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日常あるいは平穏な日々

日々思う事をつれづれなるままに書いていこうと思います。

被災地の情報やボランティア活動に役立つかも知れない情報

2011年11月05日 | 社会
■sinsai.info
震災関連情報が纏まったサイト
http://www.sinsai.info/ushahidi/

以下は、上記のサイトの管理者の方が書かれたもの。
これを読むと、shinsai.info の凄さが分かります。

sinsai.info を1ヶ月やってきて思うこと【関治之】
http://techwave.jp/archives/51650191.html

こういうのを見ると、国は、独自にサイトを作成するのでは無く、こういうボランティアを支援する側に回った方が良いんじゃないかと思います。


■必要物資・支援要求マップ
http://311help.com/

上記のサイトは、高校生8名の有志の方によって更新されています。
http://tg-messenger.on.coocan.jp/


■助け合いジャパン(内閣官房震災ボランティア連絡室)
http://tasukeaijapan.jp/
被災地の情報が掲載されています。

■東日本大震災支援全国ネットワーク
http://www.jpn-civil.net/
ボランティアをしたい人、支援物資を贈りたい人のための情報

■復興のタネ
http://www.revivalofjapan.jp/
被災地復興のためのアイディア募集サイト

■神奈川災害ボランティアネットワーク 東日本大震災特設サイト
http://ksvn.jp/

■band⇔aid(NPO法人国際松濤館空手道連盟宮城県本部災害対策室)
ボランティア募集、不足している物資、支援金等についての情報。
http://bandaidabukuma.wordpress.com/

■アースディ東京タワー運営する週末ボランティア情報
http://www.edtt311.info/wev/

■宮城復興支援センターによるボランティア募集
NPO連携]GANBARO↑MIYAGI/宮城復興支援センター
http://www.gakuwarinet.com/ganbaro

ボランティア登録はこちらから ↓
http://gakuwarinet.com/ganbaro/volunteer/index.html

■Twit for you
支援物資マッチングサイト
http://twitforyou.org/

■「人間の安全保障」
週末ボランティアの募集
http://hsf.jp/info.html


■被災地医療支援GMJ
医療関係者の支援活動を行っている団体
http://goodmedicinejp.main.jp/

 → がんばれ宮城実行隊
   上記の医療関係の支援団体、Good Medicine Japan の活動の一環とした、医療以外の活動団体

   http://www.goodmedicinejp.com/

■東日本大震災 写真保存プロジェクト
http://shinsai.yahoo.co.jp/archive/index.html

■東北地方太平洋沖地震緊急地図作成チーム
http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/emt/

■東京ボランティア市民活動センターのボランティア情報
http://www.tvac.or.jp/di/20960.html

■東日本大震災・子どもの学び支援ポータルサイト
http://manabishien.mext.go.jp/


★★★★★被災地各地のボランティアセンター★★★★★

■山元町ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10117

■南相馬ボランティアセンター
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

■北部鹿島区ボランティアセンター
http://ameblo.jp/minamisomasakura/theme-10036481134.html

■気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター
http://hamacen.hida-ch.com/

■社会福祉協議会のボランティアセンターの募集状況
http://www.saigaivc.com/vc%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E7%8A%B6%E6%B3%81-pdf%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB/#engan


★★★★★目的がハッキリしている募金先★★★★★

天然住宅バンク
http://www.tennenbank.org/revive/

LIFE 311
http://life311.more-trees.org/

日常あるいは思索に耽る日々 ~現在の世界の動きについて考えてみた・更に続き2~

2010年12月24日 | 社会
今日、友人と色々と議論していたので、更新しようと思っていた事を記載。
因みに私は経済の素人なので、眉に唾つけながら、読んでいただけたらと思います。
あくまでも、今後を考える上での一つの材料と割り切って読んでいただけると助かります。


さて、少し前の事になりますが、JBPress にて、格差の拡大とお金の偏在を指摘している記事がアップされました。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4799

