島のまにまに~インドネシアの小径~

海洋国インドネシアのあちこちでで出会う、美しい村、美しいもの。自然とつながる暮らし。

日本に帰りたい

2012-05-31 | 旅の途上・交通・バス

 *前の記事の続き

どちらのバスも大差ないので選ぶのに困ってしまった。

結局、どちらも15万ルピアだが、兄さんのバスは17時出発で4時着、姉さんのバスはこの後すぐ16時出発で5時着。同じ路線の高速バスなのに、その違いは何を意味しているのだろう。
つまり、短時間で着くほうが、バスの性能が良くより快適であると推察することができる。
・・・と、そんな推察しちゃだめよ、インドネシアでは。ははははは……。

私は自分のスルドイ推察に従い、しかも1時間でも早く着けるという兄さんのバスを選んだ。スラバヤで知人と落ち会う約束だったからだ。できるだけ待たせたくない。少しでも早く着いていたい。

姉さんのバスは明るいうちに出発していった。
ターミナルに並ぶプラスティックの椅子に座って、排気ガスにまみれながら、私の選んだバスが出発するのを待った。そのバスはZENAという大きな会社ので、珍しくバス会社の制服を来たインド系の顔立ちの女子が切符を売りに来た。ほかにも数人切符売りの若い人がいる。
しかし、5時を過ぎてもバスは出発する気配はなかった。
「何時に出るの?」と女子に聞くと6時だと言う。
「切符売りの兄さん5時って言ったのに」。女子は困った顔をした。
6時になっても、まだ出発の気配はなかった。
私は怒っていた。そして後悔していた。自分に対しても怒っていた。

モスリム姉さんのバスに乗れば、明るいうちだったから景色が見られたのに、もう暗くなっている。せっかくバスに乗るのに景色を見ることができない。私の選択ミスだ。でも、このバスは朝4時に着くと言われたから選んだのだ。それは間違っていない。でもこんなに遅れたら着かないだろう。

「5時に出るって言ったのに」とバス会社の別の兄さんに抗議すると、
「出発時間は遅れるけど、到着時間は遅れないので大丈夫です」だと。
そうなんですか?
そして、7時頃には私の顔にははっきりと「わたし怒っています」と書いてあった。「インドネシアは大嫌いだ」とも。客を獲得するためにだったら、平気で不確かなことや嘘を言う。客の都合なんて考えない。
しかし、そもそもインドネシアのバスで、何時に出発し何時に到着するということを想定すること自体ナンセンスなんだとは、そのときまだ知らなかった。

結局バスが出発したのは夜7時45分、スラバヤに到着したのは朝7時だった。
知人は2時間待っていた。そんなにも待たせてしまったことがくやしかった。

また、やられた。
誰もが確かなことを言い、誰の言うことも基本的には信用していい日本が、悲しいくらい懐かしかった。


日本に帰国後、私はインドネシア語の教科書の中に、「どうして日本人はすぐ怒るのですか」という例文を見つけた。



写真/バリ島デンパサールのバスターミナルで、バスを待ちながらヒンドゥーの飾りを作る家族

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値引きするバス

2012-05-30 | 旅の途上・交通・バス

バリ島のデンパサールからスラバヤの間では、バス会社が熾烈な競争をしている。

オジェでデンパサールのバスターミナルに着くと、大勢の男たちが叫びながら群がってきた。
「スラバヤ」と私が告げると、関係ない人たちは散って行く。残った数人のうち、1人の若い兄さんが私の荷物を持って連れて行こうとする。

この頃、私は多少バスの旅の経験を積んで、用心深くなっていた。鈍行バスに乗らないように。いいバスを選ぶように。バリからスラバヤまでは12時間ぐらいかかるはずだ。いやな思いはしたくない。
兄さんに荷物をつかまれたが、私は立ち止まって、周りの状況をきょろきょろと見た。兄さんにされるがままになるのではなく、自力でスラバヤ行きを探して自力でそのバスに乗り込みたい。私は「インドネシア人は絶対に信じない」と毎晩反省し心に誓っていた。

一人のモスリムのお姉さんが「スラバヤ、スラバヤ」と言いながら寄ってきた。
兄さんと姉さん、2人がスラバヤと叫んでいる。しかし2人は仲良しではなさそうだ。ピリピリした空気が流れている。

「エクスプレスのバスに乗りたい。いっぱい停まるのじゃなくて、速いバス」
「うん、エグゼクティブ、うちの、エグゼクティブ」兄さんが言う。
「いいバスなの?」
「いい、いい、すごくいい」
兄さんは切符に印刷された写真を見せる。

ここでインドネシア人が情熱を込めて「いいバスだ」と言っても、信じてはいけない。そう言われたけどボロボロのバスだったことが何度かある。
「バス見れる?」
「見れる見れる、あれだ、来い」と兄さん。
するとモスリム姉さんが黄色いバスを指差して言った。
「うちのバスはあれよ、中を見て。すっごくいいバス」

