島のまにまに~インドネシアの小径~

海洋国インドネシアのあちこちでで出会う、美しい村、美しいもの。自然とつながる暮らし。

トウモロコシの皮で包む

2012-08-31 | 葉で包む・植物素材

インドネシアでは葉で包む食べものがとても多い。
わたしにとっては、「そこがインドネシアのいいところ」である。
もっとも今は徐々に蝋引き紙にとって変わられようとしている。

とうもろこしの実を包んでいる白っぽいところ、これは葉の変化したもので
包葉と呼ばれることもあるようだけど
名前はともかくとして、インドネシアではトウモロコシを大量に生産しているから
この部分も大量にあるはずだ。

タナ・トラジャでは確かこれでピーナツを包装していたけど
ジャワ島のボゴールで見たこれは、中身が何なのか、確かめていない。
けれど、状況的に、食べものであると思う。
これもピーナツ?
インドネシア人は包むのが上手だ。

この白いトウモロコシの皮で、インテリアの飾りを作ったりしているのも見かけた。


写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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ローズティー

2012-08-30 | 食べもの

ボゴールの町角で、20代半ばとも思われる男の人が、ござの上に並べて売っていたローズティー。
インドネシアにバラがあるなんて、このときまで全然知らなかった。

その後、ジョグジャの花屋さんで、お供え用のバラの花を売っているのに出会った。→こちら
そして、もっとずっとずっと後、ジャワ島のマラン近郊の高原の町で
バラをたくさん栽培しているのを知る。

バラといえば、日本やヨーロッパ、温帯地方の植物のように思っていたけど。
もちろん原産はインドネシアではないだろう。
バラだけでなく、野山でバラ科らしき植物に気付いたことがない。

みごとに粒ぞろいのバラの蕾でできている。
買ったけれど、結局飲まないまま古くしてしまった。



写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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ボゴール植物園の大花壇

2012-08-29 | まちむら探訪

ボゴール植物園の中の、一番開けた場所。
大きな花壇の両横に道があって、左右対称になっているのが
ベルサイユ宮殿風だと思った。
ベルサイユ宮殿には行ったことがないけど、
それを真似している神戸の須磨離宮公園には何度か行ったことがある。

けれどこの公園はイギリス人が設計したらしい。

広々して明るく華やかな感じを撮りたかったが
なかなかイメージどおりには写せなかった。


写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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板根

2012-08-28 | まちむら探訪

ばんこん。

南方の木によく見られる、根元が縦方向の板のようになって木を支えるもの。
地面が軟らかいところでよく発達するといわれている。

南にいけばいくほど大きくなる。
日本でも九州の山中で、一部のカシの木なんかに見られる。
八重山に行けばもっと普通に見られる。


これはボゴール植物園。
人の背丈の2倍もある板根なんだから、スケール大きい。1階建ての家の壁より高いのだから。


写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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ボゴール植物園

2012-08-26 | まちむら探訪

鬱蒼と茂る、というべきか、堂々と林立するというべきか
古い大木が立ち並ぶ道は、この植物園の歴史を感じさせてくれる。

ボゴール植物園は1817年、オランダ統治下にあった頃、オランダで仕事をしていたドイツ人が中心になって作られたという。
もちろん、インドネシアでは一番古い。

日本で一番古いとされる東京の小石川植物園が「植物園」と呼ばれるようになったのが1875年である。が、その原型は1684年に薬草園としてできている(1638年という解釈もできる)→小石川植物園の概要

ボゴール植物園もインドネシアの薬用植物の研究が目的で作ったということだから
植物の研究や収集は、たいてい薬用植物、有用植物の研究から始まっていて
これは、人間が健康で幸せに生きるために努力したり働いたりするのが本来の姿であるということの証であると思う。江戸時代の有名な植物図鑑なども、もともと薬用植物の図鑑である。


ボゴール植物園は古いだけでなく広大で、ゆっくり見て歩こうと思ったら1日では足りない。
前に、名古屋に来ていたボゴールの人に、おすすめの場所として「東山植物園はすばらしい。すごく広い」と言ったら、ボゴール植物園とどっちが広いかと聞かれた。
ボゴールのほうがはるかに広大だと思ったけれど、気になって調べてみると、
ボゴールは87ha、東山は動物園を含めて60ha、東山も結構いいセン行っている。
ただ、木の大きさ、木蔭の暗さや深さで、ボゴールのほうが奥行きが感じられる。東山植物園は1937年にできている。東山のいいところは、ボゴールとちがって起伏があるところだ。

