つい最近のこと、知人が家の中の階段を降りていて、
あと2、3段というときに踏み外して足首を骨折しました。
10年ほど前にも、友人が自宅の玄関先の階段を踏み外し、
かかとに複雑なヒビが入ってしまったことがあります。
こちらもあと1、2段だったそうです。
生協の共同購入で配達された卵を、
数軒で分けるため両手に持って降りていたんだとか。
お二人とも日頃からゴルフやウォーキングに勤しんでいる方です。
両手に物を抱えて階段を降りると、足元が見えないんですよね。
どちらも歩行に重要な部分で体重がかかりますから、痛烈な痛みがあったそうです。
ここからは私の、ちょっと気が抜けた骨折話。
骨折したのはいままで2回、いずれの場合もそのときは全く痛みがなく、
骨が折れたという実感はありませんでした。
初めて骨折したのは20年近く前のこと、鎖骨骨折でした。
骨折部がズレなかったためか、痛くも何ともなかったのです。
しかしこれは、骨折した地域がまずかった。
ところは中国奥地の辺境地、日本から3日間かかる(現在は2日間)山奥。
雲南省の北東端にある、ロコ湖(ルグフ)岸辺の村で、
モソ人の妻問い婚の調査をした帰りでした。
高地にある調査地からの帰路は下り坂の連続、
運転手はガソリン代を節約するため、「ニュートラル」で一本道を下って行きます。
ギアがニュートラルに入っているのに気づき、
惰性が加わり猛スピードで走る恐怖におののいていたその矢先、
前方から人民解放軍のジープが登って来ました。
「あっ、正面衝突!」
と思ったものの声が出ません。
運転手は、とっさにハンドルを右に切り車は土手下に。
左側は山なので、右側通行の中国ではこちらが土手下に落ちる以外ありません。
途中で質の悪いコンクリートの電信柱をなぎ倒し、スピードが落ちたのが救いでした。
このとき後部座席には三人、左端に私の相方、中央に通訳、右端に私でした。
スピードが落ちた車は右回転で横転し、裏返しになって止まりました。
横転の瞬間、哀れ私の肩に隣2人分の体重が一気にかかり、鎖骨が折れました。

土手下に横転した私たちが乗っていた車。上の道にあるのは相手のジープ。
画像にはないが、さらに右には細いコンクリートの電柱が倒れている

私たちの車の運転手さん、車をのぞき込んで「あぁ、これからどうなるんだろう・・・」と呆然
人民解放軍は事故の相手が外国人と知り、
「だいじょうぶか?」と、さかんに訊いてきます。
(一般中国人にはいつも横柄なのに、外国人と知り慌てたようです)
「没関係! 没関係!(だいじょうぶ、だいじょうぶ)」
私は元気に答え、一眼レフで状況を撮りまくっていました。
ところが、彼らと別れたあと1時間もすると、じっくり痛みが襲ってきて、
その後は「痛い、痛い」の連発、そのうち痛みで声も出せない状態に。
3日後にようやく帰国し大病院の救急にかかるまで、
大変な労力と痛みに耐えることになったのです。
さて、2回目はいまから5年前、実家のある静岡市でのことでした。
スーパーの駐車場で車を降り、勢いよく入り口に向かっていたとき、
車止めに気づかずに蹴つまづき、派手に前のめりに転倒。
倒れた瞬間、左手を地面に着きました。
このときも全く痛みを感じなかったのですが、左手の小指が動きません。
絶対に折れていると確信した理由は、
倒れた瞬間、左手の小指が裏返って手の甲にぴたりと着いてしまったから。
これは、人間の手ではあり得ない形。
1回目の骨折時に無痛だった経験から、これは折れたと確信したのです。
「買い物どころじゃない!」
折れた小指を立ててハンドルを握り、
119番で教えてもらった、日曜担当医の元に車を走らせました。