これは米国だけでは無く、先進国に共通して見られる傾向です。


■通貨の発行量を増やす弊害
現在、先進国の各国で中央銀行がお金を刷りまくっていて、
通貨安を進めている。この動きは、グローバリゼーションが進む中で、
自国のGDPを上げるためにも、輸出企業を保護する意味でも全く正しい。
しかし、それで万事解決、と単純にそうは行かないところが難しいところでもある。
確かに通貨安は、国内の輸出企業の、とりわけ製造事業の輸出を助け、
製造部門の海外移転を鈍らせる。しかし、通貨安以上に安い人件費が魅力的な国は多く、
先進国から製造業が出て行く流れは、抑えようも無い様に見える。
そのため長期的に見ると、例えば米国の様に、貿易赤字の大きな国が
通貨安によって貿易黒字に転換するのは不可能に思える。

そうは言っても、限定的ながら効果はあるわけで、
通貨安を志向する流れも、止めようもない。
ただ、通貨の発行量が増えると懸念される弊害もある。

■バブル再び?
発行した通貨は、何処に流れるのか?
このほとんどは結局、企業や資本家に流れて行く。
すると、どういう事が起こるか?
現在は、需要不足によるデフレだという話は、書きました。
需要が無い中で、既にお金がある所にお金が出回ると
どういう事が起きるか?結局、運用のための投資が行われる。
その傾向を良く表しているのが、中国の土地バブルと言われている状況ではないかと。

結局どの先進国も苦しんでいるのは、自国内の需要が伸びないという事に尽きる様に思う。

という訳で、自国内の需要が高くならなければ当然、会社は
より多くの従業員を必要とする事は無く、失業率は高止まりという事になる。

そこでもう一つJBPressから。今後の労働者不足を懸念するという記事。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4904

デフレで失業率が高い現状で、労働者不足を懸念する理由が分かりません。
恐らく、労働人口が増えなければ、国を支えられないという事からの話なのでしょうけれど、
それ以前に労働者が過剰なわけですから、人口が増えれば労働人口が増えると考えるのは、
問題を見誤っている様に思う。

日常あるいは思索に耽る日々 ~現在の世界の動きについて考えてみた~

2010年10月14日 | 社会
というわけで、最近の世界の動きについて色々と考えている内に、ある一つの結論に達したので、その考えのまとめをば。
もちろん、以下の考えが絶対に正しいなどとは言いませんが、戯言と一笑に付して済ませられる内容では無い程度の内容には、なっていると思います。


私は数年前まで、資本主義の持つパワーについて疑う事はありませんでしたし、
もっと、資本主義というものが理解されて、多くの人が稼げる様になれば良いのに、と思っていました。

5年前には「資本主義のパワー」というエントリーをアップしようとした事もあります。
(途中で挫折しました(苦笑))

しかし、リーマンショック以後の世界の経済状況を見渡し、
以下の2点について考えている内に、既存の資本主義社会の限界に気付きました。
その2点とは、

・先進国でデフレ懸念が高まる傾向にある
・先進国で失業率が下がらない傾向にある

もちろん、個々の国を見れば、失業率も低く抑えられ、デフレの懸念の無い国はあります。
ただ、全体的な傾向としては、そういう傾向があるという事です。


※ 以下、既存の資本主義で中心的な役割を果たす国の信用を背景とした
紙幣、硬貨、または、数字上の準通貨を、【お金(=貨幣)】と呼びます。
そして、いわゆる【既存の資本主義】とは、【貨幣経済による資本主義】を指します。


まず、失業率が下がらない傾向についてから話を始めます。
これを考えるに辺り、ある人(失念)曰く「失業者の増加は資本主義の勝利である」
という言葉から考え始めました。

話を分かり易くするために、極端な例を基に話します。

世界の人口が60億人だとして、その60億人の全ての人にとって必要なものは、
過去において、60億人全てが働いても供給し得ませんでした。
そのため、失業率は低く抑えられ、失業した者も直ぐに次の職に就く事が出来ていました。
ところが、業務効率を改善していく事で、必要な労働人口は減少の一途を辿ります。
業務効率の改善は、資本主義社会にあって、企業の重要命題ですから、
各社とも必死に取り組む事で、この傾向は、光の速度で進んでいきます。
そして遂には、60億人の全ての人にとって必要なものは、30億人、
いやきっと、もっと少ない人が働くことで供給可能になるわけです。

