ出した──とされる──區も區だが、口約束を恃みにする見世側も見世側だと思ふ。
口約束がなんら効力の無いことは、かつての花柳流家元争奪戰がよく示すところだ。
いまはなんでもかんでも“ペーパーレス”にしたがるご時世だが、死活問題に関はる約束事だけはやはり、紙がまだまだモノを云ふやうだ。

ここの土産物屋群では、かつて掘り出し物を見つけることもあり、淺草へ来たときには覗いて通るのを樂しみにしてゐたが、いつしか平日には閉じてゐる見世が増へ、そこへ人災疫病禍も重なり、「ここもいよいよ……」と思ってゐたところへこの問題だ。
「災害こそ改革の好機」とは云ったもので、いまは疫病禍を云ひ訳に、あらゆるゴリ押しがまかり通ってゐる。
……この揉め事には、どうせ何かクサイ利權でも絡んでゐるのだらう。