2人はライバルなのだ。
まず兄さんのバスまで行って見る。外から見た感じより、中はよくない。が、まあ、こんなところでがまんすべきかもしれない。
すると兄さんは耳打ちした。
「13万ルピアにするから」。

え? バスの料金って、値切れるの? 本来は14万5千ルピアだ。

それならと、モスリム姉さんに小声で「いくら?」と聞くと、13万ルピアの切符を見せながら
「食事つきで12万ルピア」
「えっ? 食事ついてるの?(そんなバスあるんだ)」
「ええ、もちろんよ!」
「わー(こっちにしようかな)」

それで兄さんに
「安いからあっちにする」と言うと
「じゃあ12万ルピアにするからさ」
「食事は?」
「ついてるよ」
バスの料金が担当者の裁量で決まっちゃうなんて、さすがインドネシア。


写真/スラバヤーマラン間のバスの切符。「わら半紙」的な紙でできている。この区間のバスは24時間運行している(2012年)。

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旅のおともに春日井のピーナッツ

2012-05-29 | 食べもの

バスの中に売りに来るピーナツのお菓子。
不安なとき、ピーナツでもあれば、なんだか少し、ほっとする。

インドネシアのピーナツはすごく小さい。大納言小豆ぐらい。
それに小麦粉?を付けてちょっと甘くちょっと塩味で揚げてある。
日本で売っているのと同じ味。
1000ルピア(9円)。

「カチャンカチャンカチャンカチャン」と叫びながらバスの通路を売り歩きます。ピーナツ売りの人
カチャンって、豆っていう意味。ピーナツも豆です。確かに。

こんなの日本で一生懸命食べることないのだけど
ついつい買っちゃったりすると、すごくおいしくて、半分ぐらい一気食べ。
日本なつかし味。
少し甘い味と薄い塩味のハーモニーが絶妙。
小さいから手が忙しいけど。

日本って結構ピーナツ高いから、今度おみやげに買ってこようかな。
飛行機の中でつまむのにもぴったり。


◇写真/ジャワ島で(2012年)

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ちょっと待った!と言えず

2012-05-29 | 旅の途上・交通・バス

荷物運び人やバス会社のスタッフに、スタスタと案内されてバスに乗り込んでしまった場合、もう一つ困ることがある。

長距離バスのときは、長時間バスで過ごすわけだから、車内で必要なものがいろいろある。冷房よけのショール、ルートと景色を確かめるための地図、車内で聞く音楽、酔い止め薬や頭痛薬、などなど。
バスに乗る前にスーツケースから出そうと思っていたのに、そのスーツケースはさっさとバスの下のトランクに押し込められているのだ。

バスにたどり着いたときに、「待って。出したいものがある」と言えば済むだろう。しかし、そのときはそんなことはとても思い出せる状況ではない。
降りたバスから有無を言わせずこのバスに連れてこられて、その人が誰なのかも分からないからほんとにこのバスでいいかも不安、確かめようと何人かの人に「このバス?」と聞いて顔色をうかがったりしている。
周りの人が「そうだそうだ」と言っている、その顔をよく見て、だまされていないか用心する。そして、ぼったくられないよう、値段を聞く。
バスの中をのぞいて、長時間乗車に耐えられるか、エアコンはあるか確認する。

とにかく、かなりテンパっている。おたおたしている後ろから「乗れ乗れ」と言われ、座席を取り、座って、やれやれ。
あ、スーツケースの地図、出してない! 
気づくけど、今さらグズグズするのはひどくみっともない、そういう雰囲気なのだ。

インドネシア人はものをあまり持って歩かないから、あれも要る、これも要るとバッグに詰め込む様子は滑稽に見えるだろう。わざわざバスのトランクからスーツケースを引っ張り出して、開けて中のものを取り出す、その一部始終は、インドネシアの皆さんの格好の見物の的となる。

仕方がないので、ガマンすることにする。
私は席で舌打ちをする。「また、やられた」と。
バスターミナルの見物も出来ず、これからの車内は思い通りにすごせない。
面白くない。そして不安だ。


写真/バスがジャワ島からバリ島へ渡るとき、港で売っていたミーゴレン(焼きそば)。容器が日本と同じで残念(2012年)。

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あれこれ道草したいのに

2012-05-28 | 旅の途上・交通・バス

さて、荷物運び人が、目的のバスまで連れて行ってくれる「バスターミナルの案内人」であるのは事実だが、正直言うと旅人の私としては違う案内がしてもらいたいのだ。

つまり、「ほら、見てごらん、この売店ではこんなものを売っているよ。これはね、……」「このバスは○○行きだよ。○○ってところはね……」「この町は○○が名物だから、このターミナルにもそのいい店があるよ。どう、見に行ってみる?」「バスに乗る前にトイレに行ったほうがいいだろ? あっちだよ」「ナシチャンプルーを買うなら、あのおばさんのがいいよ。それから途中で○○というお菓子を買いに来るからぜひ買いなよ」という案内。
それだったら5000ルピア払ってもいい。

