私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

ALWAYS STYLE -- 廃墟の夕日町にミゼットが

2007-10-22 00:10:16 | 映画「三丁目の夕日」

ALWAYS STYLE 創刊号です。阿部秀司プロデューサが「創刊にあたり -- いつも模型マインドを胸に」と題した巻頭記事を寄せています。約160ページの内、約半分が映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に関する記事となっていて、おそらく現時点で出版されている書籍・雑誌の中で、もっとも充実した「三丁目本」になっていると思います。

「こだま号」「DC-6」「ダイハツミゼット」などを中心に、「映画に登場する乗り物はこうして作られた」を詳しく紹介しています。「夕日町のひみつ」などのメーキング裏話を、より掘り下げて紹介した、という感じ。模型や VFX に詳しくない人でも、三丁目ファンならば十分に楽しめる内容です。

私が注目したのは「ダイハツミゼット」のページ。見開きで「廃墟のような三丁目を疾走するミゼット」の写真が掲載されています。「ミゼットで激しい走行シーンを撮影したい」という監督の希望で、「6軸油圧シリンダーで、完璧な3輪ドラフトを決める!」ことになったというのです。

どう考えても、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に登場するシーンとは思えない演出です。

ん? 待てよ。もしかしてこれが、製作報告記者会見で山崎監督の言っていた「内容は言えないんですけれども、オープニングが大変なことになっております。それがやりたかったことですね」に関係するのでしょうか?

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと12日。ますます、ドキドキ、ワクワクが募ります。

キネマ旬報 -- 山崎監督の気になる発言

2007-10-21 00:01:23 | 映画「三丁目の夕日」

公開が近づいて、様々なメディアが「三丁目色」に染まり始めました。

10月20日(土)だけでも、ビッグコミックオリジナル「誌上ロードショー&総力大特集」、キネマ旬報「巻頭特集」、阿部秀司エグゼクティブプロデューサの手による 「ALWAYS STYLE 創刊号」と、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を特集した雑誌が三誌も発売されました。

今日は、吉岡秀隆さんのポスターまで付いているキネマ旬報をご紹介したいと思います。吉岡さん、薬師丸ひろ子さん、山崎監督のインタビューはなかなか読み応えがあります。

私は「試写会全滅」でしたのでまだストーリーをよく知らないのですが、山崎監督のこんな一言に、大きな「見所」のひとつを見つけたような気がしました。

「茶川さんは淳之介を迎えにきた川渕に、最初の方で『お金じゃないんだよ。世の中にはもっと大事なものがあるんだよ』と言ってしまう。これは普通の脚本家なら、絶対に避けるような陳腐なセリフ。それをあえて言わせているのは、茶川さんは自分が言った青臭い言葉に復讐されていくから。淳之介が給食費を払えないとか、『そうじゃない、世の中お金です』という事実を突きつけられていく。彼がそこからどうやって成長していくのか....」

いずれも公開されている予告編などでおなじみのシーンですが、ここに監督の意図が込められているような気がしました。

一方、山崎監督は、このインタビューの最後の方で、続編に関して「....を作ることはあるかもしれない」という、大変興味深い発言をしています。「キネマ旬報11月上旬特別号」は、かなりのお薦めです。

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと13日。「祭り」はまもなくクライマックスを迎えます。

「ALWAYS ショルダーバッグ」完売

2007-10-20 14:23:57 | 映画「三丁目の夕日」

話題の「ALWAYS 続・三丁目の夕日 ショルダーバッグ」を買うために、早起きして汐留の日テレへ出かけました。「日テレ屋」に到着したのは開店直後の午前10時20分頃だったのですが、すでに「ただいま品切中です」となっていました。

「日テレ屋 Web」でも今朝には「SOLD OUT」になっていましたので、急いで汐留に向かったのですが、残念でした。恐るべし、ショルダーバッグ人気!!