リーマンショック迄は、過剰な信用創造によって、資産や資本が本来の
価値以上に見せかけられる事で、人々は消費し、多くの産業で市場が拡大し、
企業の雇用意欲も高まる事で、上記の傾向が覆い隠されていました。
しかし、リーマンショックによって、存在すると思っていた資産や資本が、
投資会社による見せ掛けのものだったと、
思っていた以上に価値しか無いものなのだと気付かされる事で、
過剰だった消費は抑制される方向に傾き、多くの市場は縮小し、
企業は余剰人員を抱える結果となり、レイオフが進み、失業率が増加しました。

失業者が多く出た国では、社会保障として失業給付が行われました。
それ以外にも、産業の復興のために多くの支出がなされましたが、
失業率は一向に下がりません。
ここに、現在の需要の不足の問題が横たわっています。
現在の産業が、世界の総需要を既に満たせている(または、それに近い状態)がために、
市場を活性化させようにも、供給過剰に陥ってしまう。

現実に戻って、私は思ったわけです。
現在の状況は、そういう状態なのではないかと。
そうで無くとも、そういう状態への移行期なのではないかと。

だから、多くの先進国デフレ懸念が高まり、日本ではデフレが進行している。
途上国では、まだ産業が十分に発展していないため、
需要があり、まだ、デフレ懸念は無い状態なのだと。
(供給過剰になれば、相対的に、モノやサービスの価値が下がり、
お金の価値が上がるため、デフレになるという事です)


デフレの話です。

「デフレを食い止めるためには、デフレギャップを埋める必要がある」
(現在の日本では、30兆円と言われています)
というのは、リフレ派の共通認識かと思いますが、もう一つの共通認識としては、
「需要不足を解消しなければ、デフレギャップを埋めても、デフレを止められない」
というのがあります。
そこでリフレ派が唱えるのは、民間では需要を創出する事が出来ないから、
「政府が支出によって、需要を創出するのが今行える最善の策」
という事になります。同様の事は、先進国の各国で行われていますが、
日本は逆行し、増税と政府支出の抑制に動いています。
日本の経済を凋落させたいのでしょうか?

国内のデフレに、もっと詳しくは、以下を参照のこと。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100727/215597/

そして世界の先進国で強まるデフレの懸念に対してアメリカが取っている行動が、これです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4645

アメリカの行動は、自国の為であれば他国の犠牲など厭わない、
形振り構わぬ振る舞いなワケですが、自国を守る立場の人としては、正しい行動です。
ドルを幾らでも刷って、絶対に負けない通貨の切り下げ戦争を起こせるというのは、
米ドルが機軸通貨だからですね。
日本政府も日本の為を思うのであれば、もっと日銀にお金を刷らせて、
円の世界での流通量を増やすべきだと思います。

話が逸れました。

さて、この需要不足の状況に於いては、産業界では一時的にせよ
長期的にせよ、事業を縮小する方向に傾くため失業者が増大します。
その人達に向けた給付が滞ると、その人達は使えるお金が無くなるため、
今まで、その人達から売り上げを得ていた企業は、その売り上げを失う事になります。
すると、企業の生産規模を減らさなければなりませんから、
効率化と称して、レイオフが進みます。

このサイクルが進むと、どういう事が起こるか?

ここで分かり易く、また、極端な例を基に説明を行いますと、
「多くの人が失業しお金を失って、一部の人達が金銭的に豊かになる」
という事態が起こると考えられます。
これで一部の人達が、本当に豊かになるかというと、そうでも無い。
それは何故かと言えば、多くの人がお金を利用していない世界になるため、
お金を利用できる場面や場所が限定される様になるからです。
お金が有っても使えない、というわけですね。
失業し働く場所を失った人達は、収入を得る口が無くなるので当然ですね。

ここで奇妙な現象に遭遇します。それは何か?
潜在的需要は旺盛にも関わらず、お金が機能不全を起こし、
需要に対して物を供給する流れを作れないという状況です。
ここに「既存の資本主義の限界」を見出す事ができます。
というか感じてしまったのです。

では、どうしたら良いか?

