日常あるいは平穏な日々

日々思う事をつれづれなるままに書いていこうと思います。

日常あるいは人と会う日々 ~ランチ~

2010年03月10日 | Weblog
という事で今日は、とある勉強会で知り合った方と3人で、昼食を取った。

これがまた、非常に面白い!
やはり興味分野が近い人と話すと、話が盛り上がります。
今日話した内容は、
・本当に幸せな生活とは
・お金に頼らず(または、依存度を減らして)生きていくには
・経済の形について
・教育に必要なこと
・幾つかの教育の事例
など

上記のトピックを見て、昼休みに話せる内容か?
と思った貴方は、鋭いっ!
気付いたら、お昼休みの規定の時間を大幅に超えてましたw

しかし、新たな気付きも沢山得られたので、非常に良かったです。
また来月、集まろうという話になっているので、今から楽しみです。

日常あるいは映画を観る日々 ~『葦牙(あしかび)』~

2010年03月02日 | ゲーム&漫画&映画
という事で、もう随分と前に観て来た、『葦牙(あしかび)』という映画の感想です。

詳しくは、リンク先の情報も見ていただくとして、これは、記録映画です。
児童擁護施設の様子を、そのまま偽り無く映したものなので、
特にストーリーやオチはありません。
しかし、だからこそ伝わるものがありました。

施設で過ごす子供たちに、悲壮感は、それほど感じられません。
非常に強く生きていると思います。
しかし、一様に持っているものは、『両親と一緒に過ごしたい』
という思いですね。という事は、心の底では寂しさを抱えているのです。

彼等彼女等は、家庭の都合により施設で生活することを
余儀なくされていますが、やはり本心は、両親と一緒に居たいのです。
中には、両親の記憶が無いくらい小さな時から施設で生活している
子供も居り、そういう子供の中には、親という存在すら分からず、
一緒に過ごしたいという思いすら抱けない子も居ますが。

施設に預けられる子供の多くが虐待の経験を有しており、
虐待から保護するために預けられています。
虐待は、そう簡単に無くなりませんし、止められないそうです。
そのため施設が保護した後も、親が反省したと名乗り出てきても、
容易に子供を返すことはできません。

虐待を受け続けた子供は、コミュニケーションの手段として
暴力を用いる様になります。私は、この映像を見るまでは
全く実感がありませんでしたが、本当にそうなのだと、
暴力の連鎖は、こんな形でも起こりうるのだと知って、慄然としました。

親が児童虐待に及ぶケースとしては、幾つか要因があるようです。
「貧困」や「育児」によるストレス、など‥‥。

虐待に関する統計で、興味深い数字があります。日本における
児童虐待による死者は、1週間に1人以上にのぼるそうです。

総務省の報告
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0330-4.html

施設長さんは言います。
「10年ほど前から、預かる子供たちの様子が変わってきた。
昔は、その子の中に踏み込み、探すことで、その子供の心が見えたが、
最近の子供は、何処を探しても心が見つからない。
だから最近は、子供と一緒に心を作るようになった」
(表現は、多少違うが、だいたいこういう意味のことを仰ってました)

社会は、およそ10年前を境に、大きな変化を迎えているのかも知れません。

日常あるいは学校見学する日々 ~世田谷のとある小学校・後編~

2010年03月01日 | 社会
という事で、第二部です。

世田谷にある小学校の取り組みである食育は、確かに素晴らしいものでした。
しかし、現代の社会が抱える病巣が、子供に如実に現れている場面を
垣間見もしました。

ここでは、食育とは離れ、子供に見た社会の病巣について触れようと思います。

実は、豆腐作りを行っている最中に、1つの出来事がありました。
6つの班に分かれて豆腐作りを行っていたのですが、とある班が、
鍋の温度を測るために利用していた温度計を割ってしまいました。
割れた温度計は鍋の中に入り、もちろん、その班の豆腐作りは中断です。
そこで先生から、一つの提案がなされます
「その班に、みんなから少しずつ分けてあげよう」

個人的には、子供に学んで貰う非常に良い機会なのに、
先生から提案するというのは、とても勿体無いと思うわけですが、
豆腐作りの時間も押していたので、これが公教育の限界なのかも知れません。

それはそれとして、ここでの子供の反応が非常に興味深い。
ある人は言いました「失敗を奨励し、不正を正す」
そう、失敗と不正は違うのです。しかし、子供の反応はというと
「えぇ~、やだ!」
「だって、割ったあの班が悪いんじゃん!?」
というものです。
私は、割れた瞬間を見ていたわけでは無いですが、
ふざけて割ったわけでは無いようでしたが‥‥。

要するに私が言いたいことは、子供たちが失敗に対して、
非常に不寛容だという事です。

先日、大学院のOBOG会に参加してきましたが、そこで、
小池名誉教授の講演を拝聴する機会に、日本が海外に進出する時に
気を付けることを問われて答えたことは
「失敗を恐れず、兎に角、進出すること。失敗したら、失敗から学べば良い。
日本で早くから海外進出に成功している企業は、そうしてきている」
というものでした。

社会が不寛容になると、失敗を恐れ、チャレンジする意欲を減退させます。
これは、社会の活力の減退にも繋がります。
また、非常に曖昧な表現になってしまいますが、安心感のある社会と
離れていく様に思います。

良く、「子供は大人を写す鏡」と言いますが、今の社会は、
失敗に対して、不寛容になり過ぎているのではないでしょうか?