日常あるいは平穏な日々

日々思う事をつれづれなるままに書いていこうと思います。

日常あるいは芸術な日々 ~ミレイ展~

2008年10月19日 | 芸術&文化
渋谷 bunkamura にて開かれた、ミレイ展に行った。

ミレイの作品は、その絵のドラマ性と美しさが際だっている。
代表作でもある「オフィーリア」などは、その最たるものだろう。

ミレイの作品には、肖像画が多い様に思う。ミレイは、対象の人物の内面を描き出すことに優れた人なので、肖像画からも多くの印象を受けるし、良い作品である事に疑いは無いが、やはり、人に焦点を当てていてさえ、ドラマ性を持たせた作品からの方が、圧倒的な印象を受ける。という事で、上の様な私の感想なのであるが、果たして、他の人は、どの様な印象を持たれるでしょう?

歯医者に通院中のこと

2008年10月17日 | 健康
先々週、詰めていた銀歯が取れてから、歯科に通い続けています。私は、歯があまり強い方では無いことから、小さい頃は、歯科に頻繁に通わねばならなかった事もあり、歯科は、トラウマの塊の様な場所です(苦笑)
今までにも何箇所か(も?)の歯科を試しましたが、苦痛と激痛と不快感しか思い出にありません。

ところが今回、ネットで調べに調べて発見したところに通っているのですが、凄く良いのです。何より、麻酔無しで全ての治療を行うにも関わらず、全然、痛くない。今までに通った歯科では、麻酔をしないなんて事が無く、麻酔をする事が当たり前になっていて、しかもその麻酔が痛い!←私の注射嫌いの原因と言って良い
これが無いだけでも嬉しいですし、麻酔後の違和感を抱えることも無いので、凄く快適です。

何故、麻酔が不要なのか?歯医者さん曰く「悪い所を削るのであれば、痛い事は無い。悪く無い所を削るから痛いのだ。もちろん、良い所を削らない様に、また、痛く無い様に、丁寧に削る必要はあるが」だそうです。実際に治療を受けている側(私)としても、かなり削られているのが分かっているし、実際に痛く無いので、感動すら覚え、歯医者さんに質問するに至ったわけです。

ちなみにそこの歯科は、会計も明朗で良いです。明細には、その日に行った治療の点数が項目毎に明記されているため、これを調べれば、その会計が適正なものか、素人でも追跡可能です。医療費って、意外と一般人にとって不明瞭なので、これも非常に安心できます。

私は小さい頃、歯の治療で文字通り、非常に痛い目を見てきたので、ちょっと、この歯科の信者になりそうですw

そんな、私が通っている歯科は、こちら
はしもと歯科

あまり人が来て、予約が取れなくなるのは嫌なのですが(笑)、でも、歯って大切じゃないですか?私の知り合いには、歯も丈夫であって欲しいので、もし、良い歯医者さんをお探しの方は、候補に考えてみてください。

人の孤独を助長するもの

2008年10月04日 | 哲学
 私が良く読んでいるblog『夢幻∞大のドリーミングメディア』の中から、気になった記事を紹介。
 このblogの中の「ホームサーバの戦い」シリーズは、デジタルメディアの世界の歴史や潮流を知る上では、珠玉だと思うので、その分野に興味のある方には、お薦めしておく。 しかし、今回紹介する記事は、IT業界系とは一線を画したもの。
 『もっとパラリンピックに目を向けよう』 この中で、このblogの筆者「mugendai」氏(以下、mugendai氏)は、「山田太一著『男たちの旅路・車輪の一歩』日本放送出版協会」という本の後書きにある、著者の対談文から一部を引用しているのだが、その内容が、全く目から鱗が落ちるものだった。

山田氏 「身障者の人たちの現実を健康な方はあまり知らないということもあるのです。けれども、この『車輪の一歩』は、必ずしも、身障者の話を書いたわけではありません。

現代は非常に個人主義の時代で、他人にも迷惑をかけないかわりに自分もかけられたくない、というモラルがあって、それがある意味で人をすごく規制している。そのために非常に孤独に陥ったりするということは身障者に限らずあります。しかし、人間の生き方の中には、迷惑をかけてもこのことはやらなければいけないということはいっぱいあるわけです。組織を作るにしても、募金にしても、署名運動にしても、それは人の迷惑を考えたらやれないのです。単に身障者の話ということではなくて、そういう、もう少し普遍的なものをぼくは裏側に用意したつもりです」
(山田太一著「男たちの旅路・対談『男たちの旅路』を終えて」日本放送出版協会)


 これは、今まさに私が感じている事で、人が個人主義に陥った事で孤立化していき、孤独感を助長する要因になっているんじゃないかと思う。確かに、人に頼ったり、頼られたりというのは、お互いの関係性が生まれるわけで、そこで、自らの思うようにならない部分というのは、必ず生まれるものなのだが、人は、そこから得られるものにも目を向けるべきだと思うのだ。これは、mugendai氏が書いた別記事「『あなたとは違うんです』首相の存在感」の中で、氏が日経ビジネスオンライン「殿様”にはなれない日本の首相」から引用した、細川元首相婦人のコメントにも通じる。

