音信

小池純代の手帖から

雑談49

2022-10-01 | 雑談

「碧」は何いろなのか分からなくなってきた。
『字通』によると、
「碧色」は「みどりいろ」、「碧衣」は「緑衣」、
「碧水」は「あおい水」、「碧虚」は「青い空」。

青とも緑とも青緑とも。いずれでもありいずれでもない、
宝玉としての「碧玉」はそれでいいらしい。

ところが、鉱物方面では「碧玉」は「石英の一種」。
含まれる不純物によって緑や黄色や青や褐色などを
帯びる。つまり「赤い碧玉」が存在するのだそうだ。

それはそれとして緑や青や青緑の「碧」についてもう少し。

 この一巻(『われに五月を』)に限っていえば、まさしくすべての
 作品は五月の青、五月の緑、五月の草の色と香に溢れてい、手を
 浸せば手はそのまま碧く染まるだろうと思われる。
       (中井英夫「紺と青 寺山修司」『暗い海辺のイカルスたち』)

             
手を浸したら染まってしまう五月の「碧」。
これこそ完璧な「碧」というものだ。
「碧」の消息を求めてさまよってみる。
古いところから。

      †

 野草芳菲紅錦地 遊糸繚乱碧羅天    劉禹錫
                       『和漢朗詠集』

「碧羅」は「碧紗」、「緑の薄絹」のこと。
かぐわしい野の花に充ちた大地はさながら紅の錦。
かげろうがゆれて乱れる空はまるで緑の薄絹。
この「碧」はおそらく緑。

「碧色の空」と「遊糸・糸遊」の組み合わせは
和歌にも生きつづけていて、

 くりかへし春のいとゆふいくよへて同じみどりの空に見ゆらん
                    藤原定家


名前を隠したら定家とはわからないかもしれない。

 くりかへし春のいとゆふ
 いくよへて 同じみどりの空に
 見ゆらん


とか。中世の歌謡集に紛れ込んでいても不思議はない
仏教の香りと歌謡性。

 おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな
                    香川景樹


こういうきっぱりすっきり、なおかつ弾力のある響きを
歌からは聞きたいものだ。

 つつぬけの天のふかみのあさみどりわれらはひくくひと恋いわたる
                    村木道彦


柔軟な対構造が幾層も重なっている。各層を
つなぐのが音韻の陰翳と和歌の陰影だ。少し昔にさかのぼって
たとえば、

 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだり来むものならなくに
                    和泉式部





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