夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

富良野やすらぎの刻(とき)第72夜

2025-02-23 07:25:09 | 日記

昨日は、毎月恒例となっている富良野やすらぎの刻があり富良野へ出かけて来ました。富良野在住の脚本家倉本聰さんのプライベートライブラリーと謳ったこの企画は、毎回倉本さんの70年、1000作を超える作品のなかから彼が選んだものを鑑賞し、その後にかつての富良野塾のメンバー達と作品への思いや裏話を語るものです。

富良野演劇工場

昨日の鑑賞作品は1974年から75年にかけてフジテレビの土曜劇場で放映された「6羽のかもめ」全26作の中から第2話「秋刀魚」と第13話「切符屋の熊」でした。出演者は淡島千景、加藤大介、高橋英樹、長門裕之、夏純子、栗田ひろみに加えて中条静夫、藤岡啄也など今思うと錚々たる方々でした。私達は、このドラマが放映された頃は学生だったり社会人1年生だったりの時で多分テレビドラマにはほとんど関心がなかったと思われ、タイトルも含めて全く記憶にありません。

内容は、大女優(淡島千景)が主宰する劇団かもめで共同生活をする俳優やマネージャー達のどちらかと言えばコメディタッチのストーリーです。出演者の中で今の段階で驚いてしまったのは今でもテレビなどで良く拝見する高橋英樹の美男子ぶりと初々しさでした。このドラマシリーズは後の「北の国から」シリーズのように大きな視聴率を稼いだものではなかったようですが、倉本さんにとっては曰く付きの作品だったようで、テレビ業界という今も話題になっているフジテレビ製作で業界関係者にはセンセーショナルなものだったそうです。

トークショーで彼が語ったのは、この時はNHKの大河ドラマ「勝海舟」を執筆中で、しかしNHKの体質を嫌った倉本さんが週刊誌の取材でNHK批判ととられる発言をしたことから騒動になり、契約中にも関わらず北海道(札幌)へ逃げて社会から消えていた時代でした。大河ドラマの残りの部分はかろうじて北海道から東京にいた奥さんを通じて届けていたそうですが、他には一切仕事が来なくなり、北海道でトラックドライバーになる覚悟をしていた時にフジテレビが持ち込んで来た仕事だったそうです。

フジテレビもまた今と同じようにどん底状態だったようで、倉本さんがテレビ批判、NHK批判を書いても良いかとただすと「何でもOK」の返事をもらって書き始めたのがこのドラマだったそうです。フジテレビが立ち直ったのは「北の国から」(1981年放送開始)の頃からではないかと言うのが倉本さんの自負を込めた思いのようですが、では今のフジテレビにはそういう危機をチャンスとしてよみがえることはあるのかと聞くと、もう大きな企業体になり過ぎているし「きれいでなくなっている」から無理ではないかというのが彼の見立てでした。

演劇工場から見た富良野スキー場の夕景

「北の国から」はまだ書きたいと純(吉岡秀隆)などと画策したが過去の映像を一切使わせないという態度で断念せざるを得なかったとも話していました。昨日もテレビの興隆と衰退を同時代で生きて来た彼の言葉には味わいがありました。

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アマゾン返品の驚き

2025-02-12 06:42:13 | 日記

先日、アマゾンで購入した加湿器が壊れたので返品手続きをとった記事を書きました。返品はヤマト運輸に持ち込んでとりあえず自己負担で送料(2210円)を払いました。

返品手続きのアマゾンサイト

その後の話です。2月1日に送った加湿器は本来なら2月3日にはアマゾンの返品センターに届くべきところ、大寒波の影響で配達が遅れ、ヤマト運輸の追跡サイトでは2月6日に届いたことが確認できました。

そこからアマゾンのサイトで受領、返金手続きをチェックしていましたが、昨日(2月11日)になっても「受領」すらされていない状況でした。

昨日の時点では受領もされていない

これには焦り、カスタマーセンターから電話をもらうサービスがあったので自分の電話番号を入力して送ると直ぐさま電話をもらうことが出来ました。名前を告げると私の案件は直ぐに理解され、ヤマト運輸で送ったと言うとその配送番号を聞かれ、それを答えると直ぐに返品センターに届いていることも確認されました。

