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流れに任せて

映画『未知との遭遇 ファイナルカット版』

2022-02-14 05:25:13 | 映画

映画『未知との遭遇』には3種類のバージョンがあります。

1977年に公開されたオリジナル版の『未知との遭遇』

このオリジナル版に、カットされていたシーンを加え、シーンの順番を入れ替えたりなど編集しなおした、1980年公開の『未知との遭遇 特別編』

そしてこの『特別編』をさらに編集し直した、2002年公開の『未知との遭遇 ファイナルカット版』。

 

1977年と言えばあの『スター・ウォーズ』が公開された年でもあり、日本では『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版アニメが公開された年でもあります。それまで世間一般では1段も2段も低く評価されていたSF映画や特撮映画、アニメーションなどの評価が変わっていく契機となる作品群が公開された、エポックな年であったといえます。

 

内容を簡単に要約しますと、アメリカのとある田舎町に住む冴えない電気技師のロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)は、停電の原因調査のため夜の町に出ていた時、数機のUFOとパトカーとのチェイスを目撃してしまう。その時以来、奇妙な岩山の幻影が頭から離れず、その岩山が「デビルズタワー」という岩山であることを知り、そこへ向かいます。そのデビルズタワーの麓には政府による秘密の施設があり、政府側と宇宙人との世紀のコミュニケーションがとられようとしていた......。

 

オリジナル版では、UFOや宇宙人の存在を隠蔽しようとする政府の陰謀と、それに立ち向かう一般庶民みたいな構図が強調されて描かれていたように思います。これが『特別編』になりますと、主人公ロイ・ニアリーの社会人不適格者、家庭人不適格者ぶりが強調されます。

ロイは30過ぎの良い大人なのに子供のような男で、夢中になると人の話が耳に入らなくなり、一人勝手に突っ走ってしまうタイプ。そのため仕事場での人間関係が上手くいっておらず、奥さんとの関係も上手くいっていない。それがこのUFO目撃事件を契機として益々悪化し、とうとう仕事をクビになり、奥さんには「頭がおかしくなってしまった」と思われ、奥さんは子供たちを連れて出て行ってしまう。

UFOのせいでなにもかも失くしてしまったロイは、自分をこんな目に合わせたUFOとは何なのか、デビルズタワーにはなにがあるのかを知るため、行動をおこす。

ロイの個人的な物語が強調され、政府による陰謀の部分は若干後退した印象があります。で、この『特別編』のハイライトはラストシーンです。現場の研究責任者である、フランス人のラコーム博士(フランソワ・トリュフオー)の提案で、UFOに乗せられて相手の星へ渡る使節団の一員に選ばれるロイ。そのロイを背の低い宇宙人たちが取り囲み、手を取ってUFO母船のなかへと誘います。

宇宙人たちは何故ロイの手をとったのか?それはロイの子供っぽい性格と関係があるんです。

宇宙人たちが人間を誘拐したり、飛行機や船を消失させたりするのは、単に子供っぽい好奇心からのことでそこに悪気はない。彼ら宇宙人は子供のように純粋な善意の塊だから、だから

自分たちと同じような性格のロイの手を取ったのだと。

 

オリジナル版では、宇宙人に手を取られたロイがUFO母船に乗り込んだ後、すぐにUFOは宇宙の彼方へと飛び去って行って映画は終わります。つまりこれは、地球上では上手く生きられなかったロイという人間が、自分と同じような性格の人々が住む世界へと旅立つ物語、ロイの「救済」の物語という側面もあるんです。

『特別編』ではさらにもう一ひねり加えられて、ロイが乗り込んだUFO内部のシーンが映し出されます。

母船の内部は広大な空間があり、無数のUFOがその空間を飛び回り、たくさんの窓があってその窓から数えきれないほどの数の宇宙人たちがこちらを見ている。

この光景を目の当たりにしたロイの息遣いが荒くなります。一般的にはこれは、ロイの驚きと感動を表しているのだとされているのですが、

ちょっとまて、と私は思うんです。

本当に感動しているだけなんだろうか?

 

こんな風に自分の理解を超えた光景を目にしたとき、人間に生じる感情は、果たして喜びや感動だけなんでしょうか?

むしろこんな時、人間に生じる感情は、「恐怖」ではないでしょうか?

ロイは恐怖を感じていたんです。この時ロイは思ったでしょう、自分はひょっとして

とんでもない間違いを犯したんじゃなかろうか、と。

 

宇宙人は子供のような善意の塊、と言いました。しかし子供というのはときに、恐ろしく残酷にもなれる。

彼ら宇宙人の「真」の目的はなんなのか?スピルバーグという人は、言われているほど宇宙人を信用してはいないのかもしれない。

後年スピルバーグは、『宇宙戦争』という侵略もの映画を製作します。それまで善意の宇宙人を描き続けてきたスピルバーグが何故?と戸惑ったファンもいたようですが、私は案外、これはスピルバーグの本音なのかもしれないと思いましたね。宇宙人を手放しで信用しては

 

いけないよ。

 

さて、今回鑑賞した『ファイナルカット版』は、『オリジナル版』と『特別編』との折衷みたいな映画で、良くまとまっているけれども、前の2作に比べて、特筆すべき部分はないです。UFO母船の内部シーンは丸ごとカットされてるし、なんでこれ作ったん?という感じ。

どうせ観るなら『オリジナル版』と『特別編』を続けてみた方が面白いと思う。『ファイナルカット版』を観るよりは、その方がいい。

まあ、べつに観てもいいけど。

 

ダグラス・トランブルの撮った映像は本当に素晴らしい。45年前でも全然色褪せてない。改めて思う、素晴らしい映像作家でした。

 

冬の一日。雪で外に出られない日には、昔の映画を観て楽しむのも、

いいですねえ。

 

 

コメント (2)
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