
房州佐倉の国立歴史民俗博物館で、「見世物大博覧会」展を見る。
江戸時代、浅草や両国では“見世物”といふ大衆娯楽が全盛だった。
魚の干物を使って見立てた「三尊仏」や、鮑貝で拵へた伊勢の「二見ヶ浦」、そしてそれを眺める椎茸と昆布で見立てられた旅人―
当時の記録をもとに復元されたそれら“細工見世物”は、現代の目で見ると見世物の域をはるかに超えた、高水準にしてわかりやすい芸術作品(アート)そのもの、と言へる。
これこそが、江戸時代といふ泰平の世がもたらした、“心のゆとり”だ。
ゆとりがあるから、かうした遊び心に富む文化が生まれる。
だから、いつ、誰が見ても、楽しい。
さうしたものを目にしてゐた江戸庶民の文化水準は、なかなかのものだ。
作り手と、見る者の双方が共に楽しめて、娯楽文化は成立する。
人にものを見せやうといふ人間は、それを忘れてはならぬ。
江戸時代、浅草や両国では“見世物”といふ大衆娯楽が全盛だった。
魚の干物を使って見立てた「三尊仏」や、鮑貝で拵へた伊勢の「二見ヶ浦」、そしてそれを眺める椎茸と昆布で見立てられた旅人―
当時の記録をもとに復元されたそれら“細工見世物”は、現代の目で見ると見世物の域をはるかに超えた、高水準にしてわかりやすい芸術作品(アート)そのもの、と言へる。
これこそが、江戸時代といふ泰平の世がもたらした、“心のゆとり”だ。
ゆとりがあるから、かうした遊び心に富む文化が生まれる。
だから、いつ、誰が見ても、楽しい。
さうしたものを目にしてゐた江戸庶民の文化水準は、なかなかのものだ。
作り手と、見る者の双方が共に楽しめて、娯楽文化は成立する。
人にものを見せやうといふ人間は、それを忘れてはならぬ。