さかざきが綴る「アンティークな日々」

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ド・ロさま巡礼の旅

2007-07-24 | 

 和食が美味しかった西海のリゾートホテルに後ろ髪を引かれつつ、今日は隠れキリシタンの町としても有名な外海地区へ。

 ここは16世紀半ばにキリスト教が布教され、19世紀半ばに開国し、再びヨーロッパから外国人の神父達が布教活動に訪れるまで、300年余かたくなに信仰を守ってきた土地。その中でも、長崎からこの外海に赴いたド・ロ神父はこの地方の貧しいことに驚き、私財をなげうって助産所や教会を建立し、数多くの事業(社会福祉・土木・建築・医療・教育文化などに奉仕)をおこない、28歳で日本に来てから1914年に74歳で亡くなるまで、一度も故郷のノルマンディーに帰ることなくこの地方の人々のためにその一生を捧げたと言っても過言でもないひとりのフランス人神父です。ド・ロ神父は、現在でもこの地区では「ド・ロさま」と呼ばれ、その深い人類愛の精神と素晴らしいフロンテイア精神は、この地方の人々の心の中に生き続けています。

 昨日の「ド・ロさまそーめん」もド・ロ神父が自ら研究し、授産所で作られたそーめんのこと。当時、授産所ではこのそーめんの他にマカロニやパンまでが作られ(19世紀末、いったいこの片田舎で誰がそんなものを食したのかと思えば、これらは長崎の居留地の外国人向けだったそう。)、他にも授産所では織物やメリヤス編みなどの製品を作っていたようです。訪れたド・ロ神父記念館では、これらの資料を見ることが出来ますが、その大半は、まるで私達がフランスで目にするアンティークのそれです。また記念館では、老シスターが当時の姿そのままの「ド・ロさまオルガン」で「いつくしみふかき」を弾いて歓迎して下さり、その音色を耳に、当時へと思いを馳せました。

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まず最初に訪れたド・ロさまゆかりの教会は大津教会。細い坂路をつたった崖の上にひっそり立つ小さな教会です。現在は使われていない様子でしたが、1893年に作られた本当にこぢんまりした愛らしい教会です。この地方では、このような石を積み重ねモルタルで固めた壁のことを「ド・ロ壁」と呼ぶそうで、その素朴な雰囲気は、どこかフランスの田舎で見た記憶を呼び起こします。

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大津教会から降りてくる小径の脇に名も無い花が咲いていました。

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角力灘に浮かぶ島々。出海に至る国道202号は、「ながさきサンセット・オーシャンロード」としても知られています。このあたりの海岸風景は絶景です!良く晴れた日には五島列島まで見えるるのだそう。いつか五島へも行ってみたいな。(五島といえば、ここも隠れキリシタンの島。さらにディープな教会があるらしい。)

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次に訪れたド・ロ様の教会は1882年に完成した出津教会。ド・ロ神父の記念館にもなっている旧助産所からも歩いてすぐ、ド・ロ神父が最も多くの時間を過ごした教会だと思われます。外海地区全体に鳴り響くという鐘は神父自らがフランスから取り寄せたと伝えられています。

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決して大きくはない素朴な教会ですが、中に入ると、それぞれの机にきちんと整頓された聖書が置かれ、貴重な文化財であるという前に、今でも大切に使われている教会だということが分かります。

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最後に足を踏み入れたのは、1920年に完成した黒崎教会。遠藤周作の「沈黙」にも登場することでも有名なこの教会は、建立までに信者自らが土を運び、整地に3年、建物の完成までに約23年の歳月が掛かっており、途中資金難に陥ったり、子供でさえ煉瓦を積むのを手伝ったり、と苦難の連続であったらしい。

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中に入ってみると…内部はゴシック調のこうもり天井。シンプルでカラフルなステンドグラスに「こういうステンドグラスも可愛いね。」

 ド・ロ神父ゆかりの教会をまわったこの日、キリスト教を信心している訳ではない私達なのだけれど、何か暖かいものを感じた一日でした。また、終日目を楽しませれくれた角力灘の美しい風景に、どこぞの総理大臣が「美しい日本」と連呼しているけれど、「日本は十分に美しい!」と思ってしまいました。外海地区の仕上げに立ち寄った道の駅で実際に食べた「ド・ロさまそーめん」、とても美味しかったです。道の駅では こんな本を入手。早速読破してしまいました。同じく入手したこちらも長崎の教会を巡る旅には必読です!

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