先日、この世の時計がぜんぶ止まるんじゃないかと思うくらい、長い長い1時間を過ごした。
某音楽雑誌のインタビューに、通訳者として呼ばれた。あるロシア人ピアニストがお相手だ。わたしもライターだけれど、この日は別のライターさんが担当されていて、私は通訳専門としての同席だった。
この1時間がかなり大変。インタビュアーもピアニストも、かなり突っ込んだ話しになっていて、とくにピアニストはもっっっのすごい早口でひたすら英語をまくしたてるタイプ。お仕事なので、こんな比較はナンだけれど、シドニーでの通訳試験のときよりも数十倍、気が遠くなりそうな事態に陥った。
矢継ぎばやに展開されるやり取りでは、わたしの脳みそのフル回転なんぞ、ギリギリいっぱい。ノートテイキングが大変、でも、その再現に時間を取ってはいけない・・・。緊張から開放された1時間後は、なんだ浦島太郎みたいな気分になった。つまりどっと時を経たかのような、疲れきった感覚。
シドニーの先生が「通訳者はどこまでも透明人間」と言っていたのを思い出す。
透明でまるで見えないくらい、人と人とのコミュニケーションを促す仕事って、その緊張具合とは裏腹だけれど、やっぱり魅力ある領域だ。
****
ときどき大人の方を相手に、英会話のレッスンをしている。中でもとりわけ楽しそうに英語を使う女性が、今日のレッスンでこんなことを言っていた。
「まわりの人から、英会話なんて習ったりしなくても、自分で英語の歌をいっぱい聴けばいいとか、外国ドラマを見て覚えたとか言われる。TOEICを受けたりするのも、考えものだという人もいる。先生はどう思う?」
そう。よくいる。洋楽の歌詞で英語をモノにした、とか、ドラマや映画で英語を習得!とか。私はいわゆるガリ勉タイプで、単語カードも死ぬほど作ったし、シャドウイングや音読や多読や、TOEIC、TOEFL、英検受験や、ありとあらゆる「訓練」をして、終いには英語圏で通訳翻訳の修士過程までやって、ようやく「なんとかなってるかいな」というところだ。正直、「モノにした」という感覚はピンとこない。歌や映画で習得できたら、すっごいなーーー!と思う。
一応、生徒さんにはこうお答えした。
「私は音楽をやっていたから、『発音がいいのは、音楽をやって耳がいいからだね』と言われることが多い。でも現実は、発音がいいとしたら、死ぬほど音読をやった結果だよ。正直それにつきるよ。人より数十倍やったと思えるくらいやったよ。歌詞やドラマの台詞で、英語を学べたというのは素晴らしいけれど、きっと、そういう場合は、『サバイバル・イングリッシュ』で、海外でもなんとか言いたいことを言った!っていうところなのかも。
でも、どうせ「英語をやる」んならば、ひとりの大人としての、きちんとした言い回しができたり、品位ある言葉遣とか、思いやりを込めた表現なんかができた方がいいじゃない。だから勉強ってするんじゃないのかねぇ」
思いつきでそう答えたんだけれど、それは、そっくりそのまま自分への答えというか、反省だ。相手を思いやったり、相手の発想を促したり引き出したり、こちらの言い分も話しながらひらめくような、言葉。そういう言葉を少しでも、一生かけて紡いでいく作業を、していけたらいいのだけれど。
圧倒的に勉強量が足りないのだった!!!