旅人というのは、要するに、暇つぶしをしているのである。出張じゃないから、時間の無駄なく目的地に行くことより、いかに面白く時間をつぶしていろいろなものを見聞するかが大事なのだ。
旅なんて時間を無駄にするためにしているようなものだ。
だから、せっかく初めての町のバスターミナルに着いたのに、一目散に次のバスに押し込められてしまっては何の意味もない。できるだけ遠回りしてそのバスに乗り込みたい。

バスターミナルでの道草。
あまたある売店をのぞき、紅茶を飲もうか、おやつを買おうか迷ってみる。
そこで売店のおばちゃんと会話する。
お客のおじさんから「チナ(中国人)? コリア(韓国人)? どこ行くの?」と呼びかけられる。
面白いものの写真を撮る。その様子をみんなに見物される。
特産の珍しいものがある。
行き来する地元の人を観察する。くまなくぶらぶらする。
どのバスに乗ろうか迷う。切符売りの人に行き先を聞く。
やじうまが寄ってくる。地元の人が教えてくれる。
待合所の椅子に腰掛ける。また誰かが話しかけてくる。
バスに乗り遅れそうになる。待ってーと言いながら走る。

そういったやりとりが、たまらなく楽しい。町の息づかいが肌を通して心に刻まれる。
それこそが旅でしょう。

その楽しみすべてを、荷物運び人が奪ってしまうのだ。そして金を寄こせという。何かおかしくないか?
楽しみどころじゃない。道草は旅人の義務なのだ。



上の写真/ジャワ島マディウムのバスターミナル。ホームに並ぶ小さなお店はジュースや温かい紅茶、車内のおやつになるようなお菓子を売る(2012年)。

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荷物も運ぶ、バスターミナルの案内人

2012-05-27 | 旅の途上・交通・バス

バスの出口にお出迎えに来た人が、バス会社の人だとばかり思っていると、荷物運びで稼いでいるおじさんであることも多い。こういう人たちは、こちらが行き先を告げると、さっさと荷物を肩に担いでわき目も振らずそのバスまで連れて行く。
荷物はキャスター付きの小型トランクなんだから、別に肩に担がなくたっていい。なのに、恐らく肩に担がなければ仕事としてみなされないとでも思っているのだろう、必ず担いでいく。
こっちは、転がせば重くもない荷物だから、持ってもらわなくてもいい。「ダメダメ、返して」と言って奪い取らなくてはならない。

それが、荷物運び人ではなく本当にバス会社の人のこともあるからややこしい。「荷物、いいから、ちょうだい」と頼むと、「大丈夫だ!」と言ってくる。信用できないので「だめだめ、返して」と要求する。「大丈夫だ!」とまた言う。
そんなときは、周りに目をやると、取り囲んでいる人たちが「大丈夫、大丈夫」と言う。そういうときは本当に大丈夫で、バスまでたどり着いてもお金を要求されたりはしない。

ただ、バス会社の人である場合は、「荷物返して」と言えば、分かったよ、という顔をして返してくれ、バスまで連れて行ってくれる。当然だ。荷物運び人は、荷物を返したら仕事にならないから、奪い取らない限り返してはくれない。

この見分けを完璧にすることは不可能である。一種の賭けだ。たとえ荷物運び人だったとしても取られるのは高くて5000ルピア(45円)。ただ、お金の問題じゃなくて、頼んでもない仕事を勝手にしてお金を請求するのかという道義の問題でしょう、と日本人としては思う。


私は荷物運び人の存在が悪いと言っているわけではない。よくガイドブックには「勝手に荷物を運んで法外な値段を要求する人がいるので、荷物を渡さないように」と書いてある。しかし、彼らはバスターミナルで働く人としてしっかりと根を下ろしている。バスから降りてきて乗り換える客に、行き先を聞き、わき目もふらせず道草もさせず目的のバスに案内して、停滞する客をどんどん処理しているのである。その処理のすばやさは見事で、バスターミナルをシステマティックに機能させているようにさえ見える。
バス会社のスタッフたちにも認知されている。客を運んでくる人としてそれなりの期待もされているのだろう。荷物運び人同士のつながりもあるようで、歩きながら仲間に「ジョグジャだ」などと言っている。

何十台もバスが並ぶターミナルで、自分の行き先のバスを探すのは難しい。しかも大きな荷物を持っているときはやっかいだ。いくら引っ張っていけるといっても、ぐるぐる歩き回って探さなければならない。
そういうとき、荷物運び人はいい仕事をする。彼について行けば間違えることはない。荷物も持ってくれている。悪くはないサービスである。荷物を運んでくれる人というよりは、むしろバスターミナルの案内人という役割なのだ。だから、必要に応じて積極的に利用すればよいのだ。