それでも気を取り直して、ショルダーバッグ以外のグッズを手にレジへ。レジのお姉さんにお聞きしたところ「11月になればまた入荷すると思います」とのことでした。

「朝一番では在庫があったんですか?」とお聞きしたところ、「はい、朝一番ではあったんですけど、大量に購入されるお客様がいらして....」とのお答えでした。

「大量」に購入したお客様って、いったい何個くらい買ったんでしょうね。

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと14日。公開初日にはあのショルダーバッグを持って、劇場へ行きたかったのに残念です。

茶川商店へ行ってきました

2007-10-18 16:41:39 | 映画「三丁目の夕日」

今年のゴールデンウィーク中、東京・汐留の日本テレビ本社で行なわれたイベント「GO! SHIODOME 黄金週間 CINEMA FESTA」に、茶川商店のセットが展示されました。

待ちきれない私は、初日(4月28日)の朝10時に日テレ本社に到着。ロビーにあの懐かしい茶川商店を見つけたものの、戸が閉じられていてお店の中を見ることができません。係員の方に「中は見せてもらえないんですか?」とお聞きしたところ、「はい」と即答されてしまい、落ち込みました。

「せっかく来たのだから」ということで、「マイスタツアー」に参加して、「ズームイン!!SUPER」のスタジオなどを見学。その後、再度茶川商店が展示されているロビーに向かうと、今度はしっかりと「開店」しているではありませんか。

ロープ越しではありますが、今度は店内もしっかりと見ることができました。駄菓子やおもちゃがたくさん並んでいる店内は、思いの外奥行きがなく狭い感じ。「映画のセットというのは、こうなっているのか」などと妙に関心してしまいました。

ここで茶川さんと竜之介が暮らしていたのかと思うと、自分のことでもないのに、懐かしさがこみ上げてきました。あれから4ヶ月後、二人はヒロミさんと三人で暮らすことができたのでしょうか?

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと16日。その答えはもうすぐ明かされます。

「課外授業 ようこそ先輩」から

2007-10-17 20:25:08 | 映画「三丁目の夕日」

NHK で放送されている「課外授業 ようこそ先輩」という番組をご存じでしょうか?

「各界の第一線で活躍する人々が出身校である小学校を訪ね、その専門とする世界と自らの人生について授業し、後輩の子どもたちに熱いメッセージを送る」というプログラムで、昨年6月には山崎貴監督も出演されました。

この回のナレーションは宅間先生役を演じた三浦友和さん。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のシーンや撮影時の模様、そして監督の幼少時代の写真もたくさん紹介されました。

監督が小学1年から4年まで学んだ長野県松本市立本郷小学校の子供達が市内の映画館を訪れ、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞するところから、今回の課外授業ははじまります。

その後、映画を観て昭和30年代のくらしに興味をもった子供達が、今の時代にはない大切なものに気づき、それを取り戻すにはどうしたらよいのかを考えて行く、という展開で授業は進みました。

子供達とふれあう中で山崎監督が語った印象的な言葉を、いくつか紹介したいと思います。
▲たぶんみんなが反応していることは、今の生活とは違う豊かさみたいなものだと思うんですよ。便利さ故にずいぶんいろんなことに心が動かなくなった。かんたんなことには、人は心が動かないんですよね、達成感がないし。

▲携帯もパソコンもテレビもあるのに、なんとなくつまんないよね。この状況を打破していくには....打破して行きたいじゃないですか。閉塞感をちょっとでも崩して行く方法のひとつが見つかればいいじゃないかと思っていたんですよ。

▲昔が、あの時代はよくて、それを今の世界でそういう風になるためには、何をどうしたらいいんだろう? どういう風に考え方を変えていったらよいのかを考えてみてほしい。

▲(大きな声で「あいさつ」できれば、より仲良くなって、親しい関係になれば、広い心をもてる。広い心が助け合いにつながる、という女の子の発表を聞いて)あぁっ、という「目からウロコ」の感じでした。あいさつしたらお互い顔見知りになるし、何かがあったら、ちょっとしたことでも話ができる。すごいシンプルなことなのに、なるほどと思った。コミュニケーションの一歩めですよね。

▲僕たちはタイムマシンを持っていないから、昭和30年代には帰れません。だから昭和30年代に帰ってあそこで暮らしたいうことよりは、今これから、君たちは、特にこれから未来を作っていく世代だから、どうやって生きていったらいいのか。どういうことを気をつけてやっていったら、今よりもっと良い世の中になるのか。そういうものに向かって行くためのヒントみたいなものが、昭和30年代には隠されているんじゃないかと思っていたんです。

