三重県松阪市で生まれた私ですから
小学生低学年の時から
本居宣長の名前だけは知っていた…
何をやった人なのか全然わかってなかったけど
松阪城址にある「鈴屋」(すずのや)に初めて行ったときのこと
「鈴」が鳴ってさぞ賑やかかと思いきや、おんぼろ家が建っているだけで、がっかりした記憶が…
でも郷土の偉人ということで
本居宣長の存在は、間違いなく私にとって身近な存在であって
やがて、難解不能だった「古事記伝」を解読したんだ
国学の一人者だったんだ…ということを知ったのは中学生の頃
さてさて
今回、遊びに来ている浜松で
私の尊敬すべき
本居宣長の先生であった
賀茂真淵さまが神様になって鎮座している神社があるんだな
尊敬する本居宣長の先生ですよ!先生!!!
本居宣長が大いに影響を受けた大先生ですよ!!
郷土の偉人本居宣長が大いに影響を受けた大先生が神様でおられるなら
なにがなんでも参拝しておかないと
ということで
縣居神社
実は、この神社の境内にある「賀茂真淵記念館」に立ち寄りたかったんですけど
訪ねたときは運悪く休館日…残念!!
ということで、今回のレポは
縣居神社参拝記ということで
大鳥居…をとりいそぎ紹介して
この御朱印の掲示の横に
小さくご祭神や由緒の紹介が
1839年(天保10年)に創建された…国学者高林方朗や当時の浜松藩藩主水野忠邦の尽力により東伊場賀茂神社の境内摂社「縣居翁霊社」として建てられたのが始まり
1884年(明治17年)に「縣居神社」に改称
1920年(大正9年)に現在地に移転するも、1945年(昭和20年)の空襲で社殿は焼失
1984年(昭和59年)に再建されたとのこと
では、まず手水舎で手を浄めまして
新型コロナウイルス感染症が流行った頃に、絶滅危惧種になっていた
柄杓
こうしてときどきみられるように、なってきましたね…
「参道」の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれており、神様の進まれる道なんだそうな…
お参りする私たちは「正中」をさけて、道の端を進むのが、正しい参拝の仕方
「参道」の真ん中を歩くと、神様とぶつかっちゃう
ま、ぶちかっちゃう(ぶつかっちゃう)
「賀茂真淵(まぶち)」だけにね…
「二の鳥居」
参道の「真ん中」を歩かないように…
拝殿の手前には
縣居翁霊社碑
石碑「縣居翁霊社」の文字は、浜松藩主であった水野忠邦の書を刻んだもの
裏書には「天保癸己8月末学領主侍従源朝臣忠邦」と刻まれている
では、拝殿にて「二礼二拍手一礼」
「学問」の神様とのことだけど
もうこの歳になると、受かるテストもないものだから
せめて「ボケ防止」の願掛けをば
境内には歌碑の石碑がいくつか
並んでいまして
「大御田の みなわもひちも かきたれて とるや早苗は わが君のため」
賀茂の歌碑
参拝後にふと思った…
賀茂真淵って、何をした人かなって
ググってみると
賀茂真淵は、江戸時代中期の国学者、歌人…
出生地の敷智郡にちなんだ雅号で、淵満とも称し、 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされた人物なんだって
最後に感想を一言
縣居(あがたい)神社が参拝出来て、実にあーがたい(ありがたい)」
賀茂真淵は
たぶん、浜松では、まっ、ぶっちぎりの人気のある偉人だったに違いない