荷物を運んだ後、彼らが要求するのは2000ルピアだったり5000ルピアだったり。そのお金で彼らは自分やあるいは妻子を養っているはずだ。たかだか20円や50円上げたところでこちらの財布が空になるわけではない。彼らはちゃんと仕事をしたんだから、それに相応な金額は払ってもいい。

ただ、わずか10歩歩いて隣のバスに移動しただけで、しかもこっちは荷物を返せと言ったのに返してくれなくて、5000ルピア寄こせと言われると、いやだと言わざるを得ない。5000ルピアといえば、普通の食堂や屋台で肉なしナシチャンプルーが食べられる値段なんだもの。

ここでも彼らは相手に選択肢を与えない。もし
「お客さまの乗るバスは大変遠いところに停車しています。ご案内しますので、お荷物をお持ちしましょう」
と言ってくれたなら、お願いするかもしれない。

ただしそれは、彼らの言うことを信用しても大丈夫という社会をインドネシア人が作ってくれた後の話だけど。



上の写真/ジャワ島スマランのバスターミナル(2012年)

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バスターミナルで、また、たたかいが始まる

2012-05-26 | 旅の途上・交通・バス

私の乗ったバスがバスターミナルに到着し、出口のステップに足をかけるや否や、男たちがワッと群がってくる。そして、口々に「ジョグジャ!」「スマラン!」「バリ!」「マラン!」と叫ぶ。
もっと違うことで群がってもらってるなら嬉しいが、要するにバスの客引きである。
日本人的には、バスに客引きがあるということ自体想定外なので、最初はその言葉が耳に入らずおろおろしてしまう。すると一番前にいた男が強引に私の手からバッグをもぎとって「バリぃバリぃ」と言うのでやっと理解。「バリじゃない、ジョグジャ」と言うと、すかさず別の男が「ジョグジャぁジョグジャぁ」と突進してきてバッグをもぎ取り先に立って歩いていく。

インドネシアではバス会社が多数あって同じ路線に参入している。昼間走る高速じゃないバス、昼間走る高速バス、夜行高速バス、と内容が違うものもあるが、同じ内容でエアコン付きのいいバス(エグゼクティブ)、エアコンなしのちょっと落ちるバス、という違いがあったり、エグゼクティブでも単に会社が違ったり。会社が違えばバスの車両も違うので乗り心地の違いが多少なりともある。
彼らは一人でも多くの客を獲得しようと、到着したバスの出口で待ち受け、まるで木の実をもぎとるかのように客を荷物ごともぎとっていくわけだ。

事情がよく分からないうちは、警戒しながらもその後についていく。バスターミナルに荷物運びの荒稼ぎをしている人がいるというのはインドネシアではよく知られた話なので、とりあえず荷物は返してもらって、引きずりながら。
すると確かに行き先ジョグジャの標識のあるバスにたどり着く。男は私の荷物を、良いバスならバスの下のトランクに、まあまあのバスなら運転席の隣の空いたスペースに、並みのバスなら私が座るのによさげな座席に置く。これで私はこのバスに乗ることが決まってしまう。
しかし、実は、ほかのバスに乗るという選択肢があるのだ。

それが同じ内容、つまり夜行高速なら夜行高速の、他社のバスぐらいの違いならいい。でも、こっちが高速に乗りたいと思っているのに、何も聞かず勝手に各駅停車低速バスに詰め込むのはひどいではないか。

私の少ない経験によると、インドネシア人は知人との間でも選択肢を示さない。これとこれがあるけど、どっちにする?と聞かない。これはイヤだと言って初めて、次の手を示してくれるのだ。
「お客さま、高速にされますか、それとも各駅停車バスにされますか。わが社のバスは停留所が多くて11時間かかりシートも並みではありますが、大変お安くなっておりますので、お客さまのようなタイプの旅行者の方にはオススメします。どうぞこちらへ」
などとは、絶対に、絶対に言わない。彼らは客さえ獲得できれば客の都合などどうでもいいのだ。
「こんなバスに乗せちゃったらこの人疲れて大変かな」とか「もし誰かと向こうで待ち合わせだったら速いほうがいいな」とか、想像したことなど一度もないだろう。想像したとしても気にも留めないだろう。客に好きな方を選ばせるという考えは彼らには皆無である。その辺、全く、いつも、頭に来る! 理解もできない! 「客さえ獲得できれば」、ここ、ポイント!