ボゴール植物園は、植物に興味がなくても、木蔭の道を静かに散策するにはとてもいい。
写真の並木はカナリヤノキといって1832年に植えられたという。180年経っている。ボゴール植物園の中でも特に印象深かった場所だ。


ボゴール植物園の入場料はよく覚えていないけれど高くはなかった。
お札を出したら、当然のようにお釣りがもらえなかったことだけを、強烈に覚えている。
わけもわからずさんざん歩き回った後に現れる、園内の一番奥にある展示施設で、やっとのことガイドブックを見つけて買うことができた。日本語に訳されたものだ。できれば入り口で売ってほしいと思った。
このガイドブックには植物名だけでなく利用法などインドネシアを知る上で役立つミニ知識が満載されていて、私のお気に入りの本となっている。

もう一度行きたくなってきた。植物園のガイドがいたら案内してもらいたいけど。


写真/ジャワ島ボゴール・ボゴール植物園(2008年)

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料理の基本、サンバル

2012-08-26 | 食べもの

ボゴールのホテルのロビーでくつろいでいたら、
レストランで調理しているおばちゃんが見えたので、見せてもらった。
色とりどりの材料を石臼の上でつぶす。
赤にんにく(たまねぎ・あさつき)、白にんにく、ウコン?(しょうがっぽいもの)、とうがらし、トマト、名前わからないものいろいろ。
最初ににんにくをつぶし始めて、石臼に次々に材料を投入。手に持っているのも石の棒。
手際よく、ものの10分もたたないうちに、赤いどろどろしたものができあがった。
もちろん辛いに決まっている。

サンバル。
インドネシアではサンバルが地域によってちょっとずつ違うと本に書いてある。
これが料理のベースになったり、このまま生野菜につけるディップのようになったりする。
辛いだけなら食べられないが、さわやかな酸味があって、おいしい。

タバスコだって、七味唐辛子だって、辛味よりも酸味のほうが重要な要素だと私は思う。だからパスタやうどんがおいしくなるのだ。


料理を始めようと思ったら、まずここから、という感じ。
ジョグジャカルタのとある屋台でも、料理はここから始まっていた。









写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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ヌサ・トゥンガラの島々 旅番組

2012-08-25 | あれこれ

木・金と、NHKBSで、女優の鶴田真由さんがインドネシアのバリから東を旅する番組をやっていた。「アジア海道‘不思議の島々‘をゆく」
録画しただけでまだ見ていないけど、前のほうのサワリのところだけ見た。

どんな内容か知らなかったから、見てびっくり。
ほんとに島から島へ旅している。私が行きたいと思っているところ、すでに行ったところ、一気に行ってしまっている。
ヤラレタ……! 私の過去と未来の体験がすでに番組になってしまって、今見ないほうがいいんじゃないか、というちょっと残念な気持ちもある。けど、見たい。

特に、捕鯨で有名なレンバタ島は私が最も近日中に予定しているところだけに、いきなりここが入っていたことには驚いてしまった。

それに、彼女も、バリからのバス旅(笑)。
こんな番組放映されたら、このブログも少しはアクセス増えるかもと思ったけど、減ってました。


1カ月かけて2000キロを旅している。
女優さんが1カ月かけて旅行するというのも贅沢な話だと思う。
1カ月あれば確かに2000キロ行けるよね。
それも周到な用意をして、バスや船の時間を事前に調べ、泊まるところを探してウロウロしたりしなければ。
私何度か1カ月近く行っているけど、もっとぐずぐずで、
スゴイなぁと感心した。
日本でむこうの船、飛行機、バスの時間やルートを調べるって、結構大変です。
なので、私はいつも行き当たりばったりになってしまう。

でもって、あんなきれいな格好できれいにヘア・メイクして歩けるなんて
そこにも感心。もちろん、番組だからですが。
うらまやしー。やればできるものだ。
バス旅であんなにきれいにしていられるってのは、私としてはありえない。


しかしNHKって結構俳優がバスを使って訪ねる旅番組が好きなんだけど
スタッフはバスの後ろからロケ車でついて回ってるんだろうなぁ。
本来出演者だってそれに一緒に乗ればいいのだ。
その「やって見せてる」ことを思うとなんとも微妙だけど
その表現が必要なんだから、まあそれもよし。
どうも、昔映像づくりの仕事をしていたせいで、
「これ、どうやって撮ってるんだろう」と、カメラマンやディレクターの動きや構成に頭がいってしまい、100%楽しめない癖があります。


