という事で、もう随分と前に観て来た、『葦牙(あしかび)』という映画の感想です。
詳しくは、リンク先の情報も見ていただくとして、これは、記録映画です。
児童擁護施設の様子を、そのまま偽り無く映したものなので、
特にストーリーやオチはありません。
しかし、だからこそ伝わるものがありました。
施設で過ごす子供たちに、悲壮感は、それほど感じられません。
非常に強く生きていると思います。
しかし、一様に持っているものは、『両親と一緒に過ごしたい』
という思いですね。という事は、心の底では寂しさを抱えているのです。
彼等彼女等は、家庭の都合により施設で生活することを
余儀なくされていますが、やはり本心は、両親と一緒に居たいのです。
中には、両親の記憶が無いくらい小さな時から施設で生活している
子供も居り、そういう子供の中には、親という存在すら分からず、
一緒に過ごしたいという思いすら抱けない子も居ますが。
施設に預けられる子供の多くが虐待の経験を有しており、
虐待から保護するために預けられています。
虐待は、そう簡単に無くなりませんし、止められないそうです。
そのため施設が保護した後も、親が反省したと名乗り出てきても、
容易に子供を返すことはできません。
虐待を受け続けた子供は、コミュニケーションの手段として
暴力を用いる様になります。私は、この映像を見るまでは
全く実感がありませんでしたが、本当にそうなのだと、
暴力の連鎖は、こんな形でも起こりうるのだと知って、慄然としました。
親が児童虐待に及ぶケースとしては、幾つか要因があるようです。
「貧困」や「育児」によるストレス、など‥‥。
虐待に関する統計で、興味深い数字があります。日本における
児童虐待による死者は、1週間に1人以上にのぼるそうです。
総務省の報告
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0330-4.html
施設長さんは言います。
「10年ほど前から、預かる子供たちの様子が変わってきた。
昔は、その子の中に踏み込み、探すことで、その子供の心が見えたが、
最近の子供は、何処を探しても心が見つからない。
だから最近は、子供と一緒に心を作るようになった」
(表現は、多少違うが、だいたいこういう意味のことを仰ってました)
社会は、およそ10年前を境に、大きな変化を迎えているのかも知れません。
詳しくは、リンク先の情報も見ていただくとして、これは、記録映画です。
児童擁護施設の様子を、そのまま偽り無く映したものなので、
特にストーリーやオチはありません。
しかし、だからこそ伝わるものがありました。
施設で過ごす子供たちに、悲壮感は、それほど感じられません。
非常に強く生きていると思います。
しかし、一様に持っているものは、『両親と一緒に過ごしたい』
という思いですね。という事は、心の底では寂しさを抱えているのです。
彼等彼女等は、家庭の都合により施設で生活することを
余儀なくされていますが、やはり本心は、両親と一緒に居たいのです。
中には、両親の記憶が無いくらい小さな時から施設で生活している
子供も居り、そういう子供の中には、親という存在すら分からず、
一緒に過ごしたいという思いすら抱けない子も居ますが。
施設に預けられる子供の多くが虐待の経験を有しており、
虐待から保護するために預けられています。
虐待は、そう簡単に無くなりませんし、止められないそうです。
そのため施設が保護した後も、親が反省したと名乗り出てきても、
容易に子供を返すことはできません。
虐待を受け続けた子供は、コミュニケーションの手段として
暴力を用いる様になります。私は、この映像を見るまでは
全く実感がありませんでしたが、本当にそうなのだと、
暴力の連鎖は、こんな形でも起こりうるのだと知って、慄然としました。
親が児童虐待に及ぶケースとしては、幾つか要因があるようです。
「貧困」や「育児」によるストレス、など‥‥。
虐待に関する統計で、興味深い数字があります。日本における
児童虐待による死者は、1週間に1人以上にのぼるそうです。
総務省の報告
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0330-4.html
施設長さんは言います。
「10年ほど前から、預かる子供たちの様子が変わってきた。
昔は、その子の中に踏み込み、探すことで、その子供の心が見えたが、
最近の子供は、何処を探しても心が見つからない。
だから最近は、子供と一緒に心を作るようになった」
(表現は、多少違うが、だいたいこういう意味のことを仰ってました)
社会は、およそ10年前を境に、大きな変化を迎えているのかも知れません。