新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

源頼朝公の生誕地…妙光山誓願寺に行く!!

2023-07-01 06:14:44 | 歴史史跡

2022年春のこと…当時、NHK大河でブームになっている

鎌倉の…

その鎌倉幕府を作った源頼朝公の生まれた場所って知ってますか…

 

なんとなく関東…鎌倉のイメージが強いけど…

な、なんと源頼朝公は愛知県は名古屋市、熱田区の生まれなんだな…

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑は、みな、愛知県で生まれて

かつ豊臣秀吉は名古屋生まれ…織田信長も名古屋で生まれたらしい噂??がある中で(徳川家康は岡崎)

もう一人、時代が違えど、有名な…源頼朝公の生まれが名古屋なんだな…

ひょっとして、この名古屋が切通しをしなくちゃいけないくらい、山に囲まれていたら、この名古屋で1192年に幕府をひらいていたかもしれない

 

そんな源頼朝公の生まれた場所が

熱田神宮の西門とR19を挟んで反対側にある
この葵御紋の門の
 
妙光山誓願寺
 
 
なんだな…
 
…私、熱田神宮にも何度も参拝しにきてるのに…この歳になるまで…源頼朝公の生まれた場所が熱田区の熱田神宮のすぐそばにあるなんて知らんかった…
 
 

誓願寺は1529年に、妙光尼日秀、世に言う善光上人が熱田神宮近くに創建した浄土宗の尼寺

山門に葵御紋が付いているのは、妙光尼日秀が竹千代(徳川家康の幼名)の教育係をしていてたそうで…

平安時代の末には熱田大宮司藤原家の別邸のあった地で、熱田大宮司家の親族は京で皇族に仕えていたが、藤原季範の娘・由良御前は源義朝の正室となり、1147年にこの熱田の下屋敷に戻って頼朝を産んだと伝承されているとか…知らんかった…

 

「尾張名所図会 妙光山誓願尼寺」
 
 
 
この図をみると、昔は相当広かったようで…廻りの駐車場やら雑居ビルとか、みんな誓願尼寺だったようで
 
1600年の火災で伽藍を焼失するものの、後に豊臣秀頼により再建され
その後も尾張藩が山門などを修理、代々の尾張藩により擁護されてきたようで…葵の家紋が門に堂々とあるのも納得!納得!!!
 
現在の誓願寺はこの門だけが歴史を物語るかのようで
 
本堂は歴史を感じることが難しい…
鉄筋コンクリート製の建物
戦禍で焼け野原になった後に建てられた本堂で
 
 
境内には「井戸」が…
この「井戸」の水を源頼朝公の産湯としては使わなかったのか
 
 
石碑には「井戸」ではなく…そこにある池の跡を示すかのように「頼朝公産湯池」と
 
 
もうその復元された池も完全に水が枯れていました…
 
 
池の奥には石碑も…なんと刻まれているのか、まったくもって不能ですが
「この池の水で頼朝公をの水として使ったんだよ」みたいなことが刻まれているのでしょう(あ、この記述、なんの根拠もありませんよ!)
 
 
 
熱田神宮に参拝したついでに…ここ誓願寺
源頼朝公生誕地のここに、
 
「みんな、もっと寄りとも!!」(源頼朝)
 
うわー、オチが苦しすぎるー!!!
 
 
う~ん、感想を一言述べれば「源頼朝公生誕地」なのに
ジミすぎるー!!!
 
「みんな、もっと寄りとも!!」(源頼朝)
「みんな、もっと寄りとも!!」(源頼朝)
「みんな、もっと寄りとも!!」(源頼朝)
 
 
 
 
スベッテいるのに繰り返す…
 
おとし頼朝…もとい…お年寄りとも思える…このクドサ!!…汗