▲それをみんなに発見してもらって、人から教えてもらったことじゃなくて、自分のなかでどうしたらいいのかを見つけて欲しかった。自分で捕まえたものは何よりも大きなことだから。僕も気づいていなかったことをいろんな人が気づいてくれたんで、すごく良かったと思います。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をきっかけに、子供達が自分たちの知らない時代から学んだ大切なものに気がつき、それを取り戻すための方法を考えてみる。子供よりも今の大人達、特に「親」にこそこの授業を受けて欲しいと思いました。

映画は娯楽ですから、観て面白ければそれで良しです。観たときに「スカッ」として、後々あれこれと考えなくてすむ映画も、私は好きです。何よりも、面白いかどうかは人それぞれに異なることであり、映画の見方や好き嫌い、そして解釈は他人に指図されるものではありません。

それでも私が「ALWAYS 三丁目の夕日」をみなさんにお薦めしたいのは、泣いたり笑ったりしている間に、とても大切なことを教えてくれるような気がするからです。

ひたすら懐かしさに浸るのもよいと思います。でも、三丁目の人々に感動する感性が残っていれば、今の世の中をよくするために自分ができることを思いつくかもしれません。

一平が「当たり前じゃないか。明日だって、明後日だって、50年先だって、ず~っと夕日はキレイだよ」と言ったのは、昭和33年の大晦日でした。来年(2008年)の大晦日には、その「50年先」を迎えます。私たち大人は来年の大晦日、子供達に対して「50年先のキレイな夕日」を約束できるでしょうか?

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと17日。

三丁目の夕日「続」で完

2007-10-16 16:58:45 | 映画「三丁目の夕日」

今日付のスポーツ紙各紙は、昨日行われた映画「ALWAYS 続・三丁目」の完成披露会見と日本橋でのイベントの模様を報じています。中でも、「日刊スポーツ」の見出しには、反応せずにいられませんでした。

土曜日のトークショーで山崎監督の口から語られた「卒業宣言」は、やはり事実だったのですね....。

阿部修司エグゼクティブプロデューサは「これで終われた感じはします。『続』で完結します。続編を作れたこと自体が奇跡。今回で見納めです」と語ったそうです。記事は「幅広い世代に支持された感動作は今回の続編で幕を閉じる」と締めくくられています。

確かに、ここまできたこと自体が奇跡なんですよね。それはわかっているのですが、まだ「続・三」が公開もされていないのに、寂しさが募ってしまいます。

小さな頃、夏休みには大好きな祖母のいる田舎へ帰るのが楽しみでした。二学期がはじまっても、来年の夏休みのことを思い「今度はあそこへ行って、あれで遊ぼう」などと想像をふくらませたものです。

思えば「続・三」の制作が発表されてから一年間、私は「翌年の夏休みを待つ小学生」のような気持ちでした。この作品は、「映画を観る」というよりも、「あの場所へ帰る」ような感覚に襲われてしまう、とても不思議な魅力をもっています。

待ちこがれた「夏休み」はもうすぐはじまるのですが、「来年は無い」ことが決まってしまいました。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと18日。夕日町三丁目への「最後の帰郷」はもうすぐです。心ゆくまで楽しまなければなりませんぞ!!

「こだま号」のように

2007-10-15 21:27:15 | 映画「三丁目の夕日」

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の撮影で、実際に使用された「こだま号」のミニチュアです。今年7月10日から9月9日まで両国にある江戸東京博物館で開催された「大鉄道博覧会」に、第一作で使用された「C62」と共に展示されていました。

私はもちろん、当時の「こだま号」に乗ったことはありませんが、小さな頃に見た乗り物の絵本には必ずといってよいほど載っていました。絵本を読んでくれた叔母が、「こだま号はものすごく速いんだよ。来たかと思うと、目にも止まらない早さですぐに見えなくなってしまうんだよ」と教えてくれたのをよく覚えています。

昨日から試写会が始まり、今日は完成披露記者会見が行われ、山崎監督はじめ出演者の方々が日本橋に集合したようです。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まで20日を切って、あと19日となりました。

あれほどまでに待ち望んだ夕日町三丁目の人々との「再会」が、もうすぐそこまで来ています。でも、再開の後は別れが待っているんですよね。それはきっと、目の前を通り過ぎる「こだま号」のように、あっという間の出来事なのかもしれません。

ASIAGRAPH「続・三丁目の夕日」トークショー(2)

