新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

藤原鎌足公に会いに??談山神社を参拝する…

2024-01-16 05:42:51 | 歴史史跡

大化改新での談合の地

藤原鎌足公と中大兄皇子とが、この山で国家改新の密談を交わしたことから、「談い山」と呼ばれ、これが社名の起こりとなっている

奈良県桜井市の飛鳥の東方の山、多武峰の山中にある

談山神社を参拝する

ご祭神は藤原鎌足公

もうけっこうな山の中…わざわざ…こんな山の中にきて、藤原鎌足公と中大兄皇子が密談しにこなくても、桜井市の街のスタバでも十分なのに…なんて勝手に想いながらも…竹林は、なんか京都の嵐山にいるようなイメージ

第1駐車場へ車を停めて、この談山神社徒歩入口の案内看板どおりに、徒歩とほとほ

石段を降りたら談山神社かと思えば、まだ違いました…

この案内板に従って左に折れると、左側に昭和っぽいお土産屋さん等が立ち並び、

右側には後醍醐天皇寄進の「石燈籠」

それを越えると立派な御神木がそびえたち、その右側に境内に入る門が…

その右側に境内に入る前にある石標が

これが境内案内図…かなりセピア色に妬けてるのが、歴史を感じさせます…といっても昭和の匂いですけどね

一方で、こちらは「令和」を感じさせる真新しい案内板

タッチパネルのディスプレイだよ!!

新しそうな真っ赤で目に留まる手水舎

大きな石の鉢、自然石をくりぬいたような形の手水舎になってなってました…

龍の口からは勢いよく…水が流れてる

このご時世ですので、手を浄めるだけでなく…ひょっとしたらへばりついているかもしれない新型コロナウイルスを洗い流してと…

ここで、入山受付、600円を納めます…

ここにあった境内案内図は「平成」を感じさせるものでした

大きな鳥居をくぐると強烈な石段が

ひぃひぃふぅふぅ…神様にお会いするために…ひぃひぃふぅふぅ…

 

途中にある御神木「夫婦」にもパワーをいただきながら

 

夫婦円満を願いつつ…遊びスギで、愛想つかれないようにと

ひぃひぃふぅふぅ…神様にお会いするために…ひぃひぃふぅふぅ

ここで、ひとまず息を整えて…

石垣がまるで、城跡のようで

さらに、この石段を登って、まずは本殿へと

 

 

とその前に…この石段を登った正面には

西宝庫

その右手側…ここにも手水舎がありました…

おお、今のご時世には珍しい柄杓が…

先程、ここまで登る手前の赤い鳥居あたりで手を浄めましたが…ここでもう一度、心を浄めて…邪念ばかりの心を浄めて…

さすがに、新型コロナウイルスは、ここまで石段を登ってくる途中には「夫婦杉」に触れただけですので、へばりついてはいないやろ…

さて、いよいよ神様とご対面…

本殿へと

ご祭神は
藤原鎌足公

かつては
妙楽寺というお寺と一体だったけど
明治初めの神仏分離令後、
神社だけが残り「談山神社」と改称

この本殿は701年の創建、現在のこの本殿は1850年のものとのこと

自然の中に溶け込んでいる朱色の楼門が実に色鮮やかで

 

ここでは靴を脱いで拝殿の中に入ることができます

いやあ、実に神々しい世界観…

左側奥に本殿がみえます…

正面奥に本殿

本殿と拝殿とは渡り廊下に囲まれて中庭風になっています

ここにて、二礼二拍手一礼

 

