徳川家康を埋葬しお祀りした神社、
久能山東照宮参拝記の続き
さて右側の参拝進路に従って
石灯籠の奥は
先ほど紹介した鼓楼
そして手前には
神楽殿
その上、石段の上には
神庫
校倉造りの建物
手前には、境内社、竈神社
そして
目を見張る豪華絢爛な境内社
日枝神社
ご祭神は大山咋命さま
右 十代将軍 徳川家治 家紋
中 初代将軍 徳川家康 家紋
左 四代将軍 徳川家綱 家紋
微妙に形が違ってる…
他の徳川家の家紋も…
よく見えんけど…
拝殿左の門をくぐり本殿内へと
国宝の木札が眩しい御社殿
建築様式は「権現造り」
家康をお祀りしている「本殿」と参拝をする「拝殿」とが「石の間」でつながっている
「権現造り」は全国の神社に見られる建築様式だけど、ここ久能山東照宮が発祥なんだって
唐門から今、参拝してきた道を見下ろす…
唐門の飾りの彫りは、もう芸術そのもの
梅に鳥の透彫
殿に向かって上部にある蟇股の彫刻
司馬温公の甕割りの場面
大切な甕を割って溺れた友達を助けたという中国の故事から
金色の装飾金具や彫が施され、極彩色の装いで
もう煌びやか過ぎて…見惚れるも落ち着かない…笑
拝殿の屋根…
金ぴかの三つ葉葵が並ぶ
ではでは
拝殿にて
二礼二拍手一礼
たいしたことのおきない
平和な日々が続きますように…
あれれれ、神馬への願いと全然ちゃうやん!!
お賽銭箱にも当然、徳川家の家紋
もうその豪華絢爛さに
ただただ見惚れ、その場にずっと佇んでいたい気分
この門をくぐって
拝殿から本殿横へと
軸部や軒廻りは黒漆塗
豪華絢爛ですが
黒色が、荘厳な印象も感じさせてくれる
金ぴかの龍が今にも飛び出さんばかりに…
廻りを囲む
玉垣(重要文化財)
玉垣は御社殿の周囲にめぐらされた垣
そこには、それぞれ一枚の板を彫り上げた透彫の彫刻があって、あまりの素晴らしさに
思わず見惚れちゃいます
NHK大河「どうする家康」では
白兎が取り上げられ、インパクトがありましたな
そして、東照宮はまだまだ未完成であることを示す
「逆さ葵」
一番左が、ほら
廟門(重要文化財)
廟所に通ずる門
廟門をくぐって
本殿を振り返る
添石垣の案内解説板
添石垣とは
崩落防止のために天保4年(1833)に二重にされたという、廟所の石垣
この歴史を感じる石鳥居をくぐったところにみられる石垣がそれ…
そしてこの添石垣で囲まれた参道を進めばみえてくる
神廟
手水舎もありました…
ここで、再度、手を浄めよ…ということでしょう
手を浄めて
神廟にて合掌
ここに徳川家康公が眠っていた…いや…今も眠っているのかも…
宝塔の高さは、5.5メートル、外廻り約8メートル
前面に唐戸が設けられていて
1616年(元和2年)の創建当初は木造桧皮葺の造りだったが、1640年(寛永17年)に徳川家光により現在の石造宝塔に造替されたとのこと
おお、興味津々の
「金のなる木」
見た感じ,カネはなっていませんが…(当たり前!)
御神木!御神木!!
ここは二礼二拍手一礼!!
ここで松尾ドショウである私が一句
「柿食えばカネがなるなり東照宮」
(明らかにパクリですな)
家康公の愛馬を埋めたところ
裏側から
神廟を覗き込み合掌
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』)と家康は遺言した…
一周忌が過ぎた時、日光東照宮に
なので
家康の眠る地として挙げられるのは日光東照宮なんだけど
きっとご遺体は、ここに残されていたんじゃないかな…
ここに徳川家康は今でも眠っている
なんの根拠もないけど、ただただそう思いました
75年で生涯を閉じた徳川家康
波乱万丈の人生のように感じつつも
この大自然に包まれたら
人の一生なんて、なんともはかないことよ…
はかない…はかない…
いや、ここに徳川家康の墓はあるんですけど…