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日常あるいは平穏な日々

日々思う事をつれづれなるままに書いていこうと思います。

日常あるいは哲学する日々 ~自分教 外典2~

2011年07月19日 | 自分教
先日、『こわれ者の祭典』というイベントに参加してきました。
パネラーさんは、心療内科の方、アルコール依存症で引き籠り経験者、DV経験者、リストカット経験者、脳性麻痺の方、など。

そのイベントに参加して触発された事があったので、短いですが書きとめておこうと思います。

私は、人生というものは、良いものでも悪いものでも何でも無く、ただ在るものだと思うのです。
にも関わらず、それを素晴らしいものであるとか、苦しいものであると感じるのは、人それぞれの思いに左右されるからだけなのではないかと。
と言いつつも私自信は、生きる事とは苦しい事だと思っている側で、この辺りが、まだまだ未熟だなぁと思うわけです。

また、アルコール依存もDVもリスカも過食嘔吐も自殺未遂も無い身としては、
「こういう人が居るんだ」という様に理解出来る事があったとしても、
共感は出来ないものだという事を、当たり前なのですが思ったのです。安易に出来ないというか。
共感というものは、やはり、類似性のある経験によって生み出されるものなのだな、と。

そしてもう1点。
人が自分に対して不安に感じるのは、自分の存在を確認出来る場を喪失するからなんだな、という事です。
自分の存在を確認できる場が無くてば、自分というものに対する認識が、どんどんと霞んでいく。
そうなってしまったら、自分は自分の事を認められやしない。そしてそれは、容易に自己否定に繋がる気がするのです。

私が東京に来てから感じる息苦しさの一つは、こういう事なんだろうと思ったわけです。

東京は、すれ違う人が多すぎて、しかも、その殆どの人は、周りの人を個性ある人として認識しない。
それは、その個という存在を神経を擦り減らしている様な気がしてならないのです。
そして都会の人の心が荒む理由の一つは、そんなことなのだろうと思ったのでした。

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