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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

つきすみわたりてめいめいたる。

2016-12-24 20:54:28 | 浮世見聞記
都内の舞台にて、「生田」を舞い仕る。

平敦盛と、その遺児との哀別を、数分の舞で表現する。


仕舞とは、一曲の能の“サワリ”のみを、紋付き袴と扇で云々。


しかしわたしは、“サワリ”のみでその一曲の“全て”を表現しなければならないものが、仕舞であると考へる。


わたしはその事実を、水道橋の能楽堂で舞ふ達人たちから、教へられた。


衝撃だった。


それは、

おのれがいかに不勉強であるかを、

思ひ知らされた瞬間でもあった。


国立劇場の研修生時代、

「いいかい、見るのなら“いいもの”を見なければ駄目だ」

と講師に言われたことが、脳裏に甦った。


目から鱗。


しかし、それで満足などしてはいられぬ。


おのれも“伝統芸能デザイナー”と称する表現者の端くれである以上、学んだことは体現できなくてはならぬ。


今日、その機会を得た。


結果は、

……?


探究は、まだまだ始まったばかりだ。



ただ、一つ確実に言へることがある。


能楽に“女流”は、

『無い』。
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