これから3時間見なくちゃ。大変。多分、1.5倍早回しで見ます。
鶴田真由さん大好きだから気持ちよく見られるだろう。

写真/夜の市場の魚屋の兄妹・フローレス島バジャワ(2012年)

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クジラと生きる―海の狩猟・山の交換―
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大木のある町、ボゴール

2012-08-23 | まちむら探訪

ボゴールの町は、こんな大木が古い町の情緒をかもしだしている。
木陰でベチャ(自転車タクシー)が休んでいたりする。

日本の町ではこんな大木はまず見られない。
名古屋には、切るとたたりがあるといわれている楠が、道路に残っているけど、
それはちょっと例外。まあ、名古屋は道路広いからそれができる。
でも普通は、街路樹を大木にするようなまちづくりがされてないから
木が大きくならないよう切られたり、木そのものが切り倒されて違う木になってしまう場合もある。

ニュージーランドのオークランドで、空港から市街に向かう街路樹が、ものすごい大木ばかりでびっくりしたことがある。
街の中に大きな木があるのは、豊かな感じがして、うらやましい。


写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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れんが色の屋根の古い町

2012-08-22 | まちむら探訪

ボゴールはオランダ植民地時代に栄えた避暑地だそうで(何かで読んだ)、いかにも古い町である。
言い方を変えれば、気取りがなく、穏やかで、ゆったりした町。道路も広々している。
辻辻にはベチャ(自転車タクシー)のおじさんたちが竹笠をかぶってたむろしていて、気軽に乗ることができる。

前の記事で、とても汚い町だと書いたけれど、今になって写真を見ると、それほど汚さは感じない。汚いという印象は、ひとえに、パサール(市場)のぬかるみとゴミ、道路の老朽化とほこり、家の裏のゴミと川への下水の垂れ流し、屋台でおなかを壊したこと、から来ている(余計に汚さを印象付けてしまったか……)。

ジャワ島の民家はれんが色の屋根が多い。ボゴールも同様。
ホテルの窓から、川の対岸の家並みが見えた。
古い町だけあって、緑が濃く、白い壁と赤い屋根との調和がきれいだと思う。
でもどの家も裏にゴミを捨てているのが見えてがっかりしてしまう。

悪口が書きたいわけではない。日本だって昔はそうだったのだ。
だから、これからきれいになる途上にあるのだと思う。
過渡期というのはそういうものだ。

日本の大都市のようにきれいになると、きれいなのはもちろんいいことだし好きだけれど
……事実、日本の清潔さの中にいるとほっとするけど……
その分無機的になり、生命の躍動感は減ってしまう。

ああ、どっちをフォローしていいものやら……キーボードを打つ指が迷って、苦悩。


ホテルのロビーで休んでいると、珍しく女性のガイドが来て、明日町を案内しようともちかけてきた。
「ボートに乗って、川をたどって、街並みを見物しませんか? それから……」
お断りした。ゴミだらけの川、ボートには絶対乗りたくなかった。

ボゴールは、1994年にAPECが開かれ「ボゴール目標」を含む「ボゴール宣言」という貿易・関税に関する宣言が行われたことで、経済に関心のある人にとっては有名らしい(ボゴール会議じゃなかった)。
でも、私にとって有名なのは、ボゴール植物園。
ボゴールに来たのはそれだけが目的だった。


写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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遠い日の戦争

2012-08-21 | 日本

88歳の先生のところに集まって勉強会をしている。
勉強とはいっても、先生のお話を聞くことが中心。
村長を4期務められ大きな業績を残された方で、農業、畜産業、林業もされて来られ、あらゆることに膨大な量の勉強をされてきた方だ。
陸軍にも入り、事務方として内地で務めておられた。

太平洋戦争の話になると、経験者だから、それはすさまじい話をされる。とはいっても外地には出ておられないから、実際に外地で兵隊をしていた人ならもっとすさまじい話になるのだろうとは思う。
けれど、日々、死ぬか生きるか、というより、死ぬか死ぬか、という中で当時生きていた人たちの精神の壮絶さが、先生のお話を生で聞くことで、伝わってくる。
テレビや本で知るのではない。今自分の隣にいる人がそういう経験をしてきたという生々しさがある。

先日、インドネシアにある元日本軍の洞窟のことを書いた。
その場へ行っても、私はろくに想像することもできない。
想像したとしても、おそらくそれは、テレビで見たものなどを参考にしたイメージでしかない。
あまりにも遠い日のことで、自分とは関係のないことになっている。
私はその場で、想像のできなさ、に少々ショックを受けた。

