マンタマンタに告ぐ

映画・政治経済・日常生活などの観察日記。

解任は当然だな(世界遺産落書き編)

2008-06-30 22:50:19 | Weblog

イタリアなどの世界遺産で、日本人観光客による落書きが後を絶たない。情けない。日本の恥だ。国内でも、観光地に行くと、なぜか落書きがある。

悪いことなのに、それが当然のごとく行われている。落書きは許されない。その悪しき慣習が、世界でも通用すると思っている。アホだな、日本人観光客は…。

大学生が、落書きをしている。数日間の停学処分では、甘すぎる。相手は、国外の世界遺産だ。退学処分だ。その学生が、損害賠償を支払えば、済む問題ではない。

停学処分がまかり通れば、他の人が次に落書きしても、何度でも繰り返されるぞ。処罰が軽ければ、同じ事件が続くぞ。

学生ならまだしも、高校生を相手にする、野球部の監督までもやっている。情けない。落書きは、子供のするいたずらだ。

新婚旅行で、落書きしたみたいだ。新婦も、同罪だ。クビは当然だ。生徒たちは、監督に残ってもらいたいみたいだ。

監督業と世界遺産への罪を比較した場合、落書きのほうが大罪だ。甘やかすわけにはいかない。日本人にとって落書きは、相当軽い罪だと考えているようだ。

だからこそ、商店街のシャッターや壁に、落書きが平然となされているのだ。落書きは、日本人にとって、許される、悪しき文化慣習なのか。

「落書きに関する法律」でも制定して、重い処罰を科そう。禁固6カ月。一般壁であれば、罰金100万円。世界遺産や観光名所であれば、罰金1000万円。

修復費用は、実費以上を徴収する。イタリアであれば、実費は高くつくぞ。所有者への損害賠償、観光名所であればさらに高くつく。

日本人のモラル、マナーの低下は、いつから、何が原因で多発するようになったのかな。

国会議員や官僚たちが、一番悪い見本を作っているのかもしれない。彼らを見て、国民は真似をしているのだ。












介護疲れ殺人は無罪かな

2008-06-30 07:23:41 | Weblog

近年、介護疲れによる殺人事件が多発している。自分も将来、このような犯人になるかもしれない。他人事ではない。

裁判所は、刑法にもとづいて殺人罪を簡単に適用させている。その1つの法律だけで、判決を下してもよいものだろうか。他の法律がないことに、問題がある。

介護者を救済する、法律がない。施設だって、満杯だ。ヘルパーだって、大勢の人を介護している。自宅に赴いて、毎日かまっている暇はない。法律を制定しても、物理的に不可能だ。

許せないのは、介護されている病人の分際で、偉そうな口を叩いていることだ。ヘルパーや家族を、こき使っている。何様のつもりだ。介護されることが、偉いみたいだ。

介護者の苦痛をテレビや新聞などで報道しているが、介護されている者はどのように思っているのであろうか。それが、伝わらない。感謝の気持ちが、あるのであろうか。少しは、気をつかえ。

介護をする家族は、疲れるに決まっている。疲れない者はいない。「ありがとう」の一言でもあれば、介護者の疲労も少しは軽減されるかもしれない。

どんなに毎日がつらくても、介護で疲れないのは、警察官と検察官と裁判官等だけであろう。それにしても、この介護制度を保護できる法律は、ないものであろうか。

物理的に不可能な世界だから、簡単には法律を制定できないであろう。介護者・被介護者を保護できる法律がない。それらの法律が整備されてこそ、介護者の殺人事件を裁くべきだ。

法律なければ刑罰なし。罪刑法定主義の鉄則だ。刑法だけで裁くには、無理がある。具体的な法律がない以上、裁判はなじまない。

有罪判決は無意味だ。自分が裁判員だったら、被告人に「無罪または執行猶予」の判決を下す。

但し、この判決に保護されるからと言って、何でもかんでも殺人事件を起こされては困る。本当の困窮者だけを的確に吟味して、無罪・有罪判決を下そう。

被告人は、愛すべき親族である被介護者を殺害して、どんな気持ちなのであろうか。スッキリしたのであろうか。この苦痛から解放されて、喜んでいるのであろうか。

一番良いのは、「尊厳死・安楽死法」を制定することだ。病人の苦痛を解放する法律ではない。介護者の苦痛を解放する法律だ。