「令和の改新」とも思える物騒な出来事が次々と起こる昨今…

プーチン、旧統一教会と結びついてる自民党、オリンピック賄賂

悪いことをした人たちが「改新」もとい「会心」しますように…

穏やかな…穏やかな…日々が訪れますようにと

私も冷蔵庫に入ってた見覚えのない高級洋菓子を無断で食べてしまったことを「改新」もとい「会心」しながら

その後は

透廊(とうろう)とおろう

外廊下に並ぶ吊り燈籠が美しい

青モミジも鮮やかで…一度秋にも訪ねたいと心から思う…

もう、時間が許すなら、ここで、ずっとボーと佇んでいたいほど

拝殿内には大太鼓

増賀上人の像

多武峰縁起絵巻によれば、増賀上人は多武峰(現在は談山神社)の中興の祖であるとのこと…

私、名前は宇治拾遺物語で知ってました

気性が激しく、厳しい人で、名誉と蓄財から逃れて、人とは違った行動をとり、宮中を落とすといった逸話など狂気じみているように、わざと振舞われていた僧

それは、いかに俗世を拒否しているかの現れであり、古代から中世にかけての遁世者や浄土願生者にとっては、それこそが聖の理想像と考えられたよう…

多武峰縁起絵巻

ホンモノは奈良国立博物館にあるよう

多武峯縁起絵巻の模写作品は、住吉如慶・具慶の合筆

大化の改新の様子…蘇我入鹿を暗殺するまでの動きが絵巻に描かれ、これまた、時を忘れて、ずっとこの絵巻を眺めていたいほどでした…

 

さて、拝殿を通り過ぎるように進み

再度、靴を履いて

拝殿を外側から撮影

そこには

東宝庫

 

そして、ピカピカの境内社

春日社…もう造りたて…出来立てほやほやって感じの境内社

こちらの境内社は、まだ建築途中??なのでしょうか??

摂社・東殿、恋神社

鏡女王、定慧和尚、藤原不比等を祀る

 

ここへくるまでの参道が「恋の道」

なんども、往復するとそれが、「しつこいの道」になりかねませんから、いったりきたりはやめましょう…笑

恋神社の手前には

「厄割り
一、まず1個目の瓦割り改新玉に厄を移す。
 (玉に3回息を吹きかける、身体に関わる厄はその部位にあてる。)
二、厄割り改新玉を厄割り石の真上にそっと落とす。
 ※割れずに落ちた玉は拾わないでください。
三、次に2個目の瓦割り改新玉にお願いを込める。
 (玉に3回息を吹きかける)
四、厄割り改新玉を厄割り石の真上にそっと落とす。
 ※割れずに落ちた玉は拾わないでください。

とのこと…

石にもいろんな役割があるんですね…だから「やくわり…しょーもなー…汗

ここは気分を替えて

恋神社へ参拝

本殿正面から参拝し、時計回りに回って本殿背後から参拝し、ぐるりと回って正面にもどり、また参拝します…このように三度参拝することによって「恋」が叶うそうな…

今更、恋について願いたいことはないけど…「恋」「こい」でも…この「コイ」なら…

万馬券よ!コイ!!!???

中央に鏡女王さまがいらっしゃいます…鏡女王は万葉の歌人・額田王の姉であり、情熱的な恋の歌を残した歌人…藤原鎌足の妻であり、不比等の生母と伝えられているとのこと…抱いているのは、藤原不比等かなと思って、近づいてみれば、そうではなさそう…

目がわかりません…

あ、恋は盲目…ということかな…

 

むすびの磐座

神が宿るといわれる「むすびの磐座」

パワーがいただけるような気がしてタッチ…

願いをこめて…万馬券よ!コイ!!!???

最終レース、馬単で「10ー9」で??

結び(最終レース)に、いわ(1と輪)(10)く(9)ら…)…これでどうかな???

 

恋神社のすぐ横には

観音堂

縁切りで有名なお堂…

縁結びと縁切りの御利益がある2つのお堂が並んでいるなんて…

 

今となっては、なくなったけど、数年前にここにきて、あの方と一緒に仕事をする縁を切りたかったな…そしたら、もっと、苦しまなくてもよかったかな…

おや??縁切りのお堂となれば…さっき、願った「万馬券よ、当たれ!」の願いは、ここで切れちゃったかも…

もう一度、恋神社に行ってコイ!!

廻りには、御神木がいっぱい…

触れて触れて触れて…パワーをたくさんいただいた気分

 

この観音堂裏のこの小径をさらに進む…5分以上は薄暗い山道を歩く!歩く!!