けれど昨日先生と話をしていて、少しそれが身近に感じられた。
私が洞窟に行ったと言ったら、先生はどう感じられるだろうと思った。

それに、現地の青年とそこに行き、少し身の危険を感じたことも
先生の話からすると、バカみたいにスケールの小さい話だ。
自分が恥ずかしくなる。
そこで、実弾の銃や手榴弾を持った人たちが、病気とも戦いながら
日々死を感じながら過ごしていたのである。

しかし、今こんなに平和なのは、いいことに違いない。

日本は今きなくさいところにいる。平和を続けるために国家は努力をしなければならないというのが昨日の話だった。


私の世代は、あの戦争を「第二次世界大戦」として学校で習っている。
日本が欧米と戦争をしました、という話だ。
しかしそれは太平洋戦争、大東亜戦争だった。
その意味をあまり重く教えられないできてしまっていると思う。
昔の人は、決して第二次世界大戦なんて言わない。
アジアの中の日本ということが今はとても意識される。


写真/ジャワ島ジャカルタ(2008年)

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使い捨ての竹かご

2012-08-20 | 籠・編んだもの

ジャワではまだまだこんな籠を見かける。
農作物なんかを入れる、使い捨ての籠。
素材は竹。

おそらく、どこかの女性が内職で作っていると思う。
前にそんな光景を見たことがあるからだ。


こんなふうに竹を使えば、大量の竹が消費されていくだろう。
植物素材は使ってもまたすぐ育つ、持続可能な資源だ。
竹などは勝手に生えてくる、肥料も要らない、便利なものだ。
日本では今それがゴミや邪魔者の扱いになってしまっている。

昔は日本でもキャベツやリンゴや魚を木箱で出荷していたが
その木箱は出荷したら戻ってこない、使い捨てだった。




写真/ジャワ島ボゴール(2008年)

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ヤシ殻のヤシ砂糖

2012-08-19 | 食べもの

最も素朴なタイプのヤシ砂糖。ヤシの実の殻に入れて固めるからこういう形になる。
この形のものは、スラウェシで多く見かける。

伝統的な型はヤシの殻だが、最近はたこ焼き型に似たプラスティックの型に入れて小型のものを作ることが多い。
煮詰め方によるのか、色の明るい黄色っぽいもの、赤っぽいもの、こげ茶のものがある。カラメルのような匂いがして、かじるとなぜかみたらしのような味がする。

ジャワ人は甘いものが大好きだから、たくさん使うのだろう。
島の東のほうではサトウキビ栽培が盛んだが、歴史的にはサトウキビは最近導入されたものだ。中央部では今も料理にはヤシ砂糖を使うことが多いようである。


ヤシ砂糖のことひとつとっても、インドネシアは食べものがほんとうに豊かだと思う。
年中植物が育つ環境がある。
日本では、北にてんさい、南にさとうきびがあって砂糖が作れるけど
それ以外の地域では、昔は容易に砂糖など口にすることはできなかった。
昔の人はみんな、砂糖が貴重だったことを言う。

だから山に自然にできる果物、たとえばサルナシやアケビなんか貴重だったし、
さつまいもも大事な甘い食べものだったし
料理には干し柿や柿の皮を使って甘みをつけたりもしている。
柿は、どの木が誰のものと、子どもの中で縄張りが決まっていたらしい。

私の住んでいる地域に限っていえば、
果物だって簡単にできるものはそんなに種類はなく
リンゴ1個を家族みんなで分け合って食べたと聞く。



*この記事は以下の記事の続きです
ヤシ砂糖の村
ヤシの樹液を焚き火で煮詰める




写真上/スラウェシ島タナ・トラジャ(2008年)
写真下/ジャワ島中ジャワ州(2008年)


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花に囲まれた洗濯場

2012-08-18 | 美しいもの

庭にある洗濯場。花と緑に囲まれて洗濯ができる。
インドネシアでは洗濯機のある家はまだ少ない。この町は2千m級の山を控え、水が豊かだ。町中に水の流れを引き込んで、庭先で鯉を育てて売っている。
ジャワ島東部の高原の町、バトゥ。

ここは園芸の町。大通りから少し入った集落では、どの家も庭先で花の苗や木の苗を育てている。仕事としてやっているわけだけど、必然的に庭は花でいっぱいになる。毎日花を眺めて暮らすことができる。
洗濯場に花を飾っているわけではなく、自然にこうなってしまっただけだ。ゴミやせっけんが散らかっていたりせず、すがすがしい。家のたたずまいも美しかった。

