昨日、テレビを見ていたら、NHKでテレビについての現在、これから、といったようなテーマでトーク番組をやっていた。面白いのでなんとなく見ていた。時代が進むとテレビが無くなるかもという言葉も出たりしていたが、まずそれはないと思う。壁に組み込まれることはあるかもしれない。個別、移動型にはなってきていて、これが更に何かのかたちへ進む。そして、これらも含めて壁に組み込まれる、という方向へ行く。例えば、車にカーナビと一緒に組み込まれたように・・・。その場にふわっとした霧のような雲のようなモードを漂わせる役割になるかもしれない。それが良いかそうでないかは分からない。影響力という点で考慮されなければならない面は出るかもしれない。
テレビの威力があるとすれば、それは、ネットなどに比べてより多くの自分以外の人が見ているということだ。それも同時に。そのことそのものが威力ということだ。そう意識させられるメディアである、ということだ。ストレスなどもそこから生まれるのだと思う。
レートというものの話なのだが、今、円安に振れて、振れたところで少し落ちついている。ここまで円安に振れるということはあまり想像できていなかったらしく、予想を言っていた人もあまりいないようだ。確かにあっという間だった。こうなるともうすぐに景気上向きの気分を言う人が出てきている。つい2,3か月前まで円高方向での推移を固唾をのんで見つめていたと思ったらもうこのような状態だ。自民への政権交代と時を同じくしているところが気持ちが悪い。比較の問題であるのにもう円安の気分を基調においた物言いが蔓延し始めたところなのだが、ふと思う。わずか数か月前までのあの円高、というより円高圧力はいったいどうして(どのようにして)形成されていたのか、と。経済に詳しい人には簡単なことなのかもしれない。そしてその理由がどうであるかということよりも私には何でそんなに上がったり下がったりすることで騒ぐのか、騒ぐのを聞いているのが何かわずらわしく、疲れるなと感じられるのだ。その上下が死活問題であるほど重要な人々も多くいるはずで、そういった人には失礼かもしれないが、いつもそう感じる。台風や地震などと同じ、自然現象に近いものと捉えると良いのだろうか・・・、と思ったりもする。