と…そこには三天稲荷神社の拝殿

往復10分以上…おそらく談山神社に参拝に来ても、ここまで立ち寄る参拝客は少ないだろうから、より神様が耳を傾けてくれるような気がして

ここは念入りに、二礼二拍手一礼

なんだか願い事は、セミの鳴き声がうるさくて、立ち消されたような気がしないでもないけど…

 

さて、来た小径を引き返して観音堂、恋神社も通り過ぎまして

拝殿へと…

途中、これも境内社かとおもいきや、消火栓でした…

しょうかい(消火い)…そうかい…

 

さて拝殿を下から見上げる

なんか清水寺っぽくて…これまた素晴らしい光景

 

この横を通り過ぎて

登ってきた石段を見下ろす…

階段落ちしたら、一気に転げ落ちていきそう…

その石段をちょっと降りて

拝殿を見上げるように撮影…

いやあ、実に神々しく絶景ですな…

青モミジが眩しいくらい…

 

さて談山神社の写真で、よくみる

この五重塔ならぬ…十三重塔

藤原鎌足公の長男・定慧和尚と次男、不比等が、父の供養のために678年に創建した塔婆で、現存のものは1533年(室町時代)の再建であるとのこと
木造十三重塔としては現存世界唯一だそうな

高さは約17m

 

そのそばには

権殿

970年(平安時代)に摂政右大臣藤原伊尹の立願によって創建され、実弟の如覚―多武峰少将藤原高光―が阿弥陀像を安置した旧常行堂である権殿

ここに建っているものは室町時代の再建

 

 

磐座と龍神社

この瀧と岩くらは、古神道の信仰の姿を今に 残した、霊地とのこと…古代信仰では、神聖な岩に、天上から神を迎え、祭祀を行ったよう
この瀧は、大和川の源流の一つであり、神聖な神の水が、神山より千古の時代を経て、湧き続けていて、岩上の社は、飛鳥時代に大陸から龍神信仰が入ってきて、わが国の水神と集合し、龍神社と呼ばれるようになったとのこと

パワー・スポットの文字が消えかかっているのが、ちょいと気になりますが、間違いなくここは、パワー・スポットでしょう

お賽銭及び拝む場所はずいぶん手前に

この鳥居をくぐった「登山口」からは、徒歩20分で藤原鎌足公墓所のある「御破裂山」へ行けるようなんですが…

でも、この日、雷がゴロゴロ鳴っていて、いまにも大雨が降りだしそうだったからパス…天候がよくて、体力もあったら絶対登ってみたかったんだけどね…

バカは高いところに上りたがる…そのとおりの性格なので…苦笑

山頂には鎌足のお墓があり、古くから国家に不祥事があると「神山が鳴動」したとか…

この参拝したときも、政治では、自民党と旧統一教会の結びつきが果てしなく黒に近いグレーで…だから、ずっと雷がゴロゴロ鳴っているんだな

「談山」は、ここから徒歩約10分…中大兄皇子と藤原鎌足が、蘇我入鹿を暗殺する秘策を相談していた場所とされており、「談所の森」とも呼ばれているとか…
飛鳥時代の645年…大化の改新のきっかけとなった乙巳の変で、中大兄皇子が蘇我入鹿を斬りつけて殺害…
入鹿の父・蝦夷は自害し、蘇我氏は滅亡…
中大兄皇子は皇太子に立てられ、「大化の改新」と呼ばれる改革を進めた…そのきっかけの地まではいこうかなと随分悩んだけど、雷がゴロゴロ鳴っているので…汗

さて、その後も境内を散策…

境内社である神明社

ご祭神は天照皇大御神さま

境内社である杉山神社

ご祭神は久々能智神さま

境内社である山神社

ご祭神は大山津見命さま

 

比叡神社の本殿

1627年、造営 の一間社流造、千鳥破風およ び軒唐破風付、桧皮葺の小社ながら豪華な様式をもつ社で、もと飛鳥の大原にあった大原宮を、ここに移築したよう…

そのそばには、境内社である稲荷神社

ご祭神は宇賀之魂神さま

談山から流れ落ちる小さな滝

滝が落ちたその場所のすぐそばには

閼伽井屋

屋根はこけら葺で1619年の造営…この中の井戸は、「摩尼法井」と呼ばれ 往古、定慧和尚が法華経を講じたとき、この井戸から龍王の出現があったそうな

もう、今となっては龍王が出現しないよう、蓋で塞いでありました??

