これだよ、こういうところがスゴイんだよ、夏菜子ちゃんは。
もう理屈などいらん。ただただ笑って欲しい。今の時代にこそ必要な二人。
20分ほどあるけど、観て損はしないよ。
たぶん......(笑)。
これだよ、こういうところがスゴイんだよ、夏菜子ちゃんは。
もう理屈などいらん。ただただ笑って欲しい。今の時代にこそ必要な二人。
20分ほどあるけど、観て損はしないよ。
たぶん......(笑)。
うーむ、結局映画『Ribbon』を劇場で観ることができなかった。スケジュール調整がつかなかった。残念!
まあ仕方がない。いずれWOWOWでもアマプラでもようつべでも、観る機会はあろうて。ホントは映画というのは劇場で観るべきもので、あの大画面で大音量で観るべきだと思っているのだが、どうにも今度ばかりは仕方ない。
それにしても、東北での公開期間がわずか1週間って!?過酷すぎるわ!!!何故だー???😢👊
稀代のエンターテイナー、タモリさんが、某番組で1時間近く無言だったことが話題になっているらしい。
芸人さんがなにも喋らないという行為に込められた意味。深いねえ。なーんて、こういう分かった風なことは言わないってことかな?
自重自重。
昨今はあのビートたけしでさえ炎上の対象となるというのに、タモさんだけはほぼ神格化されているよね。タモさんはもはや、
生きた伝説だ。
タモリ『SOBAYA』
遡ること40年以上前、この曲がラジオから流れてきたときに感じた衝撃は、未だ忘れられない。
ワールド・ミュージックに造詣の深いタモリさんだからこそできる、アフリカン・ミュージックへのリスペクトを込めた、大変レベルの高いパロディ。日本中の芸人さんでこんなことができるのはタモさんだけ。
タモリさんって
凄いんだよ。
あの「rockin'on」誌が、ヘヴィ・メタルの特集記事を組んでいる。
時代は変わった。
まあ、しれっとした顔してよくできるなあ、なんてことを思いつつも
悪口は
言わない言わない。言いたいけど(笑)
言わない言わない。
ただただ、時代の変化を噛みしめよう。
この世に絶対はない、必ず変化していく。だから、
今がどんなに辛くとも、明日を信じて
進もうぜ。
人生は ワンツーぱんち~♪
2003年のドイツのテレビ番組で放送された映像のようです。
中世、村祭りが行われているところに偶々通りかかった漂泊の音楽一座が、祭りに招待されて、野原の真ん中で村人たちに囲まれながら演奏している、みたいな設定だろうか。
リッチー・ブラックモアという人は、Deep PurpleやRainbowで一世を風靡したハード・ロック界のカリスマ的ギタリストですが、実はクラシックが大好きで、中世の吟遊詩人に強い憧れを持っているようです。
中世風の衣装に身を包み、野原の真ん中で演奏するなど、リッチーにとっては憧れのシチュエーションなのかもしれないね。
だから、19年も前の映像にも関わらず、公式というかたちで発表したのかもしれない。
リッチーお気に入り、なのでしょう。
これで、演奏もライブそのままだったらもっと良いのだけどなあ。
こういうのを見ていると、リッチーの前世は本当に吟遊詩人だったのかもしれないと思えてくる。音楽への情熱止み難く、今生でも音楽の世界に身を投じた。
なーんてね。
ロマン、ですねえ。
奥さんのキャンディス・ナイトも綺麗だ。
それにしても、リッチーのアップがほとんどないのはどういうわけだろう?その代わりにベースの人がやたらとアップになる。まあ、リッチーは演奏中にカメラに寄られるのを極度に嫌うと聞いたことがあるから、その点を慮ってのことだろうか。でも知らない人が見たら
ベースのおじさんをリッチーだと、勘違いするよなあ。
違うからね!リッチーは画面右側でギターを弾いている人だからね!
