古里公園内にある
斎宮歴史博物館で
開館35周年を記念した春季企画展
「源氏物語と斎宮―王朝のきらめき 光る君の栄華―」
を楽しんだ後には
常設展へと…
JAFカードをみせれば、入場料割引か!と思えばそうじゃなくて
この缶バッチがいただけました…
なんか嬉しさは微妙…
さてさて館内に入ると
すぐにスタッフが、まもなく映像プログラムが始まります~とのことだったので
映像展示室へと
プログラムは、
平安時代の斎王の旅を再現した映像「斎王群行」というドラマ
実際の群行に付き従った貴族、藤原資房の日記「春記」をもとに、朱雀天皇の第一皇女、良子内親王が斎王に選ばれ、発遣の儀から斎宮への到着までを中心に描いた映像
斎王は天皇の崩御や身内の不幸などに遭うと
その任を解かれて交代することになる…
その後任の決定は「卜定」(ぼくじょう)によって行われたとか…
亀の甲羅や獣の骨を焼いてできたひび割れから神意を読むという占いで…
いやあ、実に怪しい…決め方だったようで
良子内親王は、1036年斎王に卜定され、1037年野宮入り、翌1038年に伊勢へ群行した…その模様を描いたドキュメントふうのドラマで、この時、良子内親王は十歳であったとのこと
1038年、伊勢に下向することになった良子内親王は桂川で禊を受け、内裏にて発遣の儀に
良子内親王は父、後朱雀天皇より前髪に「別れの御櫛」をさしていただく…
10歳での父との別れ…この場面は実に印象的でした…内裏を退出していく際、斎王は決してふり返ってはならないのが約束事だったようで
発遣の儀を終え、内裏を退出した良子内親王は、「葱花輦」と呼ばれる輿に乗り、女官や役人約五百人と共に伊勢に下向する
これが、この映像のタイトルでもある
「斎王群行」
斎宮までは五泊六日の旅だったよう
宿泊する五箇所の宿泊所を「頓宮」と呼んでいたよう…
まず宿泊するのが近江の勢多の頓宮…ここで良子内親王は乳母に「別れの御櫛」を外してもらう
斎王は、その後、甲賀・垂水・鈴鹿・壱志の頓宮を経て斎宮に向かう
それぞれの頓宮によって、おもてなしは、さまざま「月とすっぽん」
さらに、最大の難関、鈴鹿の峠越え
イロイロ大変なこともありつつ、斎王の行列はようやく斎宮に到着
しかし、到着した当日は日が悪く、斎宮に入るのを1日延ばさなくてはいけなくなる…
最後の最後まで「斎王群行」は、大変なことが襲い掛かったようで
ラストは、17歳になった良子内親王が歌を詠む場面
斎宮に入って7年経過したとき、父、後朱雀天皇が病気のため退位したという知らせが都から届く…これによって良子内親王は斎王を退下することになる…
やがて天皇は崩御される…
「斎王群行」がよーくわかる映像で…この映像はエエゾー
さて、その後は展示室へと
みたものを、さ、言おう(さいおう)
まずは、エントランスで
先程立ち寄った
「さいくう平安の杜」の模型
正殿の模型がガラスケースの中に
博物館の下には何がある??
な、なんと弥生時代から室町時代の遺跡が埋まっているようで
だから杭(くい)を打って、悔い(後悔)しないように…
杭のない(悔いのない)建物の構造にしてるんだって
こちらが、このハコモノの看板娘
「斎王」さま
顔出しはNGのようで
最初に入った展示室は
「文字からわかる斎宮」のコーナー
斎王制度が整い最も繁栄した平安時代を取り上げ、「斎王」が選ばれて伊勢に赴き、都に帰るまで流れを、『延喜式』をはじめとする文献史料を手がかりにして紹介するコーナー
斎王制度の流れをビジュアルにて理解することができちゃう
先程見た映像の元の絵??
「斎王群行絵巻」
斎王が都から斎宮に入るまで乗った輿
葱華輦(そうかれん)
さてさて、B級スポットにありがちな
等身大人形3連発
武官の等身大人形
武官の背中
貴族の男の子
童男の等身大人形
人形の顔は女性っぽい!!
童女の等身大人形
特にツッコミどころのない
3連発の等身大人形たち
都を出る斎王
さてさて展示室で一番目を惹くのがこちら
斎王の居室をリアルに再現
原寸大の斎王居室復元模型(十二単姿の斎王と命婦の人形や調度)
奥の上位のお方が斎王さま
餌袋
お菓子を入れておく袋ですな
映像展示「斎王群行」の中で、使われていました
斎王の食事
私の食事がまだだったことにここで気づく
正月の食事
ここでまた、私の食事がまだだったことを再確認する…
斎王と神宮の祭りのジオラマ
伊勢神宮での斎王の儀式の再現は、ここの映像で…
映像は…エエ…(しつこいから言わないよ)
長くなっているので次回に続く…
また明日
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