日本武尊が白鳥となった???
別に化けた訳ではなく
亡くなった後、ヤマトタケルの魂が白鳥となって飛んでいった…
…といった感じのよう…
まあ…神話ですし…
実際は…この白鳥古墳が日本武尊の御陵であるかも怪しい訳でして…
でも…この古代に馳せるロマン…
大切にしたいと思いつつ
コフンに取り立ててコーフンはしなかったけど
近くに
同じ前方後円墳の
断夫山古墳
…がありまして
こちらは、削られることなく…
その前方後円墳の形を残しているようで…コーフンついでに…もとい古墳ついでにと
断夫山古墳に行く
断夫山古墳は現在は、熱田神宮公園の中に
ヤマトタケルへの思いを抱き再婚せずに亡くなった宮簀媛(みやずひめ)の御陵が
断夫山古墳という説もある…この古墳
なんでも
断夫山は夫を断つ山という意味でその名前がついたとか…???
熱田台地南西端の標高約10mに立地する。全長約150 mで、東海地方最大の前方後円墳で
この女性の宮簀媛(みやずひめ)の方の古墳の方が
白鳥古墳よりもウンと大きいことから…
昔から
「女性の方がウンと強かったんだろうな…」
…と勝手に古代のロマンに想いを馳せた…
この断夫山古墳
熱田神宮にあると言われる三種の神器の一つ「草薙神剣」は日本武尊の死後に宮簀媛命が祀ったというから、ひょっとしたら、この古墳の中に埋もれているのかも???なんて言った妄想も広がる古墳…
そう妄想してみれば、コフンにコーフンしないでもない…笑
ちなみに、学術的に『日本書紀』によれば、この断夫山古墳は尾張地方で最大規模の古墳であることから、古代豪族の尾張連の首長墓になると考えられているようでこの墳墓に埋葬された尾張連草香の娘・目子媛(めのこひめ)は継体天皇の妃となっているので、ヤマト王権と尾張の豪族と強い結びつきを持っていたことが分かることから、具体的な断夫山古墳の被葬者については、尾張連草香と推定する説や、目子媛と推定する説があるらしいけど…
コフンにコーフンするなら
ヤマトタケルを尻にひいていたから、ヤマトタケルの白鳥古墳よりも、大きい古墳を作った宮簀媛(みやずひめ)の古墳と思う方が、古へのロマンが広がるよね…
ひょっとしたら、この墳丘の中に三種の神器の一つ「草薙神剣」が錆び錆びで跡形もなく埋まっていると妄想しちゃう方が…笑
あ、この写真が断夫山古墳
ぐるっと廻っても、ああ、前方後円墳なんだ!!って全く実感できないけど…
でも、このミニチュアをみれば、前方後円墳だなって思う!思う!!!
きれいな前方後円墳の形ではなくて、歪んでいるのね
この『尾張名所図会』の案内看板によると
江戸時代には、熱田神宮の神域として立ち入りが厳しく禁じられていたものの、3月3日のみ墳丘への立ち入りが認められていたようで、『尾張名所図会』には、3月3日に墳丘に上り、熱田浜を眺める庶民の姿が描かれていて、当時、断夫山古墳が鷲峯山と呼ばれ、3月3日に宗教的な意味合いを有して、開放日となっていたようだけど…
今は、
この管理事務所に声を掛ければ
古墳への入山が可能なのよ…
いやあ、コーフンしてきた!コーフンしてきた!!
「白鳥古墳」は墳丘の上に立つことはNGだったけど、この断夫山古墳は管理事務所に声を掛ければ墳丘の上に立つことがOKなのよ!!
管理事務所のオジサンが、
入って戻られる時には声を掛けてくださいということと、怪我した場合の責任は負えないこと…そして「墳丘には特に何もありませんよ」と…
「墳丘には特に何もありませんよ」と…まあ、何もないだろうけど…もちろん、「草薙神剣」は埋まってはいないだろうけど、最後のこの一言いる???…笑
さあ、このロープを跨いで墳丘へと
ここが墳丘の頂上あたり
木の根っこが露出しているだけで、眺望は全然よくありません!
バカは高いところに上りたがる…そのとおりの性格なので、喜んで登ってみたのに…
前方後円墳なので
もう一つの墳丘へと続く道
これが墳丘あたり…
眺望は全然よくありません!
バカは高いところに上りたがる…そのとおりの性格なので、喜んで登ってみたのに…
もちろん「草薙神剣」もみつかりませんでした…笑
まあ、掘っても探してもいないけど…笑
みなさんも尾張の横綱??
断夫山古墳へ…ぜひぜひ…
ひょっとしたら、コーフンするかも???よ
ちなみに
尾張の大関「白鳥塚古墳」のブログもお時間あればぜひぜひ…ご笑読を
リンク貼っておきます…
「しだみ古墳群」…白鳥塚古墳と東谷山白鳥古墳と
読んでもらえば、これまたひょっとして、コーフンして行きたくなるかも??よ