一つの解として、地域通貨が考えられます。
ローカル通貨と言っても良いでしょう。

日本国内でも多くのローカル通貨を利用する試みが行われています。
http://www.cc-pr.net/list/

その他にも、WATやWIIFYという信用貨幣というものもあります。

ただ、これらが本当に、上記で示した金融資本による資本主義の限界を突破し得るモノとなり得るのか?
まだ答えは出ません。しかし、何れお金だけに依らない新しいエコシステムを考え、
構築する必要に迫られるだろうと思うのです。


日常あるいは学校見学する日々 ~世田谷のとある小学校・後編~

2010年03月01日 | 社会
という事で、第二部です。

世田谷にある小学校の取り組みである食育は、確かに素晴らしいものでした。
しかし、現代の社会が抱える病巣が、子供に如実に現れている場面を
垣間見もしました。

ここでは、食育とは離れ、子供に見た社会の病巣について触れようと思います。

実は、豆腐作りを行っている最中に、1つの出来事がありました。
6つの班に分かれて豆腐作りを行っていたのですが、とある班が、
鍋の温度を測るために利用していた温度計を割ってしまいました。
割れた温度計は鍋の中に入り、もちろん、その班の豆腐作りは中断です。
そこで先生から、一つの提案がなされます
「その班に、みんなから少しずつ分けてあげよう」

個人的には、子供に学んで貰う非常に良い機会なのに、
先生から提案するというのは、とても勿体無いと思うわけですが、
豆腐作りの時間も押していたので、これが公教育の限界なのかも知れません。

それはそれとして、ここでの子供の反応が非常に興味深い。
ある人は言いました「失敗を奨励し、不正を正す」
そう、失敗と不正は違うのです。しかし、子供の反応はというと
「えぇ~、やだ!」
「だって、割ったあの班が悪いんじゃん!?」
というものです。
私は、割れた瞬間を見ていたわけでは無いですが、
ふざけて割ったわけでは無いようでしたが‥‥。

要するに私が言いたいことは、子供たちが失敗に対して、
非常に不寛容だという事です。

先日、大学院のOBOG会に参加してきましたが、そこで、
小池名誉教授の講演を拝聴する機会に、日本が海外に進出する時に
気を付けることを問われて答えたことは
「失敗を恐れず、兎に角、進出すること。失敗したら、失敗から学べば良い。
日本で早くから海外進出に成功している企業は、そうしてきている」
というものでした。

社会が不寛容になると、失敗を恐れ、チャレンジする意欲を減退させます。
これは、社会の活力の減退にも繋がります。
また、非常に曖昧な表現になってしまいますが、安心感のある社会と
離れていく様に思います。

良く、「子供は大人を写す鏡」と言いますが、今の社会は、
失敗に対して、不寛容になり過ぎているのではないでしょうか?

日常あるいは学校見学する日々 ~世田谷のとある小学校・前編~

2010年02月24日 | 社会
という事で今日は、世田谷のとある小学校の見学に行きました。

切っ掛けは、某イベントで「未来の食卓」という映画を拝見し、
そのイベントで公演をされた先生のお話を聞いた事です。
要するに、その先生のご招待があって、という事ですね。

その先生は、栄養士であり、学校給食に無農薬な食材を取り入れる
活動をされています。無農薬が難しくとも、産地が分かるものにこだわり、
極力、国産にこだわるというものです。
こだわる理由は、もちろん、食の安全の確保のためです。
最近は、調味料にこだわっているそうです。