左/静岡での応急処置。
右/レントゲン写真。下半分は手の甲、上の左端小指の根元が骨折(気持ち悪い人は見ないでくださいね)
1、2回目とも、事後のリハビリは大変でしたから、
もう骨折はクワバラくわばら。
最近よく聞くのは階段の踏み外しです。
それも、あと数段という気の緩みから来るものが多い。
『徒然草』の「高名の木登り」で、
木登り名人が言う「過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつる」
危なくないところになって気が緩み、ミスが起こるのは今も昔も同じ。
階段で言えば、あと2、3段というところでしょうか。
現代もこの教えを肝に銘じ、階段は最後の数段にご用心。
『徒然草』 木登り名人(一〇九段)
高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」 と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
あと2、3段というときに踏み外して足首を骨折しました。
10年ほど前にも、友人が自宅の玄関先の階段を踏み外し、
かかとに複雑なヒビが入ってしまったことがあります。
こちらもあと1、2段だったそうです。
生協の共同購入で配達された卵を、
数軒で分けるため両手に持って降りていたんだとか。
お二人とも日頃からゴルフやウォーキングに勤しんでいる方です。
両手に物を抱えて階段を降りると、足元が見えないんですよね。
どちらも歩行に重要な部分で体重がかかりますから、痛烈な痛みがあったそうです。
ここからは私の、ちょっと気が抜けた骨折話。
骨折したのはいままで2回、いずれの場合もそのときは全く痛みがなく、
骨が折れたという実感はありませんでした。
初めて骨折したのは20年近く前のこと、鎖骨骨折でした。
骨折部がズレなかったためか、痛くも何ともなかったのです。
しかしこれは、骨折した地域がまずかった。
ところは中国奥地の辺境地、日本から3日間かかる(現在は2日間)山奥。
雲南省の北東端にある、ロコ湖(ルグフ)岸辺の村で、
モソ人の妻問い婚の調査をした帰りでした。
高地にある調査地からの帰路は下り坂の連続、
運転手はガソリン代を節約するため、「ニュートラル」で一本道を下って行きます。
ギアがニュートラルに入っているのに気づき、
惰性が加わり猛スピードで走る恐怖におののいていたその矢先、
前方から人民解放軍のジープが登って来ました。
「あっ、正面衝突!」
と思ったものの声が出ません。
運転手は、とっさにハンドルを右に切り車は土手下に。
左側は山なので、右側通行の中国ではこちらが土手下に落ちる以外ありません。
途中で質の悪いコンクリートの電信柱をなぎ倒し、スピードが落ちたのが救いでした。
このとき後部座席には三人、左端に私の相方、中央に通訳、右端に私でした。
スピードが落ちた車は右回転で横転し、裏返しになって止まりました。
横転の瞬間、哀れ私の肩に隣2人分の体重が一気にかかり、鎖骨が折れました。

土手下に横転した私たちが乗っていた車。上の道にあるのは相手のジープ。
画像にはないが、さらに右には細いコンクリートの電柱が倒れている

私たちの車の運転手さん、車をのぞき込んで「あぁ、これからどうなるんだろう・・・」と呆然
人民解放軍は事故の相手が外国人と知り、
「だいじょうぶか?」と、さかんに訊いてきます。
(一般中国人にはいつも横柄なのに、外国人と知り慌てたようです)
「没関係! 没関係!(だいじょうぶ、だいじょうぶ)」
私は元気に答え、一眼レフで状況を撮りまくっていました。
ところが、彼らと別れたあと1時間もすると、じっくり痛みが襲ってきて、
その後は「痛い、痛い」の連発、そのうち痛みで声も出せない状態に。
3日後にようやく帰国し大病院の救急にかかるまで、
大変な労力と痛みに耐えることになったのです。
さて、2回目はいまから5年前、実家のある静岡市でのことでした。
スーパーの駐車場で車を降り、勢いよく入り口に向かっていたとき、
車止めに気づかずに蹴つまづき、派手に前のめりに転倒。
倒れた瞬間、左手を地面に着きました。
このときも全く痛みを感じなかったのですが、左手の小指が動きません。
絶対に折れていると確信した理由は、
倒れた瞬間、左手の小指が裏返って手の甲にぴたりと着いてしまったから。
これは、人間の手ではあり得ない形。
1回目の骨折時に無痛だった経験から、これは折れたと確信したのです。
「買い物どころじゃない!」
折れた小指を立ててハンドルを握り、
119番で教えてもらった、日曜担当医の元に車を走らせました。


左/静岡での応急処置。
右/レントゲン写真。下半分は手の甲、上の左端小指の根元が骨折(気持ち悪い人は見ないでくださいね)
1、2回目とも、事後のリハビリは大変でしたから、
もう骨折はクワバラくわばら。
最近よく聞くのは階段の踏み外しです。
それも、あと数段という気の緩みから来るものが多い。
『徒然草』の「高名の木登り」で、
木登り名人が言う「過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつる」
危なくないところになって気が緩み、ミスが起こるのは今も昔も同じ。
階段で言えば、あと2、3段というところでしょうか。
現代もこの教えを肝に銘じ、階段は最後の数段にご用心。
『徒然草』 木登り名人(一〇九段)
高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」 と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
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