
今月十五日、右下葉癌のため八十二歳にて逝去云々。
梨園の重鎮大看板がまたひとり、確かな後繼者を育てることなく逝ってしまったか……と思ふ。
剛柔自在、男の“いろけ”も感じさせ、見得をすると大きな眼が利いて實に立派なもので、先々代が復活して故人も四代目を襲名以来たびたび演じた「歌舞伎十八番の内 毛抜」の粂寺彈正は、さうした持ち味がよく活きたいちばんの當り役であったと思ふ。

私がいまでも他の役者で「毛抜」は觀たいと思はないのは、かつて目にした故人の舞薹の印象を壊されたくないからである。
やはり先々代が復活した同じ歌舞伎十八番の「鳴神」も、故人で觀たかったと思ふ。
二昔以上も前になるが、歌舞伎座で「勸進帳」の武蔵坊辯慶をつとめてゐた中村富十郎が怪我で數日間休演した際には、故人が代役をつとめたと云ふ。
當時學生だった私は、この興行を中村富十郎の本役で觀てゐるが、あとから代役の話しを知り、故人の辯慶も觀たかったと、殘念に思ったものだった。
觀てみたい役と、可能性と、期待を抱かせてくれる、わたしの好きな役者のひとりだった。
最後の舞薹出演となった今年の國立劇場正月公演を私も觀たのは、最後の御縁だったのかもしれぬ。
合掌