・何故、その様な取り組みを始められたのか?
・学校給食が抱える問題
・それにより、起こった変化とは?
・実際に私の目から見た生徒の様子

色々な気付きがあったので、思い出せる範囲でまとめたいと思います。

栄養士になったことが、学校給食に関わるようになった切っ掛けだったそうで、
最初は、そこまで食に関心は無かったという話でした。
しかし、ある本を切っ掛けに食の安全に対して疑問を持つ様になったそうです。
その本とは「複合汚染」(著:有吉佐和子)
その本を切っ掛けとして、全国的にも食の安全に対する意識が一時的な高まりを
見せたそうです。
私自身、無農薬栽培をされている方のお話を聞く機会が
何度と無くありましたが、この本の話題が出ることが多々ありました。
その様な時に偶然、世田谷で無農薬栽培をされている農家がある事を
知ったそうです。こういうの、運命って言うんですかね?
今から30年も前の話だと思うと、非常に先駆的な農家ですよね。しかも世田谷で。
そういう農家ですから、やはり、そういう取り組みをされている方とのネットワークが
あるわけです。そこから、色々なことを知り、協力者を得ながら、
学校給食の改革に取り組み始めたということでした。

学校給食の問題点は、色々とあります。
地区や県により異なる問題も多々あり、一概に言えないので、
ここで書くことが、読まれている方が住んでおられる地域と同じでは無いこともあります。
まずは、それをご承知の上で、ご一読お願いします。

学校給食では、提供する栄養について、決まりがあります。
例えば、たんぱく質何gなど。
栄養学の見地から、これは、間違いでは無いのですが、実は、
牛乳を取り入れることで、提供する栄養素の規定を容易に満たせるようになるそうです。
そうすると、献立作りの際に牛乳依存が高まり、ますます牛乳を止められなくなる。
実際、地域で共通の献立を利用している学校もあるそうですが、そんなわけで、
牛乳ありきの献立になっているとの事です。

学校給食では、1食あたりの予算が決まっているのですが、
その中で、牛乳の占める割合というのは、約 1/6 だという話です。
限られた予算で食材にこだわる場合、牛乳を止めることで、
出来ることが多々あるそうですが、上記の様な状況なので、結局、
「牛乳を取り入れて、容易に栄養を満たす」か
「牛乳を止めて、困難な献立作りに取り組む」かの葛藤になるのですが、
後者に取り組むのは、とても大変だという事です。

食材にこだわっている学校としては、もし牛乳にするにしても、
こだわりたいわけですが、これもまた難しい。その理由が癒着。
困ったものですね。ここについては、詳細は控えます。

ところで牛乳ですが、オーガニックなものは、ほとんど無いです。
日本でも、有機JAS認定を得ている酪農家は、私の知る限りでは、
2~3年前まで1件だった筈です。現在は、知りませんが。

その他の問題として、民間企業の参入があります。
栄養士が居る学校については、栄養士さんが生徒の体を考え、
給食を作ってくださっているところが多いとの事ですが、
民間が入ってくると、ここに違いが生まれます。
当然ですね。効率重視で利益を上げようとしますから。
冷凍保存されたものや、旬を無視した食材、
産地不明なもの、何でもありです。
なんで、こんな事が起こってしまうのか?
あぁ、なんか、書いていて辛いです‥‥。

そんなわけで、食にこだわり、食育を進めている学校で起こった変化とは何か?
先生は謙虚に、「味覚が鋭くなった」「産地に敏感になった」
「食に対する関心が高まった」というを仰られました。
給食に使用される出汁は、もちろん粉末なんかでは無く、かつお出汁であれば、
かつおの削り節から煮出します。昆布も、もちろんですね。
天然の出汁を使うと、その他の調味料を少なくしても美味しくできるため、
素材の味を生かせるというお話でした。そういう食事に触れている生徒は、
味覚が非常に鋭くなり、味の変化に敏感になるそうです。
まぁ、当然ですね。
子供が、産地や食そのものにも関心が高まることで、
家庭にも良い意味での影響が出ているそうです。

今回、小学校4年生の「総合学習の時間」で行った豆腐作りを
見学&サポートをさせていただきました。
豆腐作りは、もちろん食育の一環です。

豆腐の原料は、もちろん大豆ですが、この大豆、
生徒が自身で育て、乾燥させたものです。
そして勿論、無農薬です。
その自身で育てた大豆で豆腐作りをするというのが、また良いですね!
別の時間では、納豆や味噌も作ったりしたそうです。