この日、激しい雨が夕方には上がった。どんよりとして薄暗く、いつの間にか日が暮れていた。
土曜日だから、町にはなんとなくゆったりした空気が漂っている。こんな時間にあくせくと働いている人は、大通りの屋台や食堂の人と床屋さん以外、誰もないようだ。
家から年頃の娘2人と母親らしき人が出てきて、連れ立って出かけていった。




写真/ジャワ島バトゥ(2012年)

バトゥの園芸については
バトゥ 苗木店の並ぶ通り  庭で育てる花や木の苗 バトゥ
ほか、7月5日~7月13日の記事をご覧ください。


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日本軍の洞窟を案内する若者

2012-08-17 | まちむら探訪

昨日、一昨日と書いた日本軍の洞窟を知ったのは、
たどり着いた森林公園の入り口でのことである。

私は地図に載っている森林公園に行くのが目的だった。
2000mを超える富士山のような山の中腹に、そのマークが付いている。
山深く訪れる人も少ない山岳の国定公園みたいなところを想像していた。相当遠く、悪路であることも覚悟した。
けれどそこにはオジェ(バイクタクシー)であっけなく到着した。インドネシアの人たちが休日に気軽に訪れる温泉が中心の開けたところで、山に向かって細い散策道が付けられていた。
名古屋でいえば、隣の尾張旭の森林公園的な感じ。

私は温泉は入るつもりはないので、オジェ青年はゲートで入場料交渉でもしてくれていたのだろう。しかし妙に手間取っていて、戻ってくると顔をしかめて言った。
日本軍の何とかがあるので行きたいか?と言っていることだけが分かった。
行きたい、というと、「金がかかるぞ」という。顔をしかめているのはそのためだ。

要するに案内してくれる人がいて、行くならその人にお礼を払わないといけないということだ。インドネシアにはこの手のミニビジネスが無数にある。
けれど慎重にやれば、そんなにひどい目に遭うこともない(と思う)ので
行くことにした。

やせた20歳そこそこの、あまり笑わないおとなしそうな若者が、私に先立って歩いていった。
オジェマンはゲート近くでぶらぶら休息。


若者は何も言わない。英語が全然しゃべれない。
一体いくら取るつもりかしれないけど、案内するなら英語ぐらいしゃべってもいいかも、と思う。
草に埋もれかかった細道、右下に深い谷。足を踏み外すと落ちてしまう。
そんな道を歩いた後、斜面に洞窟があった。
入っていく。
中は真っ暗なので、ライターをカチカチつけて見せようとしてくれるが、その明りも一瞬で、ほとんど何も見えない。
私はカメラのストロボを焚いて照らそうとしたが、あまりに真っ暗なので、レンズがピントを合わせることができず、そのせいでストロボもつかない。

案内で稼ぐなら、懐中電灯か、せめてろうそくでも持ってきてほしかったと思う。
仕事なんでしょう、あなた。

あやうく、中の穴に落ちるところだった。彼は、穴があるから気をつけてね、とすら言ってくれない。恥ずかしがりやなんだと思うけど。案内人にしては、あまりにも遠慮がちだ。

けれど初めて洞窟というものに行くことができて、興味深かった。今まで想像だけでしかなかったことが、やっと分かった。
いろいろ難点はあるけれど、彼は静かにあちこちに案内してくれた。


何個目かの洞窟の暗闇の中、若者と私は静かに立っていた。そのとき突然思った。私何やってんだろう。もしここで彼がナイフでも出して脅してきたら、どうにもならない。あまりにも無防備でお気楽ではないか。
本当に切られたり殺されたりしたら、みんな私をバカか!と思うだろう。

けれど、そんなことはありえないと、心の底で思っていた。
だって、ありえないからありえないんだもの。


いくつかの洞窟を見て、彼は、まだある、もっと行くか?と聞いた。
洞窟はほんとうにいくつもあるようで、終わりがなかった。
それ以上はもうよかった。

ガイド料も心配だった。インドネシアでは先に交渉しておくのがルールだ。
交渉せずにあとで高いことを言われても、拒否することは難しい。
「いくらか必要でしょ?」と聞くと彼は「いいよ」と言った。
言葉が通じてないのかもしれない。