私はインドネシア人がみんな根っから悪い人だとは思わない。思いたくない。でも、こういうシチュエーションでは、自分の都合だけである。相手の都合は無視。思いやりも気配りも出る幕はない。つまり、たたかわなければ負け。たたかわない方が悪いのだ。それが私には、ひどい人たちに見える。

こういう経験を経て、私は、バスターミナルでの客引きを警戒するようになった。
まず自分から行き先を「スマラン!」と口にする。寄ってくるのは1人だけかどうか。複数いたら私のほうが選ぶことができる。
1人だとしても、ついて歩きながらきょろきょろする。ほかのもっといい誰かが寄って来ないか。スマラン行きのバスが複数ないか。

思い通りのバスに乗りたい。
バスターミナルに降り立つとき、緊張が走る。



上の写真/フローレス島のトラック型バス。悪路用。荷台に大勢の人が乗る。現地の人はバスとは呼ばずトラックと言う(2012年)。

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ジョグジャカルタは遠かった

2012-05-25 | 旅の途上・交通・バス

スラバヤからジョグジャカルタまでは遠い。
その距離感は、日本なら新潟-名古屋とか、東京-福井って感じだろう。さつまいもみたいに東西に長いジャワ島で、スラバヤは東のほう、北海岸。ジョグジャカルタは真ん中へん、南海岸の近く。
日本からスラバヤに着いたばかりの私は、ジョグジャカルタまで、バスで行こうとしていた。高速バスで7、8時間かかる。

考えてみれば、いや、考えてみなくても、ヘンな行動である。経由地クアラルンプールから直接ジョグジャへ飛行機で行けばいいのに、わざわざ遠いスラバヤまで行って、ジョグジャへ移動するなんて。思いっきり「無駄な行動」「無駄遣い」である。バスの隣の席の人は、話を聞いてキョトンとしていた。しかし私はそういう旅行者であるから仕方ない。

空港からスラバヤのバスターミナルに着いた。一人の男が有無を言わさず私をジョグジャ行きバスに連れて行き、荷物と一緒に私を積み込もうとする。
予想していた立派なバスではない。長距離で幹線道路を行くから大きないいバスのはずだ。「ジョグジャ?」とバスの前で念を押すと「ジョグジャ、ジョグジャ」と大きくうなずいて、乗れ、と手で示す。入ってみると、シートはペラペラで、座席は狭い。
しょうがない、きっとこんなもんなんだろう、と思う。バスはすぐに発車した。

高速バスでも、出発してしばらくは何カ所かのバス停で停まる。これは日本と一緒だ。そこで客を拾ってから、本格的に猛スピードで走り出す。
私の好きな歌のお兄さんもピーナツ売りのおじさんも乗って来た。
しばらくそれを楽しんでいたけれど、このバスは、いつまで経っても、定期的に20分ぐらいでバス停に停まり、いちいち乗客が乗り降りする。
どうやら高速バスではないらしいと気づいた。名古屋から東京に行くのに間違ってこだまに乗ってしまったのと同じだ。その先の道中を考えると、気が遠くなりそうだった。

停まっても停まっても、いつまで経っても着かなかった。ねえ、まだ~~?と子どものように叫びたかった。やがて日がとっぷりと暮れ、大きなバスターミナルに着いて、みんながバスから降りた。それはジョグジャではなくマディウムの町で、休憩なのだった。
11時間かかってやっとジョグジャに到着。すでに真夜中。くたびれた。汗まみれ。ほこりまみれ。電車なら2時間ぐらいだ。景色が見たいだけなら電車でもよかった……。
そして、その景色自体、この路線、つまんなかった……。

私をバスに乗せたおじさん、どうして「このバスでいいですか? 高速バスがいいですか?」って聞かないのだろう。
そこのところが、日本人としては、どうしても不思議なのである。
きっとインドネシア人としては、どうしてそんなこと聞かなきゃいけないのか不思議なんだろう。

バスターミナルには「総合案内所」はない。まるでくじびきのようにバスを選ばなければならないのだ。


それ以来、長距離バスに乗るときは、「エクスプレスか、いっぱい停まるか」とまず確かめる。
なるべく土地の人と接することができる庶民的な交通手段を選んでいるけど、長距離バスだけは、シートもよくてエアコンが効いて快適なのを選ぶべきだ。
そんなことは「地球の歩き方」に書いてある。私はこの点においてはガイドブックの言うことを聞く普通の旅人になった。長い旅なら体力を消耗しすぎるのは問題である。くたばってしまっては元も子もない。少々楽をしてもいいのではないか。そもそも普通飛行機で移動するような距離をバスで移動しているだけで、がんばっているじゃない。

11時間もかかる長距離にもかかわらず、運賃は38000ルピア(340円)。あまりに安い。高速バスだったら10~15万ルピアする。これが旅の初日だったので、以後、その値段が私の中のモノサシになってしまい、あらゆるものが高く思えて困った。



