日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

正住山内船寺(南部町内船)

2018-08-12 21:57:30 | 旅行
日蓮聖人が遭われた大難の中でも、斬首寸前までいった「龍ノ口の法難」は、それこそ絶体絶命のピンチとして語り継がれています。
(↑画像は藤沢片瀬・龍口寺の日蓮聖人ご霊窟)
多くの武装兵に日蓮聖人が召し捕られ、龍ノ口の刑場に連行されている、という知らせを受けた四條金吾頼基公は、刑場まで日蓮聖人に随行し、「日蓮聖人が処刑されるのならば自分も腹を切って死ぬ」と願い出ました。
光り物の奇瑞により処刑は中止となり、日蓮聖人は一命を取り留めました。

それまでも数々の法難に遭ってきた日蓮聖人でさえ、龍ノ口の出来事は特別だったようで、それだけに四條金吾公を共に死の淵まで行った同志の様に思ったのかもしれません。
のちに日蓮聖人は崇峻天皇御書で「何なる世にか忘れなん」と記しています。



四條金吾夫妻が晩年を過ごし、墓所のある南部町の内船寺を参拝してきました!
富士川の東側、思親山(ししんさん)の麓に内船(うつぶな)の集落はあります。
身延のお山も望める風光明媚な場所です。


山梨県内でも温暖で、かつ降水量の多い南部町では、お茶の栽培が盛んです。


JR身延線の踏切を越えると、大きな題目法塔が目に入ります。


これら法塔を結界として、内船寺の寺域に入ってゆくと思われます。


階段の上に内船寺があるようです。


段数は結構ありますが、なだらかなので景色を楽しみながら上がれます。


階段の途中には、歴代の壇信徒の方々が奉納した法塔が、いくつもあります。


結構上ってきたな~!


お堂が見えて来ました。よく手入れがされている境内です。


山門をくぐる前にお祖師様のご尊像がありました。


穏やかなお顔でお説法をしているご尊像です。


施主でもなければ建立者でもなく、「納経者」が刻まれています。


大きな枝垂れ桜が風になびいています。
その季節になったら、キレイだろうな~


山門です。
我々信徒のヒーロー、四條金吾公のお寺の入口です。ちょっと緊張します!


山号は「正住山」です。


お寺の紋は、井桁に三階松ですね。
華やかではないけど威厳のある松の木は、四條金吾公によく似合っていると思います。


本堂です。
当日はお檀家さんの法事が営まれており、お上人の読経が境内に聞こえていました。
訓読で読まれていました。


歴代お上人の御廟に参拝。


その左端、ちょうど本堂の真裏に四條金吾夫妻の御廟があります。
中央の石室の中に、四條金吾公と奥様の供養塔が並んでいるそうです。


1277年、四條金吾公48歳の時に、内船に持仏堂を建立したのが、内船寺のルーツです。


(↑画像は鎌倉・長谷の桑ケ谷療養所跡の碑)
1277年といえば、桑ケ谷問答の年、四條金吾公にとっては激動の年だったに違いありません。
日蓮聖人のお弟子さんの圧勝で終わった桑ケ谷問答の場に、四條金吾公が立ち会っていた事が元で、あらぬ讒言(ざんげん)が流れました。主君の江間氏はこの讒言に流されて、四條金吾公を謹慎処分にしてしまったといいます。


しかし間もなく江間氏が重病にかかり、その際、医術に長けた金吾公の調薬で回復したことで、金吾公の謹慎は解かれ、内船に移住したようです。
日蓮聖人はこの年の末あたりから体調を崩し始めたようで、四條金吾公は内船を拠点にして日蓮聖人の看護にあたったと思われます。


(↑画像は身延山・東谷の端場坊)
さらに日蓮聖人の最晩年になると、御草庵に近い東谷に端場坊を設けて全力で看護・給仕をしたようです。
そして、日蓮聖人がご入滅後も、熱心に御廟に給仕していたといいます。


日蓮聖人がご入滅されてから14年後、四條金吾公は67歳で亡くなったそうです。
法名・収玄院日頼上人は生前に日蓮聖人に頂いたものだそうです。
内船寺では毎年遠忌法要を、特に最近は御命日の3月15日厳修に戻すようになったと聞きました。


今年で719遠忌になるそうですよ。


四條金吾公を支え続けた奥様は、その3年後に亡くなったようです。殊勝院日眼上人の墓石がありました。
お二人が晩年を過ごした邸跡は、ご夫妻を開山として今の内船寺となりました。


四條金吾公が我々信徒の心を揺さぶるのは、お祖師様のご遺文にも垣間見える、その人間臭さでしょう。
日蓮聖人が龍ノ口の刑場で斬首されるとなれば、自分も切腹して続く!と願い出るなど、師匠に対する気持ち、信仰の深さは図抜けた人だったと思われます。
一方で、その気の短さとか慢心とかを、お祖師様は時折厳しく指導しています。元来は血気盛んな一武士なのでしょうが、何ていうか僕のような市井の一庶民、一信徒にも通ずる部分があり、だから身近に感じられる偉大な先哲なのかもしれません。


内船寺は山の中腹にあるにもかかわらず、お檀家さんとか近所の方、そして通りすがりの旅人などがひっきりなしに訪れていました。
ご住職によると、お寺に至る階段は、配達の人なんかが昼休みに昼寝してることもあるそうです(笑)。

敷居の低い、オープンな雰囲気は、四條金吾公のお寺ならでは、なのかもしれませんね!
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