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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

陰陽―カゲヒナタ―18

2012-05-18 22:48:40 | 戯作
もっとも、あれから彼と全く連絡を取っていないのだから、詳しく知らないのは当然ではあるけれど…。


しかし、彼女はどうして、そこまで詳しく知っているのだろう…?


「なんで宮嶋翔君の代役がこのヒトなのか、納得いかないんですよねぇ」

と、馬川朋美はポスターのなかの、その若手俳優の顔写真を指さした。

「このヒトはっきり言って、素質ゼロよ。顔がそこそこいけるってくらいで。そんなのが宮嶋翔君の代役やるなんて、ふつう絶対に有り得ないわ。翔君と同じ事務所という理由だけで、たぶんそうなったのよ…」

忿懣やるかたない、といった感じの彼女に対して、僕は、

「素質には恵まれていなくても、“運”には恵まれている人なんですよ、きっと」

と、いつか山内晴哉から聞いた言葉を、そのまま口にしていた。「そういうヒト、いたりするみたいですよ…」

馬川朋美はふーん…、と納得いかないような表情で口を尖らせた。

「馬川さんは、宮嶋翔のファンなんですか?」

僕はサラリと訊いたつもりだったけれど、彼女の方は僕の手前を考えたのか、

「まあ…。子役の頃から、TVでよく見てましたし…」

と、言葉を選んで答えるような素振りを見せた。

「そうなんですか」

僕はあくまでも軽く受け止めたつもりだったけれど、内心ではかなりダメージ。

「ではこの舞台も、観に行く予定だったとか?」

「それはまぁ…。でも行きませんけど」


馬川朋美は、誰が聞いてもわかるくらい、言葉の歯切れが悪くなった。


僕は殆ど無意識に、さらに山内晴哉の言葉を引用していた。

「今回は“ご縁”がなかったんでしょうねえ」

「“ご縁”、そうかもしれないですね。ま、宮嶋翔君の公式ブログで、誰が代役やるか知った時点で、チケットは金券ショップに売りましたけど…。この人が代役って知った時は、腹が立つ前に、思わず吹きましたもん。なんでオマエ?、みたいな…」

「この舞台はいづれ再演するでしょう。その時にはたぶん、宮嶋翔でキャスティングされるんじゃないんですかね」

「だといいですけど…」

馬川朋美は、もうそろそろ話題から離れたがっている感じだったし、僕も彼女の口からこれ以上翔の話題を聞きたくはなかった。

とりあえず、劇場フロアからは離れることにした。


その後は何となく盛り上がらない気分のまま、各フロアを一通り廻って、「電車が混雑する前に帰りましょうか」と云う空気になって、地下の駅で僕たちは別れた。



今日は会った意味があったのかなぁ…、と消化不良を起こしたような気分で帰宅。


そして彼女よりプレゼントされた松岡映丘の画集を鞄から取り出すと、以前に自分で探し当てた同じ物を本棚から取って、両方をテーブルに並べた。


あーあ…。

と苦笑い。


既に絶版している画集なだけに、古書市で見付けた時は本当に宝物を掘り当てたようなラッキーな気分だったけれど、こうして同じ物が一つでも出て来てしまうと、急に希少価値が下がってしまったような、残念な気分になる。

彼女の好意に対して申し訳ないけれど、タイミングが悪かったよなぁ…。


自分で購入した方はもとの本棚へ、馬川沙智子からのは押入れの中に仕舞って、さて今日はいくら遣ったんだろう、と財布チェック。

早く財布の中身を気にしない生活がしたい…、と溜め息をつきながら財布を開けてコーヒーショップのレシートを抜き取ると、山内晴哉が一緒に渡した店の名刺も出て来た。

彼、何でこんなものまでくれたんだろう、割引券とかの方がよっぽど気が利いているよ…、と思いながらそれをごみ箱に放ろうとした時、名刺の裏側がふと目に入った。


そこにはボールペンで、何か走り書きがしてあった。


「?」


『シカトしてゴメン。その女、あんたのこと見ていない。気をつけて!』


「…!?」

山内晴哉からのメッセージだった。

仕事の隙をみてメモったらしい。

なんだよ、こんなヤツ知らないみたいな顔して、僕たちをちゃっかり観察していたのか?


あっ…。


彼がわざわざ会計に立ったワケ、そしてレシートと一緒にこれを手渡した時の、あの瞳(め)…。


「“その女、あんたのこと見ていない”、って…」


そして劇場フロアで、馬川朋美が宮嶋翔のファンらしきを仄めかしたことが、脳裏に蘇る。


その時の僕の、内心の戸惑いも…。


やる瀬ない怒りがムラムラと込み上げてくるのを、僕は抑えることが出来なかった。


意識しないように努めていたのに、こうして駄目押しのように突き付けられるのは、“傷口に塩を擦り込まれる”如くに、辛い。

あまりにも辛い。


山内晴哉としては、たぶんかつてのバイト仲間としての、好意のつもりだったのだろう。

しかしこの時の僕は、それを素直に受けとめることが出来なかった。


子どもの時から華やかな世界で次々と“チャンス”を掴み、大勢の眼差しを常に浴びている宮嶋翔。

大和絵師への夢と現実とが大いに乖離して、そのギャップから先行きすら見えない日々に苦しむ自分。


人はどちらに注目するかと云えば、言うまでもない。

それが普通なのだ。

馬川朋美だって。

僕の作品に共感してくれつつも、では僕に対する気持ちも同じであるかと云うと、またそれは別物。


…らしいことを、今日知った。


彼女のどこか曖昧な受け答えのなかから、明確に。


ぼくはそれを、敢えて見て見ぬフリをしようとしたのだけど…。


今まで“一人の人間”として受け止めていた親友を、初めて“一人のアーティスト”として見ている自分に、僕は気が付いて…。


「わかってる、わかってんだからさ、山内クン…!」

僕は力任せに、名刺を細かく千切った。

そして窓を開けると、外へ散らした。

風にのって、紙片は瞬く間に宙へ舞い上がって姿を消した。


僕はそのまま窓枠に突っ伏すと、成人して初めて、声を上げて泣いた。






〈続〉

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