平成の終わり頃、日本人の心のふるさと・伊勢神宮を参拝してきました。
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参詣者がまだ少ない朝一番に訪問したので、境内は静寂に包まれていました。
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見たこともない柄杓の数!さすが最高峰の神宮です。
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お祭りの順序にならい、豊受大御神をお祀りする外宮から
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天照大御神をお祀りする内宮の順に参拝させて頂きました!
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内宮と外宮の中間点あたりには倭姫命(ヤマトヒメノミコト)をお祀りする倭姫宮があります。
かつて天照大神は当時の皇居にお祀りされていましたが、十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命が御祠を五十鈴川の畔に安置したのが、伊勢神宮のルーツだといわれています。
神宮の基礎を築かれた神様のお宮ですから、この一帯は内宮、外宮と並び特別に神聖な場所だと思われます。
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倭姫宮からほど近く、伊勢消防署前の大きな交差点
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その一角に、玉垣で囲まれた場所があります。
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静謐で、そしてただならぬ雰囲気!
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「日蓮三大誓願 宗門発祥聖地」と書かれた札が掲げられています。
伊勢という神聖な土地柄か、宮内庁が御陵に掲げる札の雰囲気に何となく似ていますね~。
「正法護持財団」という方々が所有・整備されている場所のようです。
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日蓮聖人がまだ蓮長法師だった頃、当時の仏教の中心地であった比叡山を中心に京都、奈良、大阪で諸宗を徹底的に勉強しました。
いずれの宗派も「お釈迦様の教えを忠実に伝えている」と主張しているが、本当はどうなのか・・・?
蓮長法師が真理を求める旅は足掛け12年に及びました。
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お釈迦様の教えの真髄は法華経にあると確信した蓮長法師は近畿からの帰路、特別な思いを抱いて伊勢神宮の内宮に参拝したといわれています。
法華経を世の中に広めるんだという強い決意を天照大神に誓ったのです。
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蓮長法師は内宮参拝の前に、この地にあった常明寺という天台宗寺院に参籠していたそうです。
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蓮長法師が身を清めるため、水垢離をしたというのがこの井戸です。
まだ春も浅い3月に水垢離すること何と100日!
「誓いの井戸」として伝えられています。
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話は逸れますが、昔の参拝者は内宮のすぐ横を流れる五十鈴川で身を清めていたのだそうです。
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これはおかげ横町の地下道に展示されている屏風絵です。江戸時代の「おかげ参り」を描いたものです。
人々は川に入って手を洗ったり口をすすいだりしています。
中にはからだ全体を水に沈めて禊をする人もいたそうですが・・・
やはり日蓮聖人の100日の水垢離は、いかにその誓いが特別なもので、意志が堅固なのかを想像することができます。
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ちなみに内宮の正宮に対面する人々は、一様に砂利敷きに正座ですよ!
見えない何ものかを畏敬する気持ちは江戸時代ですらこうですから、鎌倉時代は・・・どんな位置付けの場所だったのか、想像すらできません。
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話を戻しましょう。
誓いの井戸霊跡の境内は意外と奥に深くなっています。
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いちばん奥に大きな宝塔が鎮座しています。
信仰のある方々が境内を清めて下さっていました。お話を伺うと輪番でお掃除されているそうで、今日は四日市のお寺のお檀家さん達だそうです。
「皆さんのおかげで、本当に気持ちよく参拝できます」と感謝の言葉をお伝えしました。
日蓮聖人の「誓い」といえば、開目抄の「三大誓願」を連想します。
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実はこの宝塔の台座には、三大誓願の銅板がはめ込まれています。
「我為日本柱 我為日本眼目 我為日本大船」
(われ日本の柱とならん われ日本の眼目とならん われ日本の大船とならん)
開目抄は1271年11月から翌年2月にかけて、日蓮聖人が佐渡の塚原におられた時に著されたそうですが、実はそれより18年も前、ここ旧常明寺の井戸での水垢離、そして内宮で天照大神に誓いを立てたことが三大誓願のルーツになったといわれています。
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僕は今まで三大誓願は、立教開宗以後の相次ぐ法難を経験されてきた日蓮聖人が、それでも一歩も退くものかという決意を新たに誓ったものと考えていました。
しかしこのご霊跡を訪問して、根底に脈々と流れる誓いは学僧・蓮長法師の頃から全く変わっていなかったと認識できました。
いや、そうだろうとは思っていましたが、確信しました!
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明治維新期の神仏分離政策の影響でしょうか、常明寺が廃寺となり、日蓮聖人が水垢離をされた井戸周辺は一時荒廃していたそうです。
大正13年に伊賀上野出身の貿易商である川合芳次郎氏が境内を整備し、現在は三重県宗務所が管理して下さっているそうです。
入口の札にあった「正法護持財団」は川合氏が設立したようです。
本当に頭が下がります。彼らへの感謝の気持ちも込め、合掌しました。
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ところで誓いの井戸の手水場には、かわいいアマガエルが住んでいます!
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柄杓の下に静かに佇んでいたのに驚かしちゃってごめんね!
境内をお掃除していた信者さんによると、いつの間にかまた手水場の上に戻っているそうです。
ご霊跡はアマガエルを含め実に多くの方々に護られているんだなぁ、と清々しい気持ちになりました。