さて、豆腐作りが始まると、みんな凄い主体的に動いていて、
生徒同士で話し合って順番を決めたり、役割を決めたりしています。
まず、その主体性に驚きました。
豆腐作りは、包丁を使わないため、それほど危ないことは無いですが、
それでも料理というのは、慣れないと、「おっかなびっくり」に
なり勝ちになりそうなものです。しかし、既に何度も料理を行っている生徒は、
全く物怖じする様子がありません。ここでも関心します。
そして、まぁ、突然現れた、見ず知らずの私や私の友人などにも、
最初の最初、ほんの僅かに「大丈夫かな?」という感じの話しかけ方
だったものの、数分後には、かなり気軽に話しできるようになり、
そのオープンさにもびっくりです。
これは、総合学習の時間を通じて、外部の人と関わる機会に恵まれて
いるからだと思いました。
長期休みには、希望者のみですが、東北の農家に泊り込みで農業体験に
行ったりもするそうです。
そしてまぁ、なんとも楽しそうに豆腐作りをすること!

その後の給食の時間に、一緒に給食も食べましたが、
私が一緒したグループが特殊なのか分からないですが、
みんな一様に「ときどき料理している」というのです。
男の子も女の子も、お手伝いでは無く、最初から作るってんだから驚きです!
お菓子も作るという話で「俺、お菓子って作らないんだよね」
と言ったら「えぇ~!美味しいじゃん?作ったら良いのに」と、
みんな口を揃えて言うのには、参ったなぁ、という感じでしたw

学校給食ですが、流石に美味しかったです。
私が小学生の頃の学校給食も、それほど不味いものでは無かったと思いますが、
しかし、う~ん、やっぱり絶対に、こっちの方が美味しいよなぁ。
あの学校の生徒、恵まれてるよなぁ。

さて、その他の改革です。
食材だけでは無く、食育にも取り組んでいくわけですが、新たな試みという事で、
最初は、多くの先生の反対にあったそうです。
しかし、その反対をものともせず、どんどんお膳立てをしていきます。
そうすると、最初は反対していた先生も「そこまでやっていただけるのであれば」と、
少しずつ協力的になっていったという話でした。それはそうですよね、
他の先生方は、あまり手をかけずとも取り組めるだけの準備がされているわけですから。
また、給食の内容の変更については、給食の味が変わるわけです。
現実として美味しい給食が出てくると、反論できなくなるという話でもありました。
あ、なんか書いていて泣きそうです‥。

先生が作成された資料も色々と拝見させていただきましたが、もう、感服の一言。
1例を挙げます。
4月の新学期開始時期には、1年の献立が出来ています。それも、日めくり形式で!!!
先にも書きましたが、冷凍とか、そういうものでは無いわけです。
季節によって変化する食材を考えたら、レシピは、1年間通して変化し続けるわけです。
考えられますか?もう、言葉も無いです。

その先生も、後1年でご退職との事。
なんと言うか、まだまだ、続けていただきたい!
しかし先生は言います。
「今後は、若い人たちのために、これまでの経験を何かにまとめ
アウトプットしていきたい。しかもそれを、無償で広く配布したい」と
「私は、これまで、多くを学ばせていただいたから、その恩返しがしたいんです」
あ、本当に泣けてきました‥‥。素敵過ぎです。

今度、ご自宅にもお呼ばれする予定です。
やばい、幸せ過ぎる。

何かお手伝い出来る機会があれば良いなぁ、と考えた
そんな素敵な1日でした。

日常あるいは選挙の日々 ~総選挙~

2009年08月31日 | 社会
もう、ほぼ結果も出そろったので、そろそろ良いでしょう。

今回の結果、非常に危惧しています。
唯一の救いは、民主が単独で2/3を取ら(れ)なかった事ですが、
2/3に限りなく近い数です。これから日本は、どこに向かうのでしょうか?
暗黒の村山政権時代の二の舞にならない事を祈るばかりです。

