新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

道後公園になっている湯築城址を散策する…前篇

2024-05-13 05:39:01 | 歴史史跡

私のライフワークである???
(いつから??)

城址を巡るシリーズ…

なんせ
私「城マニア」でありますので…

それも…ただの「城マニア」ではなく…

石垣や土塁などの遺構をみて
古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…

「妄想城址マニア」


妄想の中で
築城し放題…
妄想の中で…
姫に囲まれ放題???


…笑…である私が道後に行ったときに
ここは外せないと思った城址が

今や「道後公園」になっている

「湯築城」

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明治時代になってからは公園や植物園として整地され、さらには昭和の時代には動物園だったんだって…

でも1987年、動物園が移転したことをきっかけに発掘調査が行われ、イロイロな遺物や遺構が発見されたことで、2002年には国史跡となり、日本100名城や日本の歴史公園100選にも選ばれている

この「湯築城跡」

城址マニアの私が、当然、行きたくなる訳でして

さてさて、湯築城は、中世に伊予国の守護であった伊予国守護河野氏が約250 年間にわたって本拠としていた城でして
伊予国守護河野氏は源平合戦で源氏方として功績を挙げたことから、鎌倉幕府の有力御家人として伊予国の支配権を確立し、室町時代以降、伊予国守護河野氏の伊予統治の中心となる

戦国時代には河野弾正少弼通直が湯付堀(外堀)を築き、二重の堀と土塁をめぐらしたより堅固な城となった…
しかし、1585年に豊臣秀吉の四国攻めによって、河野氏最後の城主河野弾正少弼通直は、小早川隆景に湯築城を明け渡し、ついに河野氏の伊予支配は終わる…
その後、秀吉配下の大名福島正則が城主となるが、やがて、国分城址に居城を移したため、廃城となったよう


江戸時代には、関ヶ原合戦での戦功が認められて入国した加藤嘉明が、松山城を築造し始める…その際に、湯築城の建材が使われたんだって…

公園をぐるっと一周してみる
石垣や天守がなくて、小高い丘を中心とした地形を利用した平山城


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公園として整備されちゃっているので、そのまんまじゃないけど、内堀と外堀および土塁らしくものが分かるし、私のような「妄想城マニア」にはたまらないこの湯築城
もう歩いているだけで、テンションがあがる!あがる!!

内堀&内堀土塁


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堀マニア、土塁マニアにはたまらない!

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植物園、動物園だった時代があるので、そのまんまではないけど…
まあ、街の中の城址で、公園となっても
こんな感じで遺構が感じられるのは嬉しい限り

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見ようによっては、土塁のような
動物園工事の際に、積み上げられたものかも知れないけど

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堀にはかめ
めちゃ歓迎してくれてるかのよう
「やっとかめ」???初対面やないか

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内堀に沿って歩くと、日本庭園らしいこの光景

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湯築城とは関係ないけど
道後湯之町の初代町長として道後温泉本館の建築の実現に努力した伊佐庭如矢さんの頌徳碑

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さてさて、続いては公園内、即ち、城址内にある

「湯築城資料館」へと

元々この区域は、現在は砥部町にある「とべ動物園」の前身・道後動物園があった場所でして、この動物園が移転された後、ここらへんを発掘したらいろいろな出土品があったようで、どうやら、それらが展示してある…そんな「湯築城資料館」
ここ嬉しいことに、入場無料!!タダ!タダで入れちゃう!!

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ハコモノの手前には
顔ハメパネル
河野弾正少弼通直をイメージしてるのか福島正則をイメージしてるのかわかりませんが
べっぴんさんを口説こうとしている単なるエロオヤジと化していますなあ…



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さてさて「湯築城資料館」
入ると、足元がガラス張り
そこは「最大土坑」といって
巨大なゴミ捨て場があったらしい…
ちなみに、これは復元のようだけど…

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湯築城址のジオラマ

すなわち、道後公園のジオラマ
どうせ、復元模型をこうして作るなら
湯築城の建物があった状態のジオラマがみたかったけど
復元できるだけの資料が残っていないのかも知れないな

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発掘の際に出土した陶器や食器などが展示されており、城主の河野氏の概要などもパネル等で分かりやすく…備前や瀬戸などで製陶されたものが数多く出土されており、河野氏の海上交易の凄さを感じますなあ…

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目玉と思えるほどの馬鹿でかい大甕
これ、備前焼の大甕

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湯築城の構造が書かれている解説版

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湯築城について、もっと詳しくなれる解説板


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「湯築城資料館」のそばには
「土塀」まで復元されてて…一応、驚いてみる!!「どへぇ~い!!」…汗

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続いては復元「武家屋敷1」へと
この武家屋敷は発掘で分かった当時の建物の基盤に基づいて復元したお屋敷
おそらく500年前の武家屋敷は、こんなふうだったと
この「武家屋敷」もタダで覗けちゃう!!

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中に入るとビックリ
B級スポットにありがちな等身大人形が…
500年前の武士の人たちでしょう…

さすがに500年前の人間ってこともあってか、血の気も失せて…顔面蒼白ですなあ

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左奥の人だけ烏帽子を着けていません!!そして不貞腐れているかのように横向いて…
帽子(ぼうし)をどこかに置き忘れてきたのでしょうか…


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もの忘れ防止(ぼうし)に心がけなきゃ!

…と言っているような


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この図でわかりました…
子を忘れて、不貞腐れている感じのこの方は
坊(ボー)さん…ボーとしてなくても、おボーさん


この…お勝手(台所)にいる方は使用人とのこと
どうりで、武士がかぶるような帽子がない訳だ

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この方は(そうしょう)、連歌の師匠とのこと

目つきがちょっといやらしい…
なにか悪だくみを相談されて、そうしょう…もとい、そうしようと頷いているみたい


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庭には、穴ぼこが

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さらに、こちらは

円形石積遺構
井戸にしては浅すぎる
やっぱ、トイレ跡でしょうか…

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残念ながら、解説文は風化して判読不能

こちらは、排水溝の復元

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以上「武家屋敷1」を後にして

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内堀の土塁


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綺麗に草が刈られています…あまりにも綺麗すぎる土塁
これも、復元でしょう…

 

この後は

「武家屋敷2」…武家屋敷の続編へと???

 

といったところで、ブログが長くなっているので

今回は、ここでおしまい

また明日!!!