そこからが驚きです。電話の彼女が言うには「受領の表示がないのは、返品されたものの不具合などを検品している最中だからであると思われる。しかし、お客様に迷惑をかけているのでこの手続きはさておいて直ちに返金手続きをします。」というのです。

これにはお礼を言わざるを得ず、更にもう一つ「送料を自己負担で2200円払って送ったがアマゾンのサイトでは個人負担の場合500円の送料を負担してくれることになってますね?」と聞くと、「着払いで送ってくれれば良かった」と言われ、「今回は返金額の他にサービスポイントで2200円分をお返しします。」と言うのです。そして、それらの返金は昨日の内にあっという間に完了していました。アマゾン恐るべしです。

カスタマーサービスセンターのスタッフは恐らく毎日相当なリクエストなりクレームなどを受けているのでしょうが、そこでもめごとなどないように今回のスタッフが行ったように迅速に返金してしまう権限を与えられているのでしょう。この対応はまるでカナダだと思いました。カナダもカスタマーセンターなどでの返金、返品は容易です。いちいちマネージャーに相談することなどなく、客の求めに直ぐに応じることでもめごとを抱えるより結局は効率的だという文化だったように思います。

アマゾンも考えてみたら世界企業でしたが、日本の文化の中では驚きでした。返金された金額より安くて良さそうな加湿器があったので直ぐにアマゾンで再購入したことは言うまでもありません。

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若きパティシエ/バリスタの訪問

2025-01-30 08:19:00 | 日記

昨日は、21歳のまるで孫のような若者が我が家を訪ねてくれました。専門学校でバリスタとパティシエの資格を得ていたことで1年ほど前に美瑛町での仕事を紹介されてやって来たということで、今は街中の「美瑛茶房」でもう一人の同僚と一緒にホテル兼茶房の運営を任されています。

看板メニューのパフェ

知り合ったきっかけはちょっと前に夫が山の会のスノーシューツアーに出かけた時に一緒になったことで、その時「美瑛茶房」で働いていると聞いてその後夫婦で店を訪ねた時に我が家に誘ったことでした。美瑛茶房は私達の好きなお店です。美瑛産きな粉やきな粉蜜など美味しくて雑誌などにも取り上げられています。ところが昨今の飲食業界の人材不足で、この店は昨年はずっと閉まっていて残念に思っていたのですが、今彼らによってオープンしていると知って嬉しくなったことが背景にあります。

同じく看板メニューのわらび餅

先日訪れた時も店はインバウンドの人達で大盛況で、彼も大忙しの様でした。昨日お話をしていたら、両親は40代半ば、おばあちゃんは66歳だそうですから、なんという事でしょう~私達は完璧な彼の祖父母世代です。ため息が出ました。若いのに礼儀正しく、将来に情熱も持つ彼に好感を持ちました。

手土産のわらび餅はとっても美味しいのですがきな粉があちこちに飛んで悲惨な食べ方になるのが常ですが彼は上手に綺麗に食べるところもさすがでした。彼はパンも焼くし美瑛茶房の新メニューを考えたりとオーナーはスカウトした甲斐がありましたね。韓国人の旅行者もかなり多い美瑛ですが彼は韓国語も日常会話程度は話せると言うおまけつきです。

昨日の我が家は、夫が最近凝っている自家製ピザを作り、私が炒めた小エビとベーコンのサラダをふるまいましたが、彼のオーナーは「イル・コーボ」というペンションを運営していてそこのピザが有名で彼もそれを食べているはずですから後からそのことに気づいて冷や汗をかいたり、コーヒーメーカー製のコーヒーは出せずに紅茶にしたりと、プロを相手に気をつかいました。しかし、夫のピザは最近は失敗することなく安定した完成度と美味しさをキープするようになったように思います。楽しいランチタイムでした。

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オープンハウス

2025-01-27 07:44:31 | 日記

昨日は、美瑛町主催の「冬の移住体験ツアー」の一環として我が家に移住体験の6名の方にお出でいただき、移住者の生活を見ていただきました。ご夫婦2組と単身お二人で関東と関西からの方々でした。