上の写真/ジャワ島マディウム-マゲタン間、長距離高速ではない普通のバス。あまりにボロいのでパチリ(2012年)。

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真夜中の峠、食堂の灯がともる

2012-05-24 | 旅の途上・交通・バス

スラウェシ島やフローレス島では、幹線道路といっても、ジャワ島とは違って、ひなびた山の峠を越えていく。真夜中のバスでたいていは眠っているけど、ふと気づくとバスが停まる。そこに忽然と、灯を煌々とつけたお店がある。なぜだかそういうお店は、峠や峠近くの坂道の途中にあって、急斜面にはりついて建つ、掛け家(かけや)造りであることが多い。そんなところに2軒ほどの食堂と、お菓子や土地の特産の果物を売る小さな売店が2、3軒並んでいる。
周りに家はなく、田畑が切り開かれているわけでもなく、まさに忽然としてそんなバス休憩場所がある。
夜中の3時、4時といった時間にこんなお店を開いて働いている人がいることにも驚くが、おそらく通りかかるバスを相手にすることで収入を得ているのだろう。

そんなお店で、食べる人もあれば、トイレだけ使う人もいる。タバコを買って一服する人もいる。
もちろん、あたたかい紅茶やコーヒーを飲むこともできる。
私も何か飲み物を注文する。
赤道直下でも山岳地帯の夜は涼しい。闇の中、そんなところであたたかい飲み物を口にすると、ほっとする。旅の中のそんな時間は、妙に心にしみる。

写真上/スラウェシ島のお菓子屋さんで(2008年)


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もっといいお店で食べさせてください

2012-05-23 | 旅の途上・交通・バス

ジャワ島のスラバヤからスマラン。バスはずっと海辺を走ります。
13時15分スラバヤ発、15時半食事。また変な時間。スマランに20時過ぎ到着。
ひょっとして15時半食事ってインドネシアでは普通なの? ていうか、普通かどうか考えること自体ダメなんでしょうね。
このときは食事がついているなんて思わなかったから、バナナの葉で包んだおかず付きゴハン(ナシ・ブンクスというらしい)を持ち込んでしまって、しまった、と思った。

そんな無理な時間にわざわざ乗客にゴハン食べさせる必要があるんだろうか。
その分値段引いてくれたほうがいいのに。
ちなみに食事代は5000ルピア分上乗せされています。

ところが、そのお店のまずいことといったら! ハエはいっぱいたかってるし、すべて冷めているし、料理の入ったケースやカウンターはいろいろこぼれたりしていて汚らしいし、味もよくないし。店員はやる気ないし(やる気あったらこういうお店にはならないでしょう)。
過去最悪の食堂でした。
しかも、見た目もみすぼらしくて、お店も小さい。
ほかに大きくて駐車場も広くてよさげなところがいっぱいあったのに、
なんでわざわざこんなところに寄るのか不思議。ひょっとして安いから?
それとも運転手さんの親戚の店?
あるいは、いいところがいっぱいだったので、この日は仕方なくここに来たとしか思えない。

と思ったら、帰りもまた同じ店に寄った……。
どうやら、バスが寄る食堂は、バス会社の組織ぐるみの犯行によって決められるようです。

帰りは私、食べませんでした。
もしこの路線に別の会社のバスがあったら、今度はそっちにしたいと思います。
(ないみたいだけど)


写真上/フローレス島幹線道路の食堂。この記事の「ひどい店」ではない。いいお店(2012年)。

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すばやく食べられるからナシ・チャンプルー

2012-05-22 | 旅の途上・交通・バス

長距離バスの、途中の食事のためのレストランは、ナシ・チャンプルーのお店です。
ナシ・チャンプルーって、お皿にご飯とおかずを一緒に盛り合わせるものです。
インドネシア人はそれを指で混ぜ合わせて食べるけど
指で食べてる人、ジャワでは見たことない。スプーンとフォークで食べる人が多い。私は、スプーンか、持参の箸。

スラウェシでは、席に着くと注文を聞きに来たので、肉か魚か伝えたら、揚げ魚付きナシ・チャンプルーとスープを持ってきた。この路線は食事つきじゃなくて自分で支払う形式だったので、いろいろなメニューが選べた。
ジャワでは、カウンターで「ナシ」と言ってから「あれとこれと」って指差して、そのおかずをご飯の上に載せてもらう。食事券で食べるわけだから、肉を頼んでも頼まなくても値段は同じ。だからといってありったけ指差してもいいのだろうか……?とルールは不明。みんなそこそこ、3、4種類しか指差さない。
もう1軒の午前3時の店(前の記事参照)では、大きなテーブルの上に料理の大皿が載せられていて、自分で勝手に取るようになっていた。
これに思いっきり甘い紅茶。甘くないのはない。



写真上/スラバヤ空港のレストランのナシチャンプルー(2012年)

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なぜ夜中の3時に

2012-05-21 | 旅の途上・交通・バス

*前の記事の続き

たまたた3時ごろ通りかかる場所に、いい食堂があるってことなんだろうか(そんなことはない、ほかにもいっぱいあった)。
それとも、運転手のお気に入りの食堂がそこにあるってことなんだろうか。だってまさか、会社としてこの路線では3時に食べるよう計画しているっていうのは、変じゃない?

