曲芸のように存在する田んぼ。すごいところにある、という以外に、ただただ美しい。
人の手による造形、それも美を目的としたわけではない、なりわいによるもの。
向こうに見える白い屋根は出作り小屋で、家ではない。ここの田んぼの人たちはどこからやってくるのだろう。遠くから歩いてくるに違いない。
また、水はどこから来ているのか。私のいる位置がもっと高いのだから、どこかから湧き水を引いてくることも可能かもしれない。それと天水(雨水)による。乾季には多くの田んぼが休耕する。この田んぼの下の斜面の段々になったところも、雨季には田んぼに戻るのだという。今頃は一面に緑色になっているだろうか。行ってみたいけれど、雨季にここへたどり着くのはかなりの難行となるだろう。
日本が高度経済成長時代以降、減反政策で田んぼを次々に放棄して久しい。田んぼは必要ないのに食料を輸入するという不思議なことが起こっている。今、日本でおいしいお米を作っているおじいちゃんたちの多くは、年金をつぎ込んでいる。日本の米は安すぎる。
話が大きくそれた。
インドネシアはこんなところまで耕しているが、それでも国民すべてを養うには少し足りないと、どこかで読んだ。
(うろ覚えの話ばかりなので私のしてることはモノにならない……)
写真/フローレス島マンガライ県(2012年)
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