この話を町の担当者からいただいた時は、参加者が皆さん20代から50代までの若い方で、移住後の仕事の継続や丘を望める郊外への住まいを希望しているということで、私達の実態とは真逆のような印象でしたので躊躇したのですが、担当者の熱心な要請で「まぁこういう移住者もいるのかと思ってもらえれば良いか」ということで引き受けました。

私達は、郊外ではなく家が建て込んでいる街中に家を新築したということで、そこが一番参加者の希望とかけ離れているところかと思ったので、その違いを意識しながら「街中に住むことのメリット」や「隣近所との付き合い方」、また「北海道ならでは暖房や家の仕様」を中心に話をしました。「いずれ車を運転しなくなると役場や病院へ歩いて行ける環境が必要」、「美瑛町の人は隣近所の付き合い方が濃くなくちょうど良い距離感があるので居心地が良い」といったことに、まだ切実さは感じないでしょうが興味を持ってはいただけたようです。北海道の家の暖かさも経験していただけたと思います。

美瑛町への移住を考える方はやはり冬の暮らしが一番大きな関心事であるようで、参加者はこれまで他の季節にも訪れているけど決め手はこの冬の体験ツアーということなのでしょう、我が家のオープンハウスの後には雪かき体験なども企画されていたようで、これらの体験から前向きに移住を検討していただければ良いなと思いました。

先日送られて来た町の移住促進協議会の会報によると、本年度はこれまでに51組76名の方が移住されているようです。思いの外多い数字で、インバウンドのオーバーツーリズムではありませんが、もしかすると美瑛にそういうブームの予兆でもあるのかと思ってしまいました。

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富良野やすらぎの刻(とき)第71夜

2025-01-26 07:47:13 | 日記

昨日は、毎月恒例の「富良野やすらぎの刻」があり富良野へ出かけて来ました。脚本家倉本聰さんの作品鑑賞とトークショーに初めて出かけたのは2023年7月でしたから、もう1年半ほぼ毎回通っていることになります。倉本さんもこの1月で90歳になられたということで、健康状態からはこの企画がいつまで継続されるか心配しながらの参加です。

この文章の説明は末尾に

昨日の鑑賞作品は、倉本さんの脚本ではなく、北海道文化放送制作の富良野塾に関する2つのドキュメンタリー番組でした。1つは1988年に放送されたもので、富良野塾の開塾後4期生を募集した時に応募して来た61歳の「遅れて来た青年」をメインにした創設期の苦労や塾に集って来た若者一人一人の思いや生き方を追ったものであり、もう一つは1990年に放送された6期生達の富良野市内の老人ホーム入居者たちとの交流を中心に、雪の中を一人黙々と歩く98歳の女性からどういうストーリーを書けるか塾生達に課す「歩く老人(ひと)」でした。

富良野塾は、1981年に放送されたTVドラマ「北の国から」に触発されて多くの若者が富良野で何かをしたいと倉本さんに思いを寄せるようになったことに応えて、彼が熟慮の結果生み出した前例のない役者、脚本家養成塾でした。2年間共同生活を送り、生活費も授業料もなく、昼間は援農に出て生活費を稼ぐグループと住まいや稽古場や劇場を自分たちの手で作り上げるグループに分かれ、夕食後の7時から10時50分まで倉本さんの授業と稽古が行われると言う過酷なものだったそうです。倉本さん夫妻も塾生達の生活を支えるために農家が廃棄する野菜を拾いに出かけたエピソードなども話していました。

富良野塾は1984年に開塾してから25期生380人を要請して2010年に閉じていますが、その後も「富良野GROUP」や「富良野塾OBユニット」などが結成されて現在も富良野を中心に演劇活動が継続されています。昨日のトークショーも毎回おなじみとなった司会の森上千絵は8期生、久保隆徳は11期生など現在富良野GROUPに属する人達が倉本さんから当時の思い出話、裏話を聞き出していました。

昨日の会場には当時の富良野塾を取材した雑誌記事などが展示されていましたが、写真撮影禁止ということで冒頭に載せたのは富良野塾創立あたって倉本さんが寄稿した文書が木製ハガキとなって売られていたものの写真です。

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