徒然日記~A&Aクリエイション~

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神戸の旧居留地はレトロな街並みです 

2008年09月28日 07時44分55秒 | 国内旅行記


 神戸の旧居留地は、北は西国街道、東は旧生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋)、南は海岸通りに囲まれた地区です。歴史的には幕末の安政5年(1858)に幕府が諸外国と結んだ日米修好通商条約により、横浜・長崎・函館・新潟・兵庫(神戸)の5港を開港することになりました。その時代にイギリス人技師が神戸居留地の設計を行い、整然とした西洋の街を造り上げた外国人の治外法権の区画です。その当時はこのあたりは畑地の神戸村で、兵庫の中心地の街から3.5km離れていたそうです。

 現在は東西の川は道路となっています。このエリアはレトロな街並が現れます。
 神戸大丸を南に約200メートル、神戸水上警察前に商船三井ビルヂング(右の写真の右のビル・左のビルは海岸ビル)があります。神戸旧居留地5番、 居留地時代はドイツ・ロシア・スイスの領事館があったそうです。現在は,大丸神戸店のインテリア館「スティル」として使用されています。とてもレトロな建物です。

 上海の外灘(ワイタン)を思い出します。同じ時代の建物でしょうか。

 父は大正13年、神戸/兵庫(現柳原)生まれ。
父の話によると幼少期にはこの界隈によく出かけて祖父に洋食をごちそうしてもらっていたそうです。我が家の祖先は江戸時代から、兵庫で米・海産物問屋だったのですが、祖父が大正時代から当時高級輸入品であった時計の部品卸商を始めました。大正10年創業です。ハイカラ?だったようです。
 
 by aran    A&Aクリエイション 

<神戸旧居留地 Wikipedia より抜粋>
1868年(明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。 
 写真の商船三井ビルディングは、旧大阪商船神戸支店として竣工したのは1922年(大正11年)である。旧居留地の南、海岸通に面して建つアメリカルネサンス様式のこのビルは渡辺節の設計によるもの。