細川氏 「私は、今の政治の世界の内情については、全く分かりません。ですから、福田さんがなぜ辞任を表明されたのかについては、語ることはできません。

 ただ今回の辞任で1つ言えるとしたら、また同じようなことが、今後も起こり得るということです。今の日本の首相は、常に足を引っ張られる存在だからです。何をしても、褒められるよりも批判されることの方が多いのです。

 というのも、首相になりたいと思う政治家は多いですから、野党に限らず政権を支える与党の中からも、いつか追い落としてやろうと、狙われている存在です。

(中略)

―― 日本の首相は、ご主人とは別の意味で殿様のようになれませんね。意志を貫き、強いリーダーシップを発揮するような。

 細川氏 「日本は、強いリーダーを育てるような環境にありません。能力のある人をつくっていくという暖かい眼差しがないのです。マスメディアも国民も、褒めるよりも批判ばかりで、足を引っ張ることばかり。これでは強いリーダーが生まれるはずがありません。政界、財界とあらゆる社会で人物が小粒になってきていると言われるのは、こうした日本の風土と無縁ではありません。

(中略)

 今の日本に閉塞感があるのは、夢や目標に挑戦せず、できることしかやらない人が増えているためです。魂 の抜けてしまった人が多くなったのは、教育が知識の詰め込みばかりで、何かに感動したり、他人の痛みを感じることを学ばせなくなってしまったからです。知 識偏重になったのは、企業中心、経済中心の社会になったため、効率ばかり追い求め、一人ひとりの人間にスポットが当たらなくなってしまったことも影響して いると思います


マイナスの事ばかりに目を向けていると、プラスの面が見えなくなる。そして人は、マイナスの面に目を向けて、「あれが駄目だ」「これが駄目だ」と、どんどんと貶めていく。得てして人の目は、分かり易いもの(定量的なもの)に目が行きがちで、分かり難いもの(定性的なもの)を見過ごしてしまう。それ故に、分かり難いものにこそ価値があっさえ、それがなおざりにされてしまう。行き過ぎた個人主義が生まれる背景として、細川氏の言う教育(家庭や社会(学校は、社会の一部でしかない)が育むもの)の側面は、非常に大きいと思っている。要するに、どういう事かと言うと、
「他人と相互に影響を及ぼし合う煩わしさと、それに依るプラスの側面(相互扶助など)の2つの側面に対し、直接的に分かり易く、マイナスである煩わしさに目が向くが為に、自ら孤立していく」
ということが出来るかと思う。

 これは、先日会った人と話していた事なのだが、「人(子供)を育てるために、まず大切なのは、親の愛情だ」という事。私は、子供の教育に必要なのは、家庭、学校、地域コミュニティの3本柱だと考えてるが、でも最重要は、やはり家庭なのだろう。そして家庭で愛を育むことで、相互に頼ったり、頼られたりする関係(依存や甘えとは違う)を安心して行って良いのだということを学ぶことにも繋がっていくのだと思う。

日常あるいは講演を聴く日々 ~鈴木大地さん~

2008年10月02日 | 勉強
今日は、丸の内カフェで開かれたトークサロン

「トークサロン「頂点」vol.5 鈴木大地×田中ウルヴェ京
─スポーツ界のトップから学ぶ成功のゴールデンルールとは?─」

に参加し、鈴木大地さんのお話を聞いてきました。
質疑応答では、私も質問させていただけて、非常に嬉しい会となりました。

鈴木さんは、ソウルオリンピックで金メダルを取った後、バルセロナオリンピックを目指すわけですが、バルセロナオリンピックには、出場すら出来ませんでした。この当時の事を振り返って、以下の様な話がありました。

・ソウルオリンピックの金メダルは、命がけの趣味で取ったものだった。
・もし頂点と言えるものがあるのなら、それは、社会人として金メダルを取って、初めて言える事だと思う。そういう意味で、私は、まだ頂点を知らない。
・金メダルを獲得した事で、自らのモチベーションを、以前ほどには上げられなかった。
・上がらないモチベーションの中で、以前の様に練習ができない(本人曰く「楽をして」)まま、オリンピックに出場しようとしてしまった。これが最大の失敗だった。
・振り返ると、金メダル後の4年間は、非常に大きな4年間だった。
 「頑張り切れない人」「弱い人」「挫折を味わった人」そういう人の気持ちが分かるようになり、教育者として、その人の立場に立って話せる今の自分があるのは、あの4年があったから。

私は、この中で、ソウルオリンピック後の自分を振り返って「"楽をして"、オリンピックを目指そうとしてしまった」という言葉で言えてしまう鈴木さんに、自らに対する厳しさに、圧倒されるようだった。実際は、普通の人から見たら、絶対に楽では無かった筈だ。それでも、以前の自分と比して、そう言えてしまう。上を目指す事が許される人というのは、こういうものなのだと印象に残った講演でした。