嗚呼日々之反省也。。。。
某音楽雑誌のインタビューに、通訳者として呼ばれた。あるロシア人ピアニストがお相手だ。わたしもライターだけれど、この日は別のライターさんが担当されていて、私は通訳専門としての同席だった。
この1時間がかなり大変。インタビュアーもピアニストも、かなり突っ込んだ話しになっていて、とくにピアニストはもっっっのすごい早口でひたすら英語をまくしたてるタイプ。お仕事なので、こんな比較はナンだけれど、シドニーでの通訳試験のときよりも数十倍、気が遠くなりそうな事態に陥った。
矢継ぎばやに展開されるやり取りでは、わたしの脳みそのフル回転なんぞ、ギリギリいっぱい。ノートテイキングが大変、でも、その再現に時間を取ってはいけない・・・。緊張から開放された1時間後は、なんだ浦島太郎みたいな気分になった。つまりどっと時を経たかのような、疲れきった感覚。
シドニーの先生が「通訳者はどこまでも透明人間」と言っていたのを思い出す。
透明でまるで見えないくらい、人と人とのコミュニケーションを促す仕事って、その緊張具合とは裏腹だけれど、やっぱり魅力ある領域だ。
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ときどき大人の方を相手に、英会話のレッスンをしている。中でもとりわけ楽しそうに英語を使う女性が、今日のレッスンでこんなことを言っていた。
「まわりの人から、英会話なんて習ったりしなくても、自分で英語の歌をいっぱい聴けばいいとか、外国ドラマを見て覚えたとか言われる。TOEICを受けたりするのも、考えものだという人もいる。先生はどう思う?」
そう。よくいる。洋楽の歌詞で英語をモノにした、とか、ドラマや映画で英語を習得!とか。私はいわゆるガリ勉タイプで、単語カードも死ぬほど作ったし、シャドウイングや音読や多読や、TOEIC、TOEFL、英検受験や、ありとあらゆる「訓練」をして、終いには英語圏で通訳翻訳の修士過程までやって、ようやく「なんとかなってるかいな」というところだ。正直、「モノにした」という感覚はピンとこない。歌や映画で習得できたら、すっごいなーーー!と思う。
一応、生徒さんにはこうお答えした。
「私は音楽をやっていたから、『発音がいいのは、音楽をやって耳がいいからだね』と言われることが多い。でも現実は、発音がいいとしたら、死ぬほど音読をやった結果だよ。正直それにつきるよ。人より数十倍やったと思えるくらいやったよ。歌詞やドラマの台詞で、英語を学べたというのは素晴らしいけれど、きっと、そういう場合は、『サバイバル・イングリッシュ』で、海外でもなんとか言いたいことを言った!っていうところなのかも。
でも、どうせ「英語をやる」んならば、ひとりの大人としての、きちんとした言い回しができたり、品位ある言葉遣とか、思いやりを込めた表現なんかができた方がいいじゃない。だから勉強ってするんじゃないのかねぇ」
思いつきでそう答えたんだけれど、それは、そっくりそのまま自分への答えというか、反省だ。相手を思いやったり、相手の発想を促したり引き出したり、こちらの言い分も話しながらひらめくような、言葉。そういう言葉を少しでも、一生かけて紡いでいく作業を、していけたらいいのだけれど。
圧倒的に勉強量が足りないのだった!!!
嗚呼日々之反省也。。。。
あれだけ、もともと英語の素養が高くて様々な経験とハードルをくぐり抜けて集まった仲間が、みんなウンウンと冷や汗を流して通訳の授業に挑んでいたじゃない?授業以外でも、これでもかってほど練習したり。
だから、通訳なんてカンタンでしょ?みたいなことを言う人に出会うたびに、あの授業風景を見せてあげたいと心から思う。
あえてそれを声高に主張する気になれないのは、それをわかり合っている仲間がいるからいいや、っていう気持ちかな。戦友!応援してるよ!私もジタバタしてます!シュシュタージュ!
そりゃあもう、あの頃の必死さと気迫たるや、みんなすごかったよねぇ・・・ある意味青春よねぇ~!
倒れるくらい(言葉通り倒れて、私はAtzとDeborahに支えられて保健室行ったよ・苦笑)訓練した成果、出てんのか?といわれると結構キツいけど、じわりじわりと、あのときがなければ今はないなぁ・・・って思います。Aso先生の翻訳はとくに。
今も地球の東西南北にちらばって、みんなでジタバタしてるんだよね、われら。がんばろう。仲間の存在は勇気になるよ♪デンマークでの健闘を、祈るっ!!