すぐ日本だったらと考えてしまう。バス会社の企画会議で……
「やはりお客様の便宜を考えますと、6時から8時ごろまでの間にお食事を提供しなければなりませんね」
「その路線でその時間に適当な場所がないんです。夜中の3時ごろならちょうどいいところを通りかかりますが」
「いや、それではサービスになりません。かえってご迷惑をおかけします。それなら車内で食べられるお弁当を手配しましょう」
という会話が繰り広げられるに決まっている。

インドネシア……
要するに、何時であろうと1回食わせりゃいいだろ、ってことなのか。
インドネシア人の食事時間は決まってないというけど、3時って普通?
3時に食べてから5時にお祈り?
でもほとんどの人がゴハン残していた。

やっぱり運転手の気まぐれでその店に入ったに違いない。
とりあえずそう思った私でした。
でもきっとほんとは決まっているのですよ。そんな変な時間に。



写真上/スラウェシ島のレストラン。ここはかなり立派なところ(2008年)

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食事つきのバス。だけど……

2012-05-20 | 旅の途上・交通・バス

最近、ジャワ島の長距離バスには食事がついている。チケットに食事券がくっついていて、食堂に着いたらそれを点線からベリベリベリと破って店員さんに渡すようになっている。
バリ島からの長距離バスは、バス会社各社が参入して客の争奪戦をしていて、「うちのバスに乗ってよ~。食事つきだから」と勧誘される。

食事がついているとも知らず、バスに乗る前に食べてしまったり、バスの中にゴハンを持ち込んでしまったりして、「しまった」と思うこともしばしば。

しかし。

その食事、一体いつ、どこで、なのか、全く乗客には知らされない……。

インドネシアには車内放送ってものがないのです。
日本なら、バスや電車に乗ると、出発前に「このバス(電車)はどこそこ行きで、停車駅はどこで、それぞれ何時何分に到着する。途中○○サービスエリアで休憩する」と案内してくれる。ついでに「急停車することがあるから注意するように」などと気遣ってくれる。さらに「今日は天気が悪いから遅れる可能性もある」とか「シートベルトをしろ」とか「忘れ物はないか」とか、いろいろ世話を焼いてくれる。
そういうもの、一切ない。バスは突然発車する。

で、インドネシアのバスの食事。まあ、常識で言えば、夜なら7時から9時頃だし、昼なら12時から2時頃だと思えば間違いないでしょう。でも、前に書いたように、常識ってないです。

バリ島デンパサールからジャワ島スラバヤ行きのバス、夜7時出発。朝5時頃到着予定。
食事つきってことは、夜7時出発してすぐでしょう。晩ごはんでしょう。
なので、夕食食べずにいた。しかし、インドネシア人の晩ごはん遅いから、10時ぐらいまではありうる。しかし、10時になっても、ない。
食事つきっていうのは私の聞き間違いだったのか……
聞き間違いでないにしても、おなかすいた……。何か食べたい……。
カバンの中のオヤツ食べようか……、でもいくらなんでもすぐ食事だろうし。
そう思ってがまんしながら、11時、12時になっても……ゴハンないです!

あきらめて、寝る。
こんな時間に食べたら体に悪い。


ふと気づくと、エンジン音が止まっている。
バスはどこかの広場に。周りは真っ暗。
ほかの車のブイーンブイーンという音もなくなって静まった中、みんなもそもそ立ち上がって降りていく。
マカンマカン、と車掌の声が聞こえる。

食堂です。時間、3時ですよ!

何がうれしくて夜中の3時にゴハン食べなきゃならんのよ!
これ、何ごはん? 夜? 朝?



写真上/スラウェシ島にて(2008年)
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バスに乗れば、歌のお兄さん

2012-05-19 | 旅の途上・交通・バス
バスの中の歌のお兄さん。
途中の信号待ちやバス停から乗り込んできて、歌ってくれる。
ていうか、彼らにとってはアルバイトであるらしい。

ジャワ島のこういう歌うたいの人たちのことは、旅人の間では(もちろん現地の人にも)有名だ。
学生っぽいお兄さんが多いけど、お姉さんのことも、おじさんのこともある。
おばさんは見たことがない。