帰り道、森の中で、さまざまな小鳥がさえずっていた。
小鳥を見つけたかったけれど、姿はなかなか見えなかった。
不意に、赤い鳥が横切った。
私が立ち止まって探していると、彼が「あそこ」とそっと指差して教えてくれた。

もともと森を見るのが目的だったから、見て回るために洞窟案内人の彼を拘束するのも気の毒だ。「私はゆっくり行くから、お金を払うわ」と言うと、彼は手を横に振った。
本当にお金が要らないということなのだった。


驚愕……。
観光地でインドネシア人が親切にしてくれる場合、必ず後からお金を請求される。
それが彼らのビジネスなのである。別にあくどいわけではなく、そういうやり方なのだ。
そして彼らはどんな小さなビジネスでもやって、小銭を稼いで、何とか食べていこうとしている。彼らなりに知恵を絞った、一生懸命な仕事だ。私はその「稼ぐために知恵を絞る」クリエイティブさに結構敬意を払っている。
だから、観光地で親切はただではない。それは、100%そうなのだ。

けど、100%ではなかった……。
お金を請求されるかどうかにかかわらず、案内してくれたお礼はしたいと思った。
けれど彼は頑として受け取らなかった。
「なら、どうして案内をしているの?」と聞くと
「ただ、多くの人に知ってもらいたいんだけだ」と。

言葉が通じれば、真意をもっと聞くことができたのに残念だ。
とにかく、私には驚きの出来事だった。

彼はゲートまで、ずっと一緒に歩いてくれた。
何もしゃべらなかったけれど。

バトゥの森林公園での出来事。






一番上の写真/洞窟に行く道
下の写真2枚/今は戦争の影も形もなくのどかな公園。日曜日だったせいか、家族連れや若者グループが手に手にゴザとお弁当を持ってピクニックに訪れていた。温泉もきれい。プールのように遊ぶ。


日本軍の洞窟 その2 ジャワで
日本軍の洞窟 スラウェシとフローレスで


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日本軍の洞窟 その2 ジャワで

2012-08-16 | 日本

インドネシアには洞窟が多い。ボルネオの巨大洞窟は、よくテレビの探検番組でやっている。
中にはコウモリがうじゃうじゃ棲み付いていて、それを餌にする長さ4、5メートルもある大蛇がいる。太さも人間の脚より太い。あれを見ると、日本の大蛇伝説や、ヤマタノオロチなんかも、インドネシアの影響を受けているんじゃないかと思ったりする。
脱線したけれど、ボルネオだけじゃなくて、ほかの島々にも洞窟が普通にある。
スラウェシの洞窟は、古くからトラジャ族という山岳民族のお墓にされているところもある。

日本兵はそんな洞窟をよく利用して基地にしていたらしい。

スラウェシ島だのフローレス島だのの山間地の小さな村にたどり着いて
われながらよくこんなところまではるばる来たものだと思うけれど
とっくの昔の1941~1945年、日本人はもっともっとすごい奥地まで、くまなく入り込んでいたのだ。
そのことに本当に驚く。

私のようにジェット機とバスとバイクを使って、いい道を来ているわけではない。
日本から船に乗り、島の岸から山中のジャングルをかきわけて歩いてたどり着いているのだ。
そのエネルギー、ほんとに、すさまじい。そんな行為をさせた力。権力。暴力。
人間の底力となせる技(業)のものすごさを感じる。


さて、ようやく本題である。
写真は、ジャワ島バトゥの山にある日本軍の洞窟。
昨日の写真は、その中から外を見たところ。
入り口はコンクリートで固めて入り口らしくされている。
中に入ると、真っ暗で、ところどころにマンホールの直径ぐらいの、深さ70~80センチの穴があった。
それが通路の真ん中にあるから、うっかりすると足を踏み外してしまう。
何に使っていた穴なのか、よく分からない。
入り口から3、4メートル入っていくと、奥は左右に伸びる長い通路になっていて、隣の洞窟につながっている。
隣というべきかどうか分からないけど、蟻の巣のように、あちこちに迷路のように洞窟が延びている。
確かに、暗くさえなければ、隠れて過ごすには好適だろう。

こんな洞窟が、山の斜面に付けられた細い道沿いに、7つぐらい、並んでいた。


バトゥからブミアジを通りすぎさらに山に向かっていくと、温泉のある森林公園がある。その中にもあるし、そこに隣接した山の斜面にもある。
バトゥはジャワ島東部、マランという大都市の少し西にある高原の町。


あ、ちなみに、コウモリも大蛇もいません、ここには。

写真/ジャワ島バトゥ(2012年)

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