インドネシアの家がかわいくて、写真を撮っている。
日本にはない感覚の色使いが、景色の中に調和している。
初め私は、食品やいろいろなモノの包装に今なお盛んに植物を使っている(かつては世界中そうだった)、その写真を撮っていたのだが、いつの間にか「家づくり」に強く惹かれるようになった。いま言っている家づくりとは、家を建築するということではなく、住まいに手を加えて自分の気に入るようにつくっている様子である。ガーデニングにも通じる、暮らしをよくしていく幸せ。
前にも書いたが、多くのインドネシア人は家の外観を日本人より気にしているように思う。田舎に行くと家の中にはほとんどモノがなく殺風景だ。が、窓枠やドアには気に入ったペンキを塗り、おしゃれしている。家の中の管理に時間がかからない分、家の外のことに目を向け力を注げるということもあるのだろうか。
玄関の前には赤い花の咲くような鉢植えが家に彩を添え、住む人の工夫と心の余裕が感じられる。
ペンキを塗らない家も多いが、塗っている家は、壁の色もペンキの色もいろいろで、集落全体ではいろんな色が散乱することになるが、それはそれで調和らしきものがあり、メルヘンティックな風景となる。自由な中にも一定の素材・形の統一があるのである。
日本でそんなわけにいかないのは、素材も形もテイストもバラバラで色も好き勝手なものを使うためだ。どんな家にも住めるという自由はいいことだが、風景という観点からは残念なことになる。そこに一定の方向性を持たせていくことは、重要伝統的建造物群に指定されるか、特殊な歴史・文化的遺産のある地域でないと、難しいだろう。
いや、実際には、日本の家のテイストがバラバラというよりは、ハウスメーカーがぴかぴか光るサイディングの家を大量に作って建てまくっている。しかしその方向で統一されたところで美しい風景ができるとは思えない。
写真のような家は日本にもあるだろうが、周りから浮いてしまうとあまりきれいに見えなかったりする。
かつ、インドネシアの田舎の集落は、背景が自然物ばかりだから、よけいに可愛く見えるのだ。目立つ鉄塔や携帯のアンテナやコンクリートの電柱もない。
この家は、イタリアの家だといっても、ニュージーランドの家だといっても、通じると思う。明るく開放的な雰囲気がある。
朝の太陽が、海辺の高台にあるこの家を照らし始めた、日曜日。
写真を撮っていたら、上半身裸のおじいさんが窓から顔をのぞかせた。
写真/レンバタ島ラマレラ(2012年) レンバタ島では特にたくさんの家の写真を撮らせてもらった
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