日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

法鏡山妙傳寺(京都市左京区北門前町)

2018-03-22 22:57:19 | 旅行
最近、ご霊跡巡りの参考書として、汎用させて頂いているこの書
望月真澄先生著「身延山参詣道を歩く」(せいしん刊)には、特に江戸時代の各地の法華信徒が、いかにして身延山を参詣していたかが詳細に記されています。


例えば江戸の武家女性は、行きに11日要し、身延に9日間滞在したあと、帰りに12日の合計32日の長旅でした。
また、伊予西条松平家の参詣は、伊予→身延→江戸の行程に50日ほどかかっています。


行こうと思えば数時間で身延山に着いてしまう現代の感覚では、およそ計り知ることができないくらい「身延山参詣」はハードルが高かったと思われます。


(↑ 画像は「東身延」鎌倉・本覚寺)
そのため、先師たちはお祖師様のご真骨を、遠く離れた地に少しずつ分けてお祀りしました。
信徒たちはその場所を身延山に見立てて参詣したのです。

鎌倉・本覚寺のほか、茂原・藻原寺や能勢・真如寺なども「~身延」をうたっています。


今回は「関西身延」京都の妙傳寺を訪問しました。


東大路と二条通りが交差する、交通量の多い交差点に面しています。


お祖師様のご尊像が交差点に向かって立っています。
まるで辻説法しているような配置です。


右手にお数珠、左手にお経を持っています。
顎やのど元に力が入っています!


山門です。
周囲の堂宇の屋根とのコントラストが美しい!


妙傳寺は室町時代の僧・日意上人が開いたお寺で、日蓮宗本山です。


本堂です。
道路が迫っているので、僕のカメラでは塀の外からしか全体像が写せませんっ!


ここに「高祖舎利」の扁額が掛かっていたので、ご真骨堂と思われます。
ここにご真骨がお祀りされていると思うと、確かに御廟にいる気持ちでお経が唱えられます。


天台僧だった日意上人は比叡山で学頭まで務められた、いわゆる「天才」だったようです。
常々天台宗に疑問を持っていた日意上人は、ある夜、当時の身延山の法主・日朝上人の夢を見ました。


これは何かのお告げだろうと、日意上人は急いで身延山に向かい、日朝上人に拝謁しました。
二人は三日三晩、法論を交わした結果、ついに日意上人の疑問は解け、日朝上人のお弟子さんになりました。


日意上人が京都にお寺を開くに際し、身延から遠い京都の地でもご真骨を拝めるよう、妙傳寺に分骨したそうです。
日意上人はのちに身延山12世法主になりました。
日朝(11世)日意(12世)日伝(13世)は「身延山中興の三師」と呼ばれているそうです。
その後の世代にも重・乾・遠が存在しますが、どちらも「中興の三師」なのでしょう。


妙傳寺の創建は、応仁の乱が終結した1477年です。
政情不安で法華経に信仰を求める人々の拠り所になったのでしょう。


しかしやはり京都の法華寺院、天文法難や火災などの苦難に直面し、何度も移転しながら現在の場所に落ち着いたようです。


京都のお寺らしく、歌舞伎の片岡家のお墓があります。
日蓮宗には文化・芸術界の檀信徒さんが多いですね!


そうそう、妙傳寺の掲示板にこんなポスターが!
お寺で落語会、やるそうですよ!
月亭方正さんは立正大学卒のようです。
どんな噺をするのかな?気になります!!
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