間違えないように。
TBSドキュメンタリー映画祭という奴で、東京の映画館では上映されるらしいですが、地方に回ってくることは、まあ、ないでしょうねえ。
こういう時、地方民は不利だ。
それはともかく
女性アイドルに必ずと言っていいほどに立ちふさがる、年齢という壁。
私などはあまり気にしないのですが、世の中には色々言う方々もおられるし、これからももクロには、そうしたある種の「プレッシャー」のようなものが、望むと望まざるとに関わらず、圧し掛かっていくのだろう。
「いつまで続けるつもりだ?」とか
「早く結婚して幸せになれ」とか
余計なお世話だね(笑)。
基本的には彼女たち自身が決めること。まあ、本人たちの意思だけですべてが決められるものでもないだろうけど、でも基本的には、彼女たち自身の意思だ。
私としては「進めるところまで進め」と言うことしかできないし、それを見守る他はない。
いずれにしろ
これまでいわゆる「アイドルの定石」という奴を次々と打ち破り、アイドル戦国時代を生き抜き、駆け抜けてこられたのは、彼女たちだったこそ、
なのです。
このメンバーでなければももクロは成立しなかった。どこかの大所帯グループとはそこが違う。このメンバー、それは辞めていったあかりんにしろ杏果にしろ、「この」メンバーでなければももクロは成立しなかったのだ。
「この」メンバーだったからこそ、ももクロはここまでこれた。これが、後続が続かない理由でもあるだろう。ももクロは
「参考」にはならないのです。なぜならそれが
【ももクロ】だから。
ももクロは定石に嵌らない。そんなももクロをアイドルの定石で語ろうとすることなど、まるで無意味。
だからこれからも彼女たちは、定石をぶち破っていくのだろう。いや
変な期待をするべきではない、かもね。
我々ファンはただ、
見守るのみ。
動画の中の百田夏菜子の言葉に「サムライ」を感じるのは私だけだろうか。ももクロは「アイドル戦国時代」を斬り拓いた、文字通りの「サムライ」なのだ。だから、そんなももクロを支持するファンは
【モノノフ】
なのだね。
これからのももクロを、私はただただ、
見続けていきたい。
ももクロは間違いなく、日本の芸能史にその名を刻むグループだろう。いずれ「朝ドラ」の題材になるかもね。
何年後のことになるか、知らんけど(笑)。
「日本のゴジラはハリウッドに盗られてしまった!」とか、色々な考えを持つ人がいるだろうとは思います。
でもね
あれもゴジラなら
これもゴジラ
なのですよ。
すべてのゴジラは、昭和29年の、あの第1作から派生したパラレル・ワールド。あの1作目なしには、このワールドは発生し得ない。
だから
第1作への、日本のゴジラへの敬意さえ忘れなければ、それは
ゴジラ、なのです。
『シン・ゴジラ』もゴジラ。「モンスター・バース・シリーズ」のゴジラもゴジラ。
なのですよ。
その代わり、敬意のない作品はゴジラではない、というか、ゴジラだとは認められない。
個人的には、だけどね。
ローランド・エメ......とか、北村龍......とか、まあ
やめときますか。
『シン・ゴジラ』があまりに傑作過ぎたが故に、日本では続編が作り難い状況にある、ように個人的には思う。そんな中でのハリウッド版の存在は、とても有難いのです。
第1作目や昭和シリーズへのリスペクトはもちろん、特に平成シリーズへのリスペクトが篤く、日本のゴジラへの敬意と熱意がヒシヒシと伝わってくるこのシリーズは、私にとっては得難いシリーズとなっているのです。
こんな有難いことはない。
ゴジラはその姿を、その意味合いを絶妙に変化させながら、時代も国境も超えていく。その根底にある、大自然の怒りを、脅威を、人類の傲慢を伝えていく。
エンタテインメントの膜に包みながら。
やはりゴジラというのは、大自然の精霊、「神」("GOD"ZILLA)なのでしょう。
日本の神ゴジラは、時代も国境も超えて、その使命を全世界に伝えていく。なーんて
妄想です(笑)。
続編楽しみ。ああ、またしても
死ねなくなったわ(笑)。