私の三丁目

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」と共によみがえるあの頃、そして今

昭和30年 -- レンズが見てきたもの

2007-12-07 00:01:06 | 私的「三丁目の夕日」

昭和30年に発売された「Minolta A」というモデルです。

昭和31年生まれの私には、誕生直後の写真がたくさんあります。このカメラは父だけでなく、当時としては珍しく母も使いこなしていたようです。

発売時の価格を調べたところ、1万8,500円。カレーライスが100円、天丼が150円、東京~大阪の航空運賃が6,300円の時代です。東北の田舎に住んでいた若夫婦の買い物としては、かなり思い切ったものだったと思われます。

両親がそんな無理をしてまでカメラを購入したのには、理由がありました。

私が生まれる前年の8月、母は初めての子供を出産しました。私の兄です。わずか生後一週間で、兄は母に抱かれたまま駆け足で短い人生を終えたそうです。

時代が時代ですからしかたがないことなのですが、兄の写真は一枚も残っていません。それを不憫に思った両親が、私が生まれる直前に購入したのがこのカメラだったようです。

このブログで紹介してきたモノクロの写真は、いずれもこのカメラで撮影されたものです。小学校高学年になるまで、出かける時にはいつも一緒でした。この小さなレンズが、両親と兄弟3人の家族の歴史をすべて見てきたのです。

実家の家族は私を含めて5人ともどうにか健在ですが、数年前から心は離ればなれになっています。憎しみ合っている、といった方がよいかもしれません。

私が夕日町三丁目に住む人々に惹かれる理由のひとつは、きっと、こんな状況からの現実逃避なのでしょう。

この写真を撮影する時にレンズカバーを外そうと思ったのですが、私にはできませんでした。両親や兄弟との今の不幸な関係を、このレンズに見られてしまうことが怖かったからかもしれません。

手入れもせずに汚れてしまったカメラを磨いてあげなくては。そんなことを思いました。