音信

小池純代の手帖から

雑談28

2021-10-13 | 雑談
「芹」そのものの記述を拾ってみた。

 
 塚本邦雄『ほろにが菜時記』

「菜時記」なだけあって「新年・春・夏・秋・冬・雑」の部立て。
「春」に「芹とその仲間」の項目があって、こんなことが
書いてある。

野生の芹の摘み方。猛毒の毒芹が混ざっているので要注意のこと。
芹の料理の仕方。おひたしがお好みだそうで、芹は大好物。
お庭に植えたところ繁茂し過ぎて根絶に手をやいたという逸話。

日本の詩歌史のあちこちに香り高く顔を出す「芹」の紹介も
欠かさずあるけれども、こういったお話が混ざっているのは
微笑ましい。

 †

 
 岡井隆『犀の独言』

この本で塚本の歌の「くせ」が次のように析出されている。

ひとつには、硬質の名詞、その観念性。
二つめは、句またがり(概念のまたがり)。
三つめは、相対峙する二要素の対立と対照。

1984年の記述。いずれもすでに自明とされている「くせ」だが、
あとひとつ、「主題そのものの「くせ」」があるという。
たとえば、
             再:ま
  雉食へばましてしのばゆ再た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ
                   塚本邦雄『緑色研究』

を挙げて、
  
  塚本邦雄の歌によって、わたしたちは、いろいろなものを
  食べさせられ、味わわされた。味覚の開発という、副主題
  によって、主題に迫る方法といっていいであろう。
  観念性によって天空をかけさろうとする塚本邦雄の歌を、
  からくも地上へひきとめている感覚的実在といってよかろう。
     (「歌人における「くせ」の研究」『犀の独言』より)


「胃袋を掴まれる」は、こういうときにも言えるだろうか。




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