『教育は国家百年の計』という事で、これからの日本にとって、
とても大切なものは、何より教育だと考えていますが、
恐らく悪化の一途を辿るでしょう。

市民活動として何ができるか?
今まで以上に考え、行動していきたいと思います。

2009/09/03 追記
とある人に「応援している政党があるか?」と問われたので追記。
【ない】です。今回の選挙も、消去法で残ったところに入れました。
理念や信念を持ちつつ、日本の将来を、本当に考えたマニフェストと
いうのは、今回、見あたらなかったように思います。
これが出て来ない限りは、支持政党は、持ち得ないでしょうねぇ。

日常あるいは法律に思う日々 ~農地法・臓器移植法~

2009年06月19日 | 社会
という事で、非常に重要な法案、新しい農地法案が可決され、
臓器移植法案が、衆議院本会議を通過しました。

農地法の改正について詳しくは
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090618/plc0906180324001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090617/biz0906171043007-n1.htm


臓器移植法案について詳しくは
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090618/plc0906181100005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090618/stt0906181936011-n1.htm


今までは、農業に携わりたいと考えても、容易に参入できない状況が
続いていましたが、それが緩和されたことを、私は非常に評価したいです。
もちろん、問題もあるかも知れませんが、今はなによりも、
参入障壁を下げるべきだと考えていたので。


臓器移植法については、倫理に踏み入る問題という事もあり、
非常に難しい問題です。
ただ、臓器移植については、国内で無理だからと、
海外で手術を受けるケースが多く、この様な現実を踏まえると、
「海外に足並みを揃える」か「この問題について、国際社会で話し合う」
しか無いと思います。何故ならば、倫理の問題から、
国内では駄目なものが、海外では良しとするのは、
それは‥‥‥、ねぇ?
かと言って、この改正案が通る事が絶対的に良いかというと、
それはまた別問題なわけですが‥‥。
しかし、もしこの法案が通ったら、小さい頃から家族で、
人の死について、自分の死について話し合う機会が必要となりますね。
私は、それについては、良い事だと思います。

田母神・前空幕長の論文問題について

2008年11月10日 | 社会
田母神・前空幕長の論文問題について考えてみた。
と言っても、メモ書き程度。

まず、田母神氏の論文を、以下からどうぞ。
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集

参考に、以下のコラムをどうぞ。

【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 空幕長更迭事件と政府の姿勢

田母神・前空幕長の論文が最優秀賞になった経緯


という事で、論文の内容それ自体に、それほど問題があったように思われない。
ただ、政府の見解と異なる見解の論文が、公の場で公開された事は、政府にとって都合が悪かったかも知れない。しかし、国民から見て都合が悪いかというと、これはまた違うのではないかと思う。

日常あるいは平穏な日々 ~2007/10/05~

2007年10月06日 | 社会
今日の仕事帰り、どうしても一人で飯を食う気になれず、19時過ぎて仕事から帰る際に、あっちこっちの人を当たった。遅くまで仕事してる人にも、何人も電話してしまって申し訳ない。でも、一人暮らししてると、そういう衝動に駆られる事があるのです。
そして、やっと繋がったkanaと飯を食いに行った。
いやぁ、ホント久々。元気そうで何より。
それより何より、一人の食事にならずに、本当に良かった!
既に、晩飯食い終わってたのに、付き合ってくれてありがとう!

さて、実はその前に、凄く考えさせられたシーンがありました。
本屋に立ち寄って、本を物色していた時の事、
ドサドサッ
という音に振り向くと、ある人が、平積みされた本の山を崩してしまっていました。その人は、元に戻そうとしていましたが、そこそこ量もあったので、一人では大変そう。見かねて手を貸したのですが、俺より近くに居た人でさえも、みな見てるだけ‥‥。凄い寂しい気持ちになった。俺がおかしいのか???もし、それが普通なのだとしたら、なんて‥‥。何か、凄く悔しい気持ちでいっぱいになった出来事でした。

