私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

昭和47年 -- 通学路は夕日町三丁目?

2007-12-01 17:18:20 | 私的「三丁目の夕日」

東京タワーを背に、都電の走る大通りを右折すれば、そこは夕日町三丁目。

モデルになったと言われる「虎ノ門3丁目」は、昭和40年代に町名変更されるまで「西久保巴町」と呼ばれていました。

実は、夕日町三丁目がまだ「西久保巴町」だった頃、そこは私の通学路でした。

すでに都電は走っていませんでしたが、地下鉄「神谷町駅」で降り地上に出て、桜田通りを右折し、西久保巴町を通って愛宕トンネルを抜ける。これが、私が毎日通ったルートでした。

当時は今のように大きなオフィスビルも建っておらず、外国のビジネスマンを見かけることもありませんでした。神谷町駅から愛宕トンネルまでの道は、「とても品の良い下町」というたたずまいでした。

社会人になってからも、なぜかこの周辺にはご縁があって、今のオフィスも愛宕山のすぐ近くにあります。そういえば、私が結婚式を挙げた会館も、大通りを挟んだ夕日町三丁目の反対側にありました(^^;

写真は今から2年前の秋、前作「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た直後に現地を訪れたときのものです。平行して走る桜田通りの喧噪が嘘のように裏道は静かで、昔懐かしい木造・瓦屋根の家がまだ残っていました。

「どんどん変わっていくのね・・・」。私が通った学校は数年前に廃校となりました。トモエさんの言うように、この写真の光景も今では見ることができないかもしれません。