もんのすご~く上手な人もあるけど、ただの騒音、はやくヤメロ!って人もいる。
結構上手な人が多い。

1人のこともあるし、3人ぐらいのこともある。
楽器はこういうバンド風のこともあるし、打楽器だけってこともあるし、カラオケってのもあった。
カラオケは最悪だった。

彼らが持っている弦楽器はたいてい小さいギター。これってバス用に改良されたインドネシアオリジナル? 小さいけど、6弦。お店で売ってます。大きなギターじゃ通路を歩きにくいから。
変わったドラムだなぁと思ってよく見ると、塩ビ管。長さの違う2本で音の高さが変わるようにして、それにタンバリンがくくりつけてある。
この塩ビ管、ほかにも使ってる人がいた。結構ポピュラーみたいです。こういうオリジナルなバス用楽器、よく見かけます。




バスはたいてい別途車内設備によって音楽をかけてたりDVDを流してたりするんだけど、お兄さん達は乗ってくると、運転手さんに頼んでそのボリュームを下げてもらう。そして歌が始まる。
一番たくさん歌が聴けてそれもいい歌が多かったのは、バンドゥンからジョグジャカルタへの車中。バスが停まるたび、次々と乗ってきて、たいてい2、3曲歌ってくれる。オリジナル曲が結構多いらしくて、中の一人は、「バンドゥンからジョグジャへの旅の途中~」みたいな、途中の地名をいっぱい盛り込んだ歌を歌ってくれた。上手で、いい歌だった。

スラウェシに長く駐在してたM井さんによると、こういう流しのお兄さんが立派なプロ歌手になる例が結構あるらしい。

歌い終わると、なにやら「ごちゃごちゃごちゃごちゃ」と言って、帽子や箱を持って通路を歩く。
入れられるお金はコイン(100、200、500、1000ルピア)か、1000ルピア紙幣。上述のバンドゥン-ジョグジャ間では、8割方の人が入れていた。スラバヤ-スマラン間ではほとんど誰も入れない……。

最初は、「勝手に乗り込んできて、勝手に歌を聞かせて、それでお金くれって、ちょっと都合よろしすぎない? 強引!」って思ったけど、慣れると逆に楽しみになってくる。今度はどんな人乗ってくるかな? え~誰も乗ってこないの? 歌、歌、誰か歌って~! って。そのために小銭用意しておいたりする。

そう、小銭って、旅人は意外と持ってないのですよ。
だから、やる気のない歌歌ってる人に上げた後、すごく情熱的な歌を聴かせてくれた人に、何にもあげられなかったことが何度もある。悲しい。そりゃあ10000ルピア(90円)上げたってダメじゃないんですけどね。

お金を集め終わると、次の信号とか、バスが速度落としたときに、飛び降りていく。いつの間にか消えてる。

バスの中の歌のお兄さん、私はインドネシア語と英語ちゃんぽんで「Singing Mas」って呼んでいる。

インドネシア人は、「大きなバスに乗ると歌歌う人や物売りの人がいっぱい来るからイヤでしょ。ミニバスのがいいよ」ってみんな言う。「え~っ? 歌のお兄さんは要るでしょ~! 私は大好き」と、私は断固として反論。なんでイヤなの?
バスの中に、歌のお兄さんも、お菓子やゴハンやお土産売る人も、私には絶対必要。今度は何が来るかしら、って、もはやバスに乗る目的の一つにもなってる感じ。

インドネシア人の知人には、「飛行機にも乗ってくるといいのにね」とからかわれてい
る。ほんと、そう思う。



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バスのトイレ、やっぱりインドネシア

2012-05-18 | 旅の途上・交通・バス

バスの中のトイレなんて極力使いたくないのだけど、使わざるを得ないときだってある。
ボゴールからバンドゥンに移動したとき。
恐る恐る入ってみた。狭い。床は例によって水びたし。インドネシアのトイレの床は常に水びたしだ。汚いというわけではない。公衆トイレなのだから、できることなら壁に体も服も触れたくないけど、どうしてもどこかが触れてしまう。それは仕方ない、我慢する。
しかし、このルート、結構な山道なのだ。途中ですばらしい光景の茶畑があったり、棚田があったり。峠をいくつも越える。バスは急カーブを切りながら、時にでこぼこ道を、できる限りのスピードで突っ走る。なので、トイレにいても、ドカン、ドカン、と大揺れするのだ。このときほどトイレに手すりがあったことに感謝したことはない。しっかり手すりにしがみついてないと、トイレの中で転んでしまうことになる。それだけはいやだ。
必死で手すりをもち耐えているのだけど、インドネシアのカマルクチル(トイレ)に必ずあるもの、それは水槽。その水が、バスが揺れるたびビシャッ、ビシャッ、ビシャッ、と降ってくるのでありました。
あとは、便器の中の水が跳ね返らないことを、ただただ祈るのみ。
はぁ……。

失礼いたしました。


◇写真/バスの中にはゴハンやおやつを売りに来る人が多数。
この人はジュースとピーナツ、えびせんべいなどを手製の籠に入れて売っている。
ジャワ島スラバヤ-ジョグジャカルタ間で(2012年)


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