2007-10-14 17:42:04 | 映画「三丁目の夕日」

昨日、東京・秋葉原で開催された ASAIAGRAPH 2007 のイベント「ALWAYS 続・三丁目の夕日 VFXのひみつ」のあらましを紹介します。

実は私がもっとも強く印象に残っている山崎監督の発言は、参加者からの質問に答える形で語られた「ALWAYS 三丁目の夕日」卒業宣言でした。

『とりあえず今、次の作品は別のものを予定しているので、昭和には行かないと思うんですけど。まぁ、そうですよね、再現ばかりやっててもねぇ....。再現の方がよろこばれたりするんで、微妙な気持ちになるんですけど。でも、僕自身がその、昭和を次々とやっていきたいということではなくて、まぁ、いろんなジャンルに手を出して行きたいなと思っています』

昨年、「続・三」の制作が発表された時に、欲張りな私は「続の次」まで期待してしまったのですが、奇跡は二度と起こらないようです。きっと監督としては「すべてやり遂げた」という気持ちなのだと思います。

以下、トークショーの中で、私の印象に残ったお話をいくつか紹介します。私のメモと記憶がもとになっていますので、不正確な部分があることをお含み置きの上、お読みください。

---- 0号試写を観て質問をまとめようと思ったんですけど、ストーリーに引き込まれ、ボロボロ泣いてしまってダメでした。まず最初に「白組の制作体制、ハード・ソフト、人数構成、フロー」などを教えていただけますか?

人数は少人数です(笑)。フローはないんですよね。調布スタジオはけっこうぐだぐだな集団。本社から離れており、独立愚連隊と言われ、治安が行き届いていなくて....(笑)

スタッフ構成CGチーム7人、コンポジット専任は3人、ミニチュア常駐3名+2名お手伝い、カメラマンなど3名くらい。役職があるようでない、手が空いていれば何でもやるという感じです。SEが合成やったり、何でもできるように鍛えあげているんですよ(笑)

---- 少人数のメリット、デメリットは?

デメリットは「少ない」ということですかね(笑)。メリットは指導が行き届きやすいことです。情報の伝達を繰り返すと精度が悪くなりますが、少人数の場合はすぐに伝えられ、ロスが少ないので、ピュアな情報を共有することができます。

このように作品のクオリティが揃えられるというメリットがありますが、人数が少ない分完成までに期間がかかってしまいます。

映画はお金がかかるビジネスですから、投資から回収までの時間がかかってしまうことを納得できる人(プロデューサ)でないと、つきあえないということは言えるかもしれませんね。

---- 白組が担当されるのは VFX だけですか?

撮影後、実写分を含めてすべてのカットが完成するまでを担当します。作業に時間がかかるため、その間に関係者がチェックにきて、そこで大きく進路変更されてしまうこともあります。今回の飛行機のシーンもいろいろありました。タイヤの大きさが違うとか、図面通りではダメで「(観る人が描く)イメージとの一致」という闘いもあるんですね。

---- ハリウッドではたとえば1000台のコンピュータでレンダリングをしたりするところもありますが、白組はどうですか?

作業環境も人と同じで少ないです。サーバでやるのかスタンドアローンの自分のマシンでやるのかといったことは、個人に任されている感じですね。

---- 日本式 VFX という感じでいいですよね。1000台あればいいというものではないですから。VFX を含めて、監督が演出で心がけていることは何でしょう?

映画というものはお客様のものです。感動したり、笑ったりということは、お客様のものさしで考えるべきだと思うんです。ですから、できるだけたくさんの人=ものさしに響くか、ということを大切にしています。

裸の王様にならないよう、たとえば照明のアシスタントの人の声であっても耳を傾けるようにしていますね。若い人の声、特に恋愛に関しては女子の意見は貴重で、彼らの顔色が気になります。

---- 映画「続・三丁目の夕日」の中で日本橋の位置づけは?

日本橋は真ん中あたりで出てきます。橋は出会いや別れの場所。一作目は東京タワーで時代を表しましたが、今回は高速道路のない日本橋を選びました。

ただし、CG で高速道路のない日本橋が再現するだけでは満足できないわけで、そこにドラマがないとダメ。そこで、日本橋にストリーを絡ませたんですね。

日本橋は現存してるわけですから、実写撮影ができると思っていたんですけど、そう思っていたのは監督だけだったようです。

交通量が激しい、建造物の陰、期待通りのカットを撮影するようなクレーンを設置できないなどいろいろな問題があって、茨城・霞ヶ浦そばの駐車場に日本橋の16分の1の歩道と欄干部分だけのセットを作り実写撮影をし、白組調布スタジオ内に24分の1のミニチュアを作って撮影、そして最後に CG を組み合わせて再現することになりました。

---- それでは、日本橋でロケはできなかったんですね?

