
都内の舞台にて、「生田」を舞い仕る。
平敦盛と、その遺児との哀別を、数分の舞で表現する。
仕舞とは、一曲の能の“サワリ”のみを、紋付き袴と扇で云々。
しかしわたしは、“サワリ”のみでその一曲の“全て”を表現しなければならないものが、仕舞であると考へる。
わたしはその事実を、水道橋の能楽堂で舞ふ達人たちから、教へられた。
衝撃だった。
それは、
おのれがいかに不勉強であるかを、
思ひ知らされた瞬間でもあった。
国立劇場の研修生時代、
「いいかい、見るのなら“いいもの”を見なければ駄目だ」
と講師に言われたことが、脳裏に甦った。
目から鱗。
しかし、それで満足などしてはいられぬ。
おのれも“伝統芸能デザイナー”と称する表現者の端くれである以上、学んだことは体現できなくてはならぬ。
今日、その機会を得た。
結果は、
……?
探究は、まだまだ始まったばかりだ。
ただ、一つ確実に言へることがある。
能楽に“女流”は、
『無い』。
平敦盛と、その遺児との哀別を、数分の舞で表現する。
仕舞とは、一曲の能の“サワリ”のみを、紋付き袴と扇で云々。
しかしわたしは、“サワリ”のみでその一曲の“全て”を表現しなければならないものが、仕舞であると考へる。
わたしはその事実を、水道橋の能楽堂で舞ふ達人たちから、教へられた。
衝撃だった。
それは、
おのれがいかに不勉強であるかを、
思ひ知らされた瞬間でもあった。
国立劇場の研修生時代、
「いいかい、見るのなら“いいもの”を見なければ駄目だ」
と講師に言われたことが、脳裏に甦った。
目から鱗。
しかし、それで満足などしてはいられぬ。
おのれも“伝統芸能デザイナー”と称する表現者の端くれである以上、学んだことは体現できなくてはならぬ。
今日、その機会を得た。
結果は、
……?
探究は、まだまだ始まったばかりだ。
ただ、一つ確実に言へることがある。
能楽に“女流”は、
『無い』。