石段を降りると

そこは「けまりの庭」と呼ばれている広場

毎年4月と11月に「蹴鞠祭り」が行われていて

中臣鎌足と中大兄皇子が飛鳥法興寺の蹴鞠会で初めて、ここで出会った故事にちなんだものだそうな

さて、そこに建立されているのが

総社拝殿

1668年の造営…談山神社の拝殿を縮少し簡略化した様式で、正面・背面ともに唐破風をもつ建造物…
内外部小壁には狩野永納筆の壁画が残っているそうな

う~ん、狩野永納筆の壁画が残っているような…いないような…

この総社拝殿には、像高3mの大きな「福禄寿像」があり、目を奪われます…背後の掛け軸の絵にも…

木造で、削り方が実に荒々しい

これも「福禄寿さま」なのでしょう

その奥には「末社・総社拝殿」

926年の勧請 で、天神地祇・八百万神を祀り日本最古の総社といわれているとか…現在の本殿は、1668年造替の談山神社本殿を、1742年に移築したものだそうな…

 

そして石段を降りたところにあるのが祓戸社

池に橋が架かってて、その奥に

御祭神は祓戸大神さま

ここで、鯉の餌が買えたので

コイが大興奮

 

あ、私、の餌やり、大好きなんです…シツコイくらいにね…

みていて思う…こんなに一生懸命になれるっていいなって…餌を食べ損ねたら、相当なエネルギーも消耗するだろうに…

エサはそんなにはないぞ…でも、もう一つ、追加しては買わない…これぞ!セコイ!!

 

最後に紹介するのが

「けまりの庭」を挟んで、「末社・総社拝殿」と向かい合うように建立されているのが

「神廟拝所」

定慧和尚が679年に父・藤原鎌足公の供養のため創建した妙楽寺の旧講堂…塔の正面に仏堂をつくる伽藍の特色をもち、内部壁面には羅漢と天女の像が描かれているとのこと…現存のものは1668年の再建

靴を脱いで中に立ち入ることができ

私、この談山神社を参拝しにきた一番のお目当ては、ここにいらっしゃる鎌足公像…教科書に載っている鎌足公を「生」で観たいと思っていたのよ

さらに嬉しいことに…写真撮影もOK!太っ腹…

よく、こういった仏像とか歴史的に価値のあるものって、写真撮影禁止になってて、その割には、ショップで、その仏像のポストカードが売ってたりして、なんだかなあ…と思ったりもしてるんですが、この談山神社は、実に太っ腹…実にありがたい…

いよいよ、鎌足公とご対面

 

そう…歴史の教科書に載っている…

藤原鎌足公が…

いやあ、この藤原鎌足公に会いたかったのよ!!

木造ですよ!木造!!

お隣りには藤原不比等さまのが…あったゾー!(小学生か!)

藤原鎌足公神像を挟んで、反対側には

木造の「勝軍地蔵」さま

狩野派筆の秋冬花鳥図

 

壁画は金ぴか

そこに、羅漢と天女の像が描かれている

鎌倉時代の梵鐘

藤原鎌足公神像と向かい合うように壁面にはずらっと

三十六歌仙図が

ホントに36枚あるかどうかは、数えてはみませんでした

ホントに36枚あるのかどうか、これから、このブログを読んでいかれる人はぜひ数えてみて

 

私も鎌足(かまたり)公になったつもりで…

ここに誰もいなかったので、このお殿の中で、なんか、まったり

かまたり公の前で、どでんと腰を降ろして、なんか、まったり

 

「いつか、また、りょこうでくるから、必ず会いにくるよ」

などと鎌足公に語り掛けて、談笑している私

これぞ、「談い山」…そう…談山神社だけにね…

葉が色づいた頃に、再会したいぞ…

でも、そのときは、人がいっぱいで、なんか、まったりすることはできないだろうけどね…