撮影ではなくリハーサルをしました。映画の撮影、しかもリハーサルで日本橋を半日封鎖するなんて、前代未聞のことと言われました(笑)。

役者さん、スタッフとも16分の1のセットだけでは全体像を把握することができないため、「日本橋祭り」という名目で、本物の日本橋の歩道と一車線を半日止めてリハーサルを行うことにしたんです。

---- 日本橋には飾り(彫像)がついていたと思いますが、実物大セットにはないですよね?

美術の方が「作りましょうか?」と言ってくれたんですけど、眼はそう言っていませんでしたね(笑)。「実際に作成すると、どこかのセット(の予算)が消えてしまいますね」と言われました。

結局、そういう交渉のされかたをして負けました(笑)。そして、彫像は CG でやることになりました。

---- 前作の三丁目の町並みのミニチュアは再利用できたんですよね?

一作目の時は「次回作なし」という前提で制作したんですね。夕日町の町並みは6ブロックからなっていて、ミニチュアは繰り返し利用したので、同じ建物に6回の化粧直しが加えられているわけです。

今回も1度だけですが大通りのシーンが出てきます。このために、自分達が前作で作ったシーンを参考にしながら、町並みのミニチュアの復元作業をしなければなりませんでした。「なんでもっと写真を撮っておかなかったんだ」とか言いながら(笑)。

それでもひとつやふたつは前作と違う建物やお店があるかもしれません。それは商売繁盛で、増改築されたと考えてください(笑)。

山崎監督は繰り返し「オープニングには注目してください」と語っていました。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと20日。早く観たい!!

ASIAGRAPH「続・三丁目の夕日」トークショー(1)

2007-10-13 23:10:46 | 映画「三丁目の夕日」

東京・秋葉原で開催された ASAIAGRAPH 2007 のイベント「ALWAYS 続・三丁目の夕日 VFXのひみつ」に参加することができました。

お話の内容としては「夕日町のひみつ」や「メーキング」などの DVD でも紹介されていた VFX 制作の苦労話が多かったのですが、高速道路が空を遮っていない日本橋、羽田空港、特急こだま号などの(私は)初めての映像を見せていただくことができ、とても楽しいひとときを過ごすことができました。

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと21日。ますます期待が高まってしまいます。

※後日、もう少し詳しい内容をアップします

昭和37年 -- 東京タワーが見える廊下

2007-10-12 20:40:42 | 私的「三丁目の夕日」

昭和37年、5歳か6歳のときの私です。右側はご近所のお嬢さんだと思います。写真には写っていませんが、左側の手すりの先には大きく東京タワーが見えました。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に登場する淳之介の服装をみて、「いくら当時の子供でも、あんな格好をしていたかなぁ」などと思った私ですが、この写真を見ると、私の着ている洋服の方がよほどくたびれていますね(^^;

上京した当時、私たち家族は州崎弁天町の木造アパート2階の6畳一間に住んでいましたが、昭和36年の暮れに同じ江東区の南砂町へ引っ越しました。

引っ越し先は父の働く製材工場の社宅で、私は中学2年生までの10年近くをここで過ごすことになります。

この社宅は3階建てで、階段も木製ではなくコンクリート製。幼い私には、建物の高さもさることながら、コンクリート製の階段がとても誇らしげに思えたものです。それから、「雨戸」ではなく「シャッター」がついていたことも。

一部屋に4人家族が暮らす過密ぶりは変わりませんが、少しだけ広くなった3階の8畳の部屋に入居することができました。おそらく、父ががんばったのでしょう。

当時は高層ビルもなく、廊下から観る東京の町並みの中で、東京タワーだけがひときわ目立っていました。夏になると部屋の戸は開けたままでしたから、家の中からも、三丁目の夕日で観たあの景色を観ることができたのです。

後でわかったことですが、この社宅は違法建築だったようです。階段はコンクリートでしたが、建物自体は木造で当時「木造三階建て」は認められていなかったとか。

建物そのものではなく「コンクリートの階段」や「シャッター」に注目した私には、小さな頃から「ものを見る眼」があったということでしょう(^^;