「大前研一ニュースの視点」の一歩先

2007年09月06日 | 社会
今回は、大前氏が発行されているメールマガジン
「大前研一ニュースの視点」より、
タイトル「所有欲の減退する若者。その意味と今後の戦略」
を読んでの感想と、大前氏の書かれた内容の、一歩先を行ってみたいと思います。

大前氏は、実感+以下の統計資料より

※「首都圏・若者消費意識調査」チャートを見る
→ http://www.lt-empower.com/mag2/konews/slide_070831.html

・20代以下の若者の所有欲そのものが減退しており、特に男性に、その傾向が顕著に見られ、30代以上の世代とは、明らかに違う
・トヨタとスバルがスポーツカーの開発を行い、若者の車需要を喚起しようというのは、間違い。そもそもの所有欲が無いのだから
・何故、このような現象が生まれたのか、まずは、その実態調査が必要

という事を仰っています。
私も大前氏の意見に同感です。
特に車の話を周りの友人達と話していても、強く感じます。

さて、ここからが一歩先です。
この傾向、ある一つの要素からの派生現象に過ぎません。
分かり易く言うと、根本的には、一つの問題に行き着くという事です。
それは、
    『面倒くさい』
という心理です。
一番分かり易いのが、ニートです。
自らに対してでさえ、働き、責任を負う事を恐れor負担に思い、拒否します。
所有欲というのは、その所有したものに対して責任を負えると思えるからこそ、持てるのです。
例えば車であれば、
・免許取得のために、勉強をする
・交通ルールを守り運転する
・車を維持するために、メンテナンスする
・保険に入る
etc
こんな事、やってられないよ、というわけです。
これには、2つの要因が考えられます。

(1) 何でも与えられる環境
(2) 失敗に対して、不寛容な環境


■何でも与えられる環境
まず前者について考えてみます。『周りが何でもやってくれる環境』に育った場合、どういう子に育つかを想像してみてください。まず始めに思いつくのは

・我が侭

でしょう。それ以外にも、

・主体的に動く訓練がされないので、与えられたものしかできない

が考えられます。自ら考えて動けない人間は、確かに増えていると思います。
これは数字では無く、単なる体感的なものですが。
つまるところ、私が思うのは、
『主体的に動く、というストレスに対する耐性が無いために、自ら動く事を大きな負担と感じている』
という事なのです。大前氏は、

  満ち足りた世代に見られる現象と言ってしまえば
 それまでですが、私はそう思いません。

と仰られておりますが、これは、是でも非でもあると思います。
物的に満ち足りた世代であるが故に、親が子の世話に手をかけるよりも、物を与える事に頼ったツケであると思うのです。そして、それに慣れてしまった親は、手をかけて教えるよりも自分がやった方が早いと判断し、子供に何かをさせる、という事が激減してしまっている環境があるのだと思うのです。これは、「"物的に"満ち足りた世代」だからこそ、とも言えますが、親の怠慢が無ければ起こりえないでしょうから「そうで無い」とも言えると考えるわけです。


■失敗に対して、不寛容な環境
さて長くなりました。もう一点についてです。
この環境にあって起こる事は、「自ら決断できなくなる」という事です。
それは、例えばこうです。

テストがある→親が結果を見る→簡単な間違いがある→親が怒る→子供が萎縮する

これが何度も続いたら、子供は、相当なストレスだと思います。
「だったら、もうテストも受けない!」
と言っても、仕方が無いでしょう。
特に親が後ろで宿題を見ている状況では、最悪です。
子供は、親の顔色を伺いならが、問題を解いていくわけです。
間違った答えを書かないよう、びくびくしながら。
こんな事を続けていては、自ら答えを出す事に、臆病になっても仕方ありません。
自ら決断を出来なくなった子供は、遂には、買うという決断すら出来なくなる。
そういう事ではないでしょうか?
お金を使う決断がつかず、常に保留。そして貯蓄は貯まる‥‥。


私は、こんなところにも、社会問題を感じてしまいます。
考え過ぎでしょうか?

尚、大前研一氏のblogのバックナンバーページは、こちら
→ http://www.ohmae.biz/koblog/viewpoint/912.php