
新派最後の名女形が亡くなった。
私が初めて「英太郎」といふ名前に接したのは、学生時代に購入した“新潮カセットブック”の一つ、三島由紀夫「近代能楽集」“綾の鼓”におゐてである。
昭和51年の国立劇場公演を録音したもので、そのなかで英さんは、“藤間春之助”といふ舞踊師匠役で出演してゐた。
音声だけながら、日舞師匠によくゐる性別不明の独特な雰囲気をよく掴んでゐて、「上手い役者さんだなぁ……」と感心したものだった。
でありながら、わたしはこの時「英太郎」の読みを“ひでたろう”と勘違ひし、しばらく経ってから母親に、
「“はなぶさ たろう”、新派の女形よ」
と訂正されたのだった……。
その後、伝統芸能の道を志すにあたり、わたしは新派最後の名女形の芝居も、注意して観るやうになった。
その舞台の一つ一つを語ってゐては長くなるゆゑ省くが、わたしが実際に目にした舞台の印象を一言で表せば、
『ごくごく自然体』
といふことにならうか。
明治以降、近代日本の“女性”を、気負わず、巧まず、自然に表現してみせる。
歌舞伎の世話狂言に出てくる女形とは明らかに一線を画した、間違ひなく“新派の芸”を見せる名女形だった。
女性役は女優が演じるなか、ただ一人“おんながた”として違和感を感じさせることなく独自性を見せるには、はかり知れぬ苦労があったらう。

わたしはそこに、二代目英太郎の特色を見る。
かつて師匠の初代英太郎没後、女形といふことで冷遇されゐた彼は、前進座への移籍を本気で考へたと云ふ。
が、現在では根城の劇場すら失ったあの劇団のみすぼらしい姿を思へば、実行されなくて良かったと思ふ。
いっときは良くとも、、たちまち“宝の持ち腐れ”になったであらうから……。
また残念なのは、かの貴重な新派女形芸の、継承者がいなかったことだ。
「伝統新派」なとど、およそ噛み合ってゐないことを標榜するならば、なおさら独自の芸を確立してゐる新派女形の明確な継承者を、育てるべきだったのではないか―?
聞くところによると、TVからの闖入者を擁する歌舞伎一門から、女形がひとり離脱して新派に転向するとのこと。
今さらそれもいかかがなものか、と思ふ。

営利目的以外のなにものでもない形骸的襲名興行の乱発で、勝手にお祭り騒ぎをしてゐる東銀座(こびきちゃう)界隈。
その一方で貴重な伝統芸がひとつ、
ふっと消えたことを、
わたしは心から惜しむ。

合掌