映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の舞台となったのが昭和34年。その2年後の昭和36年春、当時4歳の私は家族と共に上京しました。40年以上も前のことなのに、今でもその日のことはよく覚えています。
朝一番の普通列車に乗り秋田へ。秋田発奥羽本線の急行列車に半日以上も揺られ、一足先に上京していた父が待つ上野駅についたのは午後9時過ぎだったと思います。母によると私と弟は長旅にも関わらず、急行列車が赤羽駅を過ぎて「もうすぐ終点だよ」と教えられると「もっと乗っていたい」と言ったとか。
母は父から「列車から降りたらその場所から動くな」と言われていたそうですが、今にして思えばそれは大変的確な指示だったと思います。生まれて初めて上京した幼児二人連れの母が、あの混雑の中を移動して父を捜すことなど考えられません。
言いつけ通りホームで待っていた私たちの前に、父はすぐに現れました。数ヶ月ぶりに会う父を観て、少し気恥ずかしかったのを覚えていますが、自らが親になった今、私はその時の父の気持ちがよくわかるような気がします。
国鉄の改札を出て、今でいうホームレスの人々が休んでいる通路を通り地下鉄へ。オレンジ色の地下鉄銀座線に乗り、上野から日本橋へ向かいました。当時の銀座線は次の駅が近づくと車内の照明が消えるようになっていて、それが少し怖かった記憶があります。
日本橋で地下鉄を降り地上へあがると、夜10時を過ぎているというのに、永代通りにはたくさんのクルマや都電が走っていました。おそらく母は、その光景を見て「東京へ来た」ことを実感したのではないでしょうか。
家族を迎えるために父が借りたアパートは、当時の江東区州崎弁天町(現在の江東区東陽一丁目近辺)にありました。日本橋からは38番、または28番の都電に乗って州崎の停留所で降りたはずです。
州崎の停留所を背に州崎橋を渡るとそこは州崎弁天町。かつて遊郭が存在した場所です。州崎橋を渡るときの運河の「異臭」が、幼い私にとって「東京の第一印象」となりました。
「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た私は、急に当時のことが懐かしくなり、40年振りにその場所を訪れてみました。この写真の古い地図の中に、私が東京で最初の夜を迎えたあのアパートがあったはずです。