
久しぶりに神奈川縣海老名市の海老名市温故館へ出かけ、「海老名に伝わる銅鐘」展を觀る。

古代國分寺の流れを受けてゐるとされる、温故館からも近い真言宗國分寺の銅鐘が國寶に指定されて百年──大正十二年(1923年)指定──を記念した企画展で、

件の鐘は鎌倉時代の正應五年(1292年)、當時の領主だった國分次郎左衞門尉季頼(源季頼)より寄進云々、いらい七百年以上の現役を誇る。

國寶となってからさらに百年とは氣が遠くなるやうな長命ぶり、これからさらにどれだけ現役を張るのかと思ふと、人間が願ふ長生きなどちっぽけなものだと嘆息したくなる。
が、私はそれでも長生きしてやるつもりだがネ……。
さて、温故館二階の一画に設けられた企画展では、鐘を數へる單位は「口(こう)」と知ったこと──壱口、弐口……──、縣内で出土した鐘の鋳型の欠片を見られたことが、今回いちばんの収穫。
我が國の傳統藝能においても、“鐘”とは重要な道具であり、

そちらの方面のヒトならば大抵が憧れる“道成寺物”など、その最たるものだ。

かく云ふ私も、能樂の「道成寺」を映画のなかで觀たことが、現在の私の玄関口であった。