中秋の名月

 昨日の中秋節の夜は、しばらく曇りがちだったけれど、やがて雲が千切れて吹き流されていって、雲の海から浮き上がるように白い月が出た。
 月夜は、晴れ渡った空よりも、千切ったような雲がいくらか流れている方が好きである。雲の上の部分が月明かりに照らされて薄く光っているところや、月の前を横切った雲が透けて見えるところなどが好きである。
 学校の古典の時間に習った和歌の中に、流れていく雲の合間に見える月の光を詠んだものがあって、その透明で清らかな世界がとても印象的で、その頃の手帳に書き写しておいたのだけれど、今ではもう忘れてしまった。
 中秋の名月というものを、今まで意識して見たことは数えるほどしかないけれど、その中で、もっとも印象的だったのは、二十代のはじめに、京都国立近代美術館の建物の中から見た月である。その日は金曜日で、美術館では毎週金曜日だけ、普段は5時に閉めるところを、7時か、8時頃まで開けている。日が暮れる頃に美術館に入って、そのときにやっていた小牧源太郎展を見た。民俗信仰、土俗信仰のモチーフが増殖していくような、シューレアリスム的な絵画の数々に気おされてそのフロアを出ると、吹き抜けになった階段の全面ガラス張りの向こうに、東山から上ったばかりの巨大な月があった。異常なほど大きく、また明るかったので、しばらくは目が離せなかった。特別な月に見えた。シューレアリスムの刺激を受けたところだったからかもしれない。
 「月、雲」という言葉を頼りに、昔手帳に写していた和歌を探してみた。新古今集に収録されている、左京太夫顕輔という人の歌で、「秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の かげのさやけさ」であった。いま見ても、やっぱりきれいな歌だと思う。
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