私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

「課外授業 ようこそ先輩」から

2007-10-17 20:25:08 | 映画「三丁目の夕日」

NHK で放送されている「課外授業 ようこそ先輩」という番組をご存じでしょうか?

「各界の第一線で活躍する人々が出身校である小学校を訪ね、その専門とする世界と自らの人生について授業し、後輩の子どもたちに熱いメッセージを送る」というプログラムで、昨年6月には山崎貴監督も出演されました。

この回のナレーションは宅間先生役を演じた三浦友和さん。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のシーンや撮影時の模様、そして監督の幼少時代の写真もたくさん紹介されました。

監督が小学1年から4年まで学んだ長野県松本市立本郷小学校の子供達が市内の映画館を訪れ、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞するところから、今回の課外授業ははじまります。

その後、映画を観て昭和30年代のくらしに興味をもった子供達が、今の時代にはない大切なものに気づき、それを取り戻すにはどうしたらよいのかを考えて行く、という展開で授業は進みました。

子供達とふれあう中で山崎監督が語った印象的な言葉を、いくつか紹介したいと思います。
▲たぶんみんなが反応していることは、今の生活とは違う豊かさみたいなものだと思うんですよ。便利さ故にずいぶんいろんなことに心が動かなくなった。かんたんなことには、人は心が動かないんですよね、達成感がないし。

▲携帯もパソコンもテレビもあるのに、なんとなくつまんないよね。この状況を打破していくには....打破して行きたいじゃないですか。閉塞感をちょっとでも崩して行く方法のひとつが見つかればいいじゃないかと思っていたんですよ。

▲昔が、あの時代はよくて、それを今の世界でそういう風になるためには、何をどうしたらいいんだろう? どういう風に考え方を変えていったらよいのかを考えてみてほしい。

▲(大きな声で「あいさつ」できれば、より仲良くなって、親しい関係になれば、広い心をもてる。広い心が助け合いにつながる、という女の子の発表を聞いて)あぁっ、という「目からウロコ」の感じでした。あいさつしたらお互い顔見知りになるし、何かがあったら、ちょっとしたことでも話ができる。すごいシンプルなことなのに、なるほどと思った。コミュニケーションの一歩めですよね。

▲僕たちはタイムマシンを持っていないから、昭和30年代には帰れません。だから昭和30年代に帰ってあそこで暮らしたいうことよりは、今これから、君たちは、特にこれから未来を作っていく世代だから、どうやって生きていったらいいのか。どういうことを気をつけてやっていったら、今よりもっと良い世の中になるのか。そういうものに向かって行くためのヒントみたいなものが、昭和30年代には隠されているんじゃないかと思っていたんです。

▲それをみんなに発見してもらって、人から教えてもらったことじゃなくて、自分のなかでどうしたらいいのかを見つけて欲しかった。自分で捕まえたものは何よりも大きなことだから。僕も気づいていなかったことをいろんな人が気づいてくれたんで、すごく良かったと思います。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をきっかけに、子供達が自分たちの知らない時代から学んだ大切なものに気がつき、それを取り戻すための方法を考えてみる。子供よりも今の大人達、特に「親」にこそこの授業を受けて欲しいと思いました。

映画は娯楽ですから、観て面白ければそれで良しです。観たときに「スカッ」として、後々あれこれと考えなくてすむ映画も、私は好きです。何よりも、面白いかどうかは人それぞれに異なることであり、映画の見方や好き嫌い、そして解釈は他人に指図されるものではありません。

それでも私が「ALWAYS 三丁目の夕日」をみなさんにお薦めしたいのは、泣いたり笑ったりしている間に、とても大切なことを教えてくれるような気がするからです。

ひたすら懐かしさに浸るのもよいと思います。でも、三丁目の人々に感動する感性が残っていれば、今の世の中をよくするために自分ができることを思いつくかもしれません。

一平が「当たり前じゃないか。明日だって、明後日だって、50年先だって、ず~っと夕日はキレイだよ」と言ったのは、昭和33年の大晦日でした。来年(2008年)の大晦日には、その「50年先」を迎えます。私たち大人は来年の大晦日、子供達に対して「50年先のキレイな夕日」を約束できるでしょうか?

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開まであと17日。

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2 コメント

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想い出。 (GAKU)
2007-10-17 23:37:29
「課外授業へようこそ」は見たことありますけど山崎監督の回は見逃しました。
私は野球が好きでした。でもバットもボールも持ってませんでしたね。
バットは材木をノコとカンナで作り、ボールは新聞紙を丸めてビニールテープでグルグル巻きにして作ってましたね。
そのボールが草藪に飛んでよくなくなるんですよね。
必死で捜しました。
でも楽しかったな。
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こんばんは (アヒル)
2007-10-18 00:04:17
TO: GAKU 様
こんばんは。今日もコメントありがとうございました。
本物のバットではなく棒きれを使った野球、私もよくやりました。
小学生の頃住んでいた社宅が父の勤める製材工場の隣にあったものですから、バットの材料には困りませんでした。
ただ、仕事が終わった製材工場の空き地で遊ぶものですから、ボールが材木置き場に紛れ込み、行方不明になってしまうことがよくありました。
また、あまり遠くまで打ってしまうと、材木を浮かべた運河にボールが落ちてしまうことも。
当時は、毎日、暗くなるまで遊んだものです。「遊ぶのに忙しい」という感じでした。「塾や稽古事で忙しい」今の子供